新型コロナウイルス感染症の世界的大流行により、長期にわたってそれまでの生活形態や習慣を変えざるをえないことで、私たちはいろんな気付きや発見を体験している。
 私にとって非常に印象深い体験は、人の顔の認識にかかわるものである。コロナ禍といわれ、ほぼ4年近くマスクが顔の一部になっている状態が続いている中、マスク下を含めた相手の全体の顔は見る側の私の想像によってだいぶ作られていることを、相手がマスクを外した際に驚くほど実感した。目に見えるいくつかの手がかりのみでイメージしたものは相手の全体像といかにかけ離れているかを痛感した。
 さらに新型コロナウイルスが感染症法上の5類に移行することで多くの人がマスクを外すようになり、一気に顔全体が表れるようになったとき、一人ひとりの顔がこれほど個性に溢れ、インパクトのあるものだったんだと衝撃を受けた。それは美・醜、優・劣といった見えやすい物差しで片づけられない、アートの世界だった。それぞれの顔に味わいがあり、色合いが異なり、生きてきた時間とともにその人が作り上げた世界がある。そのような眼が得られたことで、人を観る楽しみが増えた半面、ふっとその人自身はアートな自分が見えているだろうか、と思うことがある。
 ゲシュタルト療法の創始者であるフレデリック・パールズ(Frederick S. Pearls)は、現代人は「自分存在に賭ける力」が乏しくなっており、心理臨床の目指すところはその回復であると指摘している。心理臨床の営みには、他人のもの差しや自分の思い込みから解き放たれ、自分の全体像を捉えて理解する当人の歩みがあるといえる。その中でかけがえのない自分がいて、自分ならではの味わい、色合いがあることに気付き、それらを良しとすることは、ありのままの自分を賭けるに値する存在として実感することにつながるであろう。一人ひとり異なる、その人ならではのこころのあり様に目を向ける心理臨床の視座が社会により共有されることを願う。

*Shostrom. E. (Ed.) 1965 Three Approaches to Psychotherapies. (邦訳:E・ショストロム編 佐治守夫・他訳編1980 グロリアと3人のセラピスト.日本精神技術研究所.)

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