こだわりが守っているもの

 ここ数年、街中や電車の中など、公共の場で前髪を整える女性をよく見かけます。あるとき、私のもとに雑談にやって来た女子学生が、ふいに鞄からコームを取り出し、無言で前髪をとかし始めたことがありました。彼女は素早く手鏡で自分の姿を確認すると、何事もなかったかのように話を再開しましたが、その手際の良さに驚いたのを覚えています。

 私が働く大学の女子学生たちによると、「前髪の乱れは心の乱れ」なのだそうです。こうした前髪や容姿へのこだわりの背景には、「綺麗でいたい」という願望以上に、「恥をかきたくない」「見た目のことで悪く言われたくない」という強い不安があるように感じられます。若い女性たちは、なぜこれほどまでに自分の見た目を気にし、整え、ときには隠そうとするのでしょうか。

をのひなお(2025)パーフェクトグリッター(1)小学館 p.82

ルッキズムを加速するSNS

 「ルッキズム」、これは人の外見に基づいて差別や評価をすることを意味します。近年のテレビや雑誌では、外見を露骨に賞賛、あるいは揶揄する表現は減りつつあります。しかしながらSNS上ではむしろ、ルッキズムの重圧は増しているようです。
 たとえば、「中顔面短縮」「スペ110」など、“理想的”とされる顔や体型に関する言葉が飛び交い、一般の人でも画像を加工して投稿するのが当たり前になっています。その一方で、「加工しすぎ」「劣化した」「整形疑惑」といった中傷も目立ちます。こうした言葉は、発した側からすればただの感想であっても、相手の心を深く傷つけます。
 スキンケアブランド・ダヴが行った調査では、10代後半の女性の8割以上が「容姿や体型に自信をなくした経験がある」と回答し、その半数が「SNSを見ているときにそう感じた」と報告しています。“理想的”な容姿のインフルエンサーと自分を比べて落ち込んだり、その人が中傷されているのを見て「自分も言われるかも」と不安になったりするのは、無理のないことかもしれません。とはいえ、容姿への過度なとらわれは、醜形恐怖症や摂食障害といった心理的問題につながるおそれもあります。

ルッキズムへの処方箋

 ルッキズムは、世界中に広がる根深い問題です。その処方箋としてまず大切なのは、「美しさは多様である」と知ることです。美の基準は文化や時代とともに大きく移ろいます。月並みな表現ですが、他人の評価に合わせるのではなく、自分にとっての美しさを探すことが必要なのではないでしょうか。それは「自分はどう生きるのか?」というアイデンティティの構築にもつながるはずです。
 また、美しさを追い求める風潮そのものに疑問を抱き、それに抗うのもいいでしょう。最近では、SNS『ビーリアル』のように、加工なしの写真を投稿する文化も流行しています。ルッキズムに疲れた人々が、“リアル”な日常の姿を共有することに価値を見いだし、こうした文化に共感しているのだと考えられます。このように多様な価値観に触れることが、私たちを少しずつ、ルッキズムから解放してくれるはずです。

●参考文献
ユニリーバ・ジャパン・カスタマーマーケティング株式会社 Dove(2024)「若年層における容姿に関する調査」

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