この文章を読んでいるあなたは、今どんな場面にいらっしゃるでしょう。
 好きな人がいるけれど、片思いでしょうか。あるいは、相手に打ち明けたけれど、良い結果にはならなかったでしょうか。
 あるいはもう付き合っている人がいるけれど、自分ばかり相手に尽くしていて、自分は本当に大切にされているのか、分からない気持ちになっているでしょうか。相手が浮気性だったり、突然いなくなってしばらく連絡もないようなことが、続いたりするでしょうか。
 何度付き合っても長くは続かなくて、自分はやっぱりダメなんだと、自信がもてずにいますか。あるいは誰とも付き合ったことがなくて、そのことが重いですか。
 そもそも「恋愛」に興味がもてなかったり、何らかの理由でみんなのしている恋バナにのれない自分がいたりしますか。またそれを人に話すこともできないために、よけいに苦しんでいるかもしれません。
 今回「恋愛の傷つき」について書かせていただくことになったものの、これを読んでおられるあなたの状況も知らずに、またあなたのお話も聴かずに一方的に何かを言うことは、きっと的外れになるに違いないと思います。ただ一つだけ、もしよければぜひあなたに覚えておいていただきたいことを、この場を借りてお伝えできればと思います。
 それは、感情や意思を持った存在として扱われないこと、別の目的のための「手段」として扱われること、もっと極端な言い方をすると、人間扱いでなく「モノ扱い」されることによって、人のこころに生じるダメージについてです。
 別の目的のための「手段」として扱われることは、さまざまな人間関係の中に、ある程度は含まれうることがらです。イエの存続が個人よりも優先された時代のように、歴史的にそれが当たり前だった時代もあるでしょう。
 けれども、少なくとも「人権」という概念が誕生し、共有されている現代においては、人が「手段」としてしか・・扱われないことは、間違いなくその人のこころをむしばむ、大きなダメージを与えます。
 私はこれまで何十年か、人のお話を聴く仕事をしてきましたが、そこで見聞きした多くの悩みが、「手段」として扱われることの苦しみや、人間扱いされないことの苦しみに由来するものだったと感じています。
 ・相手から、成功を通じて獲得した「戦利品」として扱われ、個人としての自分本人が何を感じているか、何をしたいかには、関心をもってもらえない苦しみ。これは相手から、周囲に誇示できるパワーの証としてしか扱われていない状態です。いわゆる「トロフィー・ワイフ」も、こうした例の一つといえるでしょう。
 ・相手が自分を、お金やモノを得るための手段としてしか見ていない苦しみ。お金や食事・プレゼントなど、物理的な利益のためにしか、相手に求められていないと知るときに感じる、虚しさの苦しみです。
 ・親密に触れ合う関係の中で、相手がこちらの気持ちや意思を顧慮しないときに感じる苦しみ。少し強い表現をすれば、性的欲求を処理するための道具として扱われているのではないかと感じる苦しみです。
 恋愛関係の悩みには、本当にさまざまなものが含まれるでしょう。けれども、その中には「人を成長させうる悩み」と「人をむしばんでいく悩み」とが、あるように思います。そして「人をむしばんでいく悩み」には、別の目的のための「手段」として扱われることが絡んでいるケースが、とても多いと思うのです。
 「手段」として扱われることは、心理的次元で生じていることなので、その関係性の外にいる人から見て、そうと判断することは難しいかもしれません。また、最初はお互いを大切に思いやる関係性から始まったのに、だんだんと「手段」扱いに変質してゆく場合もあるため、なおさら難しいこともあるでしょう。けれども極端な場合、最初から相手を「手段」としてしか扱っていないのに、その関係性を「恋愛」と言いくるめているような状況も、残念ながらこの世にはあると感じています。

 そこでお尋ねしたいのですが、今のあなたに、その心当たりはないでしょうか。
 万一その心当たりがあるなら、できれば一度立ち止まって考えてみてほしいのです。
 相手にあなたの気持ちを伝えてみて、理解しようとしてくれるようなら、まだ希望はあるかもしれません。
 けれども、そもそも話が通じなかったり、「分かった」と言われても何度も同じ事が繰り返されたりして、あなたの苦しみが続いていったとしたら?…場合によっては、その状況からどうやったら離れられるか、考えてみることも必要かもしれません。
 とはいえあなたの気持ちからいっても、また状況からいっても、すぐにそれを実行に移すことは、多くの場合難しいことでしょう。けれども(ここが重要な点なのですが)、その状況に留まるか、離れることを目指すかは、最終的にはあなたが選んでいいことです。
 すぐには難しくても、あなたは自分がこうありたいと思う方へ、ちょっとずつ泳いでいくことができます。
 どちらの方へ泳いでいきたいか、それだけを自分に確かめてみてほしいのです。
 それも一度だけでなく、節目節目で「自分はこの関係を、今後も望み、受け入れてゆこうと思うか?」と、自分に尋ねてみてほしい。そう思います。
 ただ今のあなたは、とてもじゃないけれど、そのエネルギーが湧いてこない状態にあるかもしれません。
 けれどもあなたの地域にも、探せば相談できる場所が、きっとあると思います。カウンセラーはそういう場所で働いています。ただ、仮にそこで出会ったカウンセラーがあなたの頭越しに、あなたがどう「すべき」かを勝手に決めてしまうようなカウンセラーだったら、「申し訳ない」なんて思わず、そこはやめてしまっても全然かまいません。
 私が精神科医として病院や診療所や心理相談室でこれまで働いてきて、利用者の皆さん方に教えていただいたと思う一番重要なことは、「どんなに絶望的に見える状況でも、すぐには難しくても、人は外的リソースも使いながら、自分がこうありたいと思う方向へ、ちょっとずつ泳いでいける」ということです。
 ただ、どちらの方へ泳いでいきたいかということだけは、何かあるたびに毎回立ち止まって、自分自身に確かめ続けてください。それだけは、あなたにしか知りえず、他人に決められてはならないことだからです。「自分はこの関係を、今後も望み、みずからすすんで受け入れてゆこうと思うか?」と。
 私たちカウンセラーや精神科医は、おのおのの専門性の違いにより手分けして、そのためのお手伝いをしています。私たちは、民間や大学付属のカウンセリング・センター、学生相談室、精神科・心療内科など、いろいろな場所で働いています。もしあなたにそうする必要が生じたときには、ぜひお気軽にお声がけいただければと思います。

広報誌アーカイブ