「同じ」を拒む?

 スクールカウンセラーをしていると、日々多くの子ども達と話します。彼、彼女らは本当にいろいろな事を知っていて、おばさんスクールカウンセラーの私にたくさんのことを教えてくれます。「えー、そんなことも知らないの?」と言われそうですが、決してそうでもなく、「なになに?」と聞くと少しうれしそうに、そして丁寧に教えてくれます。そんな話題の中、五年ほど前に出会ったAさんが教えてくれた文化があります。それが「同担拒否」です。不登校になりかけた彼女が教室での人間関係に悩んだ原因の中に、今まで仲良かったBさんと「同担拒否だから仲良くなれない」と訴えたのです。「同じ担当(推し)を拒否する」という意味です。著者世代で言うと、「マッチ派、トシちゃん派、よっちゃん派」で分かれていて、同じアイドルが好きだと「昨日のベストテン、みたみた?」と話が盛り上がったものですが、今の子達は独特の文化の中で生きている傾向があります。その逆で「同担歓迎」文化もあるの、それは何十年に渡っても生き残っている文化なのでしょう。あれから数年経ちますが、年々「同担拒否」について語る子が増えている印象を受けます。

同じだと許せない部分が多い

 何故?どうして拒否するのでしょうか。まず、「同担拒否」の心理を紐解いてみましょう。オタク用語で、起源は「ジャニオタ」から始まっていると言われています。SNSのプロフなどに記載する言葉として使用します。自分と似た人を嫌う「同族嫌悪」とはちょっと違います。「同担拒否」は「推し事」の中で自分をアピる文面に使います。同担を拒否する理由の一つが、「同担の中に’リアコ’がいるとひく」というものがあります。’リアコ’とは「リアルに恋する」の意味ですが、同担にリアルに恋している人とは関わりたくないというのです。逆に自分より同担への愛情が無さ過ぎても嫌だという子もいます。つまり、同担への愛情の度合い、熱量が違うと付き合いきれないので、最初から拒否するというのです。さらには自分が’リアコ’だった場合、推し(好きな人)はかぶりたくないという通常の恋心と同じ気持ちで拒否をすることもあるようです。

 また、彼彼女らは「推し事」として配信を視聴して再生数を稼いだり、それに対するコメントを書いたり、「推し」に少しでも自分の名前を印象づけようと努力します。CDを買ってお話し会などの様々なファンサ(ファンサービス)を受けます。その際に「同担」だと自分と他人のファンサの違いに嫉妬してしまうようです。そのために同担でない人との交流のほうがもやもやしたり、いらいらしたりしないでいられるのです。さらに、「推し事」でイタバ(推しの缶バッジを一面に貼ったカバン)を作ったり、推しのグッズを集めたりするうえで「他担」との交流をしているほうが交換しやすいからという子もいます。みなお小遣いの範囲を超えてかなりの額をファングッズの購入にあてています。その上で「うちは貧乏だからお小遣いが少なくてグッズが思うように買えない」、「あの子はお金持ちだからいいなぁ」、「グッズ買うためにバイトをしている」、「違う推しのグッズがあたったときはメルカリで売る」などと言うのです。限られた金額の中で「推し事」をするために様々な工夫や努力をしています。たくさんグッズを買ってマウントをとりたい、また逆に同担にマウントをとられたくない心理も働くようです。

承認されたいの?

 「マウントをとる」。これも彼彼女らには顕著な文化です。スクールカースト制が取り沙汰されて数年になりますが、マウントをとるからあの子が嫌、マウントをとられたから関わりたくないなどと言います。「マウントをとりたい」心理、これは心理学でいう「承認欲求」の現れです。他者より優位な立場になり、「すごいねぇ」と称賛されたい気持ちの現れでしょう。マズローという学者は欲求を五段階に分けました。ピラミッドのような構図になっており、下から一:生理的欲求、二:安全の欲求、三:社会的欲求、四:承認欲求、五:自己実現欲求です。承認欲求は自尊欲求とも言われ、他人から認められたい、尊敬されたいという欲求で下から四番目の欲求になります。それまでの生理的欲求、安全の欲求、所属と愛情の欲求とともに「欠乏欲求」と言って、足りないと満たそうとする欲求です。承認が足りないとそれを満たしたくなる欲求なのです。承認欲求にも「低位の承認欲求」と「高位の承認欲求」があります。「学校でマウントをとる」、「SNSで『いいね』されたい」欲求は「低位な承認欲求」にあたります。反対に「高位の承認欲求」は自己尊重や意識付け、自立性を得ることで満たされます。つまり、承認欲求は人からではなく自分で自分自身を認めてあげることで劣等感を抱かず、マウントをとるような行動をせずにいられるのです。

満たされよう

 決して「同担拒否」が悪い文化だとは思いませんが、前出のAさんのように「拒否」だから仲良くなれなくなって、教室の居心地が悪くなって、お休みがちになって…さらに教室に居場所がなくなって…となってしまうなら、ないほうがよいのかな?と思ってしまいます。ですが、きっと仲良くなってからのトラブルなどを避けるため予告する文化なのでしょう。彼女たちは「地雷踏みたくないんだよね」と言います。著者世代だとそうしたトラブルなどを経験して大人になったような気がしますが、合理的と言えば合理的です。

 一見、友人関係が昔より変化してきているようにも思えますが、果たしてそうでしょうか?昔から似たようなことはあったのでしょう。確かにマウントをとる人も昔からいました。「明星」や「平凡」というアイドル雑誌を買って、違うファンの子には切り抜きをあげることもできました。「同じ」と「違う」を推し量って人間関係を築いていく…思春期の仲間関係の構築の仕方は変わらないけれど、インターネット文化が普及して「リア友よりネッ友」、「LINE外し」など昔にはなかった特有の人間関係の構築の仕方が現れ、その中で模索している若者文化なのかもしれません。今はSNSで簡単に人と出会える時代です。新しい出会いや発見もある一方で危険もたくさんあることを知っている彼彼女らだからこそ、工夫できる文化なのです。世代が違うとつい「理解できんわ~」となりがちですが、大人は子ども達の言葉にもう少し耳を傾けてあげてもよいかもしれません。

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