方向が分からない!
「方向音痴」を自覚している人は少なくないのではないでしょうか。私もどうやら方向音痴の気があるように思います。自らの方向感覚の弱さを強く意識したのは、学生時代、卒論を提出した帰り道でした。集中力が切れていたためか、自宅近くの交差点で一瞬意識がぼんやりした間に、自分が四辻のどの位置に立っていてどちらの方向に歩き出せばいいのか、本当に分からなくなってしまったのです。自宅近くで迷ったことはこのとき以外にありませんが、ビルや地下鉄の出口から道に出てきたときなど、自分がどこにいてどちらを向いているのか、しょっちゅう分からなくなります。方向音痴の心理的なメカニズムを知り、日常生活のなかで困らないくらいに改善できたらいいな……と常々思ってきました。
方向音痴の心理学
心理学の領域では、方向音痴は空間認知という視点から研究が行われています。村越真氏による『なぜ人は地図を回すのか』には、ナヴィゲーション(目的地に向かう)能力や方向感覚などに関するさまざまな研究が紹介されています。ある実験の結果からは、方向感覚のいい人の特徴として、①ルートを辿るのに重要なランドマークに注目していること、②重要でない事物については無視していること、③空間のつながりや意味づけ、時には一般的な知識を使った推論を利用してランドマークの記憶を補っていること、が指摘されています。道に迷わないためには、重要なランドマークに意識的に注意を向け、その相互関係を空間的に配置し、記憶できることが重要なのです。
認知地図の獲得も方向感覚の重要な要素であることが指摘されています。認知地図とは、トールマンによるネズミの迷路学習の実験を通して見出された概念で、空間の位置関係に関する認知構造のことです。音痴の人は、頭のなかで地図を組み立てたり、利用したりすることが苦手だ、というのです。
方向音痴の改善には…
このような研究結果を「自分のこと」として立ち返ってみると、なかでも私は頭のなかで地図を操作することが苦手なようです。もう少し自己分析すると、上空から地上を見下ろす“俯瞰する視点”は獲得されているのですが、そこから地上に立ったときの“リアルな視点”に変換する操作がうまくいっていないようです。このことに気づいてから、“俯瞰する視点”と“リアルな視点”を一致させること、具体的にいうと、地図と実際に自分が向いている方向を合わせて、かつランドマークを明確に認知させることによって、だいぶ目的地に着きやすくなったように思います。
自らも方向音痴だという心理学者・新垣紀子氏は、空間認知能力には個人差はあるものの、それだけが方向音痴を決定づけるわけではなく、「知識の違い説」「問題解決方略説」「社会的ラベリング説」などの要因が絡み合って生じていることを指摘しています。人は誰しも持っている能力において多少の得意・不得意があるものです。心理学の研究は、自分の特性についてさまざまに振り返る視点を与えてくれます。困ったなと思っている特徴も、その現象について知り、またその対策を考えるプロセスを通して、自分の世界に新たな広がりと深まりをもたらしてくれたり、成長する機会を与えてくれたりするかもしれません。
◦参考文献
村越真(2013)『なぜ人は地図を回すのか——方向オンチの博物誌』角川ソフィア文庫
新垣紀子(2005)「なぜ方向オンチの人とそうでない人がいるのでしょうか?」『心理学ワールド』29.https://psych.or.jp/interest/ff‐08/ (2024年5月1日取得)