特集02: 心理支援者——こんなところで働いています “災害”にあった人たちを支援する
著者 福島県県外避難者相談センター「ここさこ」
わが国で心理支援者が被災者のケアに広く関わるようになったのは、1995年に発災した阪神淡路大震災以降といわれています。その後、国内外の災害において心理支援者が活動して、実績と知見を積み重ねてきました。そして2011年3月11日、未曽有の災害である東日本大震災がおきました。この原稿を書いている時点では、13年が経過したことになります。
福島県においての東日本大震災
Wikipediaで東日本大震災を調べると、「東北地方太平洋沖地震およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による大規模な地震災害(一部抜粋)」とあり、原発事故が併記されています。みなさんは震災と事故をどのように記憶しているでしょうか。それぞれは記憶の中でどのように配置されているでしょうか。
震災は、地震発生を開始点として、津波が到来し、大きな被害をもたらしました。その後、復興へと道半ばながら時間が経過しています。一方、原発事故については、廃炉状況をみても、いまだ事故の只中にあると言わざるをえません。福島県に足を運んだり、福島からの避難者さんと話したりすると、その認識を強くします。
「ここさこ」の紹介
3・11から、静岡県公認心理師協会(当時は静岡県臨床心理士会)とその会員は様々な支援活動に取り組んでいました。そのひとつに東北からの避難者さんたちへの支援がありました。そんななか、まず2014年から福島県県外避難者心のケア事業が福島県から委託され、さらに2016年から福島県県外避難者への相談・交流・説明会事業として避難者相談センターを設置することになり、これを「ここさこ*」と呼んでいます。福島、静岡の自治体や関係団体と協力して、訪問、交流会、説明会、情報発信、電話相談など避難者さんたちに届くよう手さぐりに続けてきました。この活動に心理支援者として、多くの会員が取り組んできました。
心理支援者の役割
福島から静岡に避難してきた人は数百名に及びました。その多くは原発事故によるもので、なかにはいくつもの避難先を経て静岡に辿り着いた方もいます。おひとりおひとりに事情と経過があり、ただひとつの物語があります。震災にまつわる体験、事故への思い、福島を離れたことへの気持ち、新しい環境への不安、将来の不透明さ…と少しでもお気持ちの整理や、語りたいときの相手になれたらと寄り添ってきました。お宅に訪問したり、交流会としてコンサートやバーベキューを企画したり、一緒に温泉に入ったこともあります。
時間が経過するとともに
当たり前のことですが、年月を重ねると、お仕事、住まい、健康などなど、本人も家族も地域も、暮らしぶりが徐々に変わっていきます。心理支援は「心のケア」がイメージされやすいですが、当初から生活のお手伝いという思いがありましたし、ここ数年いっそう色濃くなってきています。とはいえ、我々も心理支援者としての葛藤もありました。日々の暮らしを安心して送ってもらうために、その方が必要とする機関とつなげることも大事にしてきました。今後もフットワークの軽い何でも屋でやっていくつもりです。
*「ここさこ」とは、福島の方言で手招きして「ここにおいで」という意味です。避難者さんたちに名付けていただきました。福島(特に会津)には「お茶っこ」という言葉もあって、「お茶でも飲みながらおしゃべりしよう」という意味です。言葉に限らず、たくさんの文化や風習に触れてきました。