余暇がもたらす潤い/余暇にひそむ影
余暇やレジャーという言葉から、多くの人は「楽しい時間」や「気分転換の時間」を思い浮かべるかもしれません。好きなことに没頭したり、日常の忙しさから少し距離を取ったりする時間は、心身を回復させ、生活に潤いをもたらします。
余暇がもつこうした働きは、近年重視されているウェルビーイングやQOL(生活の質)の向上とも深く関わっています。余暇が私たちにとって大切な時間であることは、疑いのないところでしょう。
しかし、余暇はいつも心地よいかたちで経験されるとは限りません。誰かと過ごす時間のなかで気を遣い続けたり、家族や周囲のなかでの役割を意識しすぎたりして、かえって息苦しさを感じることもあります。そのため、余暇にこそ一人の時間がほしいと感じる人も少なくないでしょう。
一方で、一人で過ごす時間が長くなると、今度は孤独や不安を覚えることもあります。誰かと距離を取りたい気持ちと、つながっていたい感覚。その揺れ動きが余暇にはあります。
このように、余暇には生活に潤いをもたらす側面と、扱いにくさを伴う側面の両方があります。自由に使える時間であるがゆえに、回復や充実につながることもあれば、迷いや戸惑いを引き寄せることもある。
余暇は、心地よさと難しさをあわせもつ、両義的な時間なのです。
余暇にあらわれる個性
余暇の過ごし方を振り返ってみると、そこにはその人なりの価値観や生き方があらわれます。どのような時間に安心を感じるのか、どの程度の人との距離が心地よいのか、何をしているときに「自分らしい」と感じるのか。余暇は、こうした感覚があらわれやすい時間です。
仕事や家庭、社会的な役割のなかでは、人は「こうあるべき」「こう振る舞うべき」という基準に合わせて行動せざるを得ません。それに対して余暇の時間は、そうした枠組みから距離を取り、自分がどのように時間を使いたいのかを試す余地を与えてくれます。
余暇をどう過ごすかについて、あらかじめ用意された正解はありません。むしろ、迷いながら選び、うまくいかなさを経験し、ときに立ち止まりながら、自分なりの過ごし方を探っていくことに意味があると言ってよいでしょう。余暇は、どのような時間を大切にしたいのかを、静かに問い返してくる時間でもあるのです。
余暇を学ぶこととライフキャリア
だからこそ、余暇は教育や支援の対象にもなりえます。余暇を学ぶとは、過ごし方の正解を示すことではなく、自分にとって心地よい時間や大切にしたい価値を見つけていく力を育てることだと言えるでしょう。また、字数の関係で詳しく述べることはできませんが、余暇の過ごし方には、文化的・経済的・社会的なリソースの差が影響しており、誰もが同じように余暇を享受できるわけではないという問題も横たわっています。
余暇をどう過ごすかを考えることは、そのまま「自分がどんなふうに生きていきたいのか」というライフキャリアの問いにつながっていきます。余暇は、人生の“すきま”のように見えながら、その人が望む生き方をそっと照らす鏡にもなる時間です。余暇は、日常のなかで自分の生き方を静かに問い返す契機ともなるのです。
余暇の難しさと可能性、その両方をていねいに見つめること。その先に、人が自分らしい生活を組み立て、自分らしく生きるための小さな手がかりが見えてくるのではないでしょうか。