田中 今日はやっと本物の道下さんにお会いできて大変嬉しく思っています。
道下 いえいえ、そんなふうに言っていただけて(笑)。
田中 実はここに来る前、昨年の東京パラリンピックの道下さんのレースを改めて拝見して、それでまたゴールの瞬間にうるうる涙してからこちらに向かったんです(笑)。
道下 ありがとうございます。
田中 先ほど簡単に自己紹介させていただきましたが、私の専門は心理学です。声が子どもみたいとよく言われるんですけど、年齢は今年還暦を迎えて六〇歳になります。
道下 あ、そうなんですね。声では全然わからないですね。

田中 私が道下さんを最初に拝見したのはテレビだったんですけれども、マラソンの選手ということを知る前に「えっ、なに?この爽やかな笑顔の方は!」と思ってまして(笑)。今日はその本物の笑顔の方にお会いできるということで、とても楽しみにしてきました。まずは東京パラリンピックのマラソンでの金メダル、おめでとうございます。
道下 ありがとうございます。
田中 「おめでとう」と同時に「ありがとうございます」と言いたいです。勇気と挑戦することの大切さ、意志を持つこと、そして公平であることを道下さんの走る姿から教えられて・・・。

道下 公平であること?それは初めて言われました。
田中 私は大学でインクルージョン支援推進室の室長をしているんですが、心身機能の多様性とか性の多様性とか脳の多様性とか、そういう観点から多様ないろんな学生や教職員の支援をする仕事も兼務しているんですね。そういう中では「公平さ」という視点がすごく重要で、チャレンジすることの公平さ、機会の公正さが十分に保障されていないことをいつも腹立たしく思っていたところに、道下さんの走られている姿を見て、やっぱり挑戦することの尊さとかそこに向かう勇気とか、そして、繰り返しになりますが公平さというのをとても教えられたので、まずはそのお礼をお伝えしたいと思いました。
道下 ああ、なるほど。ブラインドマラソンは、二〇一六年のリオ大会から女子も正式種目になりました。いろんな人にチャンスが与えられるという意味では、パラリンピックはすごく公平になりつつありますね。
田中 国際パラリンピック委員会が掲げる「パラリンピックの4つの価値(勇気/強い意志/インスピレーション/公平)」の中にもやっぱり「公平さ」が入っていて、まさにそれを走る姿によって具体的な形として示されたというふうに感じました。

支え、支えられる関係

田中 今回、道下さんのご著書『いっしょに走ろう』(芸術新聞社)をじっくりと読ませていただいて、まずこのタイトルが素敵だなと思ったのですが、この言葉は誰が誰に投げかけているものなんですか?
道下 そうですね。まず単純に、私が一人で走れないので、伴走をしてくださる方に対して「いっしょに走ろう」という意味もありますし、私たちのように身体に障害のある人だったり、社会で生きづらさを感じている人というのは、一人ではなかなかできないことがあったりするので、そういった意味で、人生を共に歩んでくれる、そういう人たちがいっしょに走ってくれることで乗り越えられることがいっぱいあるという思いを込めた言葉ですね。                  田中 なるほど。マラソンだけではなくて人生をいっしょに・・・と、そういう広がりが込められたタイトルなんですね。この広がりは、多様性を包摂する社会の拡がりとリンクするように思いました。先ほど出た伴走者(ガイドランナー)の方との関係性というのは、どのようにして築いていくものなんでしょうか?

道下 まず私は、世の中には視覚障害者と接したことがある人ってそんなにいるわけではない、というふうに考えています。なので、たぶん誰もが「どう接したらいいかわからない」というところから入るのかなと。私自身も目が不自由になる前は、障害がある方に対してそういうふうに思っていました。意識して距離を取っていたわけでもないんですが、普段接する機会もないし、なんとなく壁というかバリアみたいなものを持っていたのかなというところがありまして。                                 だから私自身は、ガイドランナーさんと初めてロープを持って接するときには、どういうふうに接してもらったら自分は嬉しいかをこちらから伝えることを意識しています。例えば、段差一つにしても上方向の段差なのか下方向の段差なのか、段差という言葉だけではわからなかったりすることを、より具体的に言ってほしいと伝えています。
 あと、伴走者の方にとって、私と接することが義務になったりすると負担になると考え、なるべく二人だったり三人だったり、常に代わりの伴走者がいる体制にしておいて「いつでも断って大丈夫ですよ」という状態を作ることで、相手の人が接しやすくなるというか重荷に感じなくなる、そういうことを常に心がけていたりします。
 それから、伴走者の方が私と接することで、何か自分の目標を叶えるとか、何か自分のやりがいに繫がればいいなと思っていますね。伴走者の方にとってプラスになることって何だろうというのを普段の会話やコミュニケーションの中で聞きながら、自分が相手に対して何かできることはないかを意識するようにしています。そうすることで、相手の意欲が高まるじゃないですけれども、いっしょにやっていきたいとか、そういうふうに思ってもらえるとコミュニケーションが取りやすくなってきたりすることはありますね。  

 

田中 今までのインタビューの中では「同じ鼓動を刻む感覚なんだ」という言葉を使っていらっしゃったりしましたね。
道下 あくまでも伴走者ってサポートする側ではあるのですが、「支えている」という感じだと、私が「支えてもらっている」という関係になってしまうんですね。それだと、やっぱりだんだん行き詰まるというか、競技という部分でさまざまなことを追求していく中で、そういう関係性だと徐々にやりづらさが出てくるんですよ。私自身は誰よりも速く走るために腕をしっかり振って推進力を生まなければならない。私が主体的に走らないといけないんですが、そのとき、持っているロープを邪魔に感じていたら、結局いいパフォーマンスに繫がらないんですね。
 もし、私が「してもらっている」という感覚をずっと持っていると、たぶんそこまでの関係、そこまでのパフォーマンスしか出せないんです。なので、自分がこうやりたいんだということを伝えられる関係にならないとダメで、それって普通の人間関係でも、尊敬できる人だったり、お互いに感謝し合える関係だったり、何かそういう関係になれれば、たぶん共にいっしょに歩んでいけるんですよね。
 だから、そういう関係になるために何が必要かというところを追求していった結果、相手のやりがいだったり夢だったりに繫がる何かがあると、いっしょに歩いてくれるというか、いっしょに走ってくれるというか、そういう状況が作れるのかなと感じています。

田中 伴走者の方も皆さん同じようにおっしゃっていますよね。つまり、自分たちは支えているわけでないと。支えて、支えられて、という関係なんだと。
道下 私と長くいっしょに走ってくださっている方というのは、いっしょに走っている中で、今まで感じなかった価値観に気づくことができたとか、何か自分の中で見えなかったものが見えてきたとか、出会うことによって学びがあるから、だからいっしょにやりたいと思うんだと言ってくれる方が多いというふうには思いますね。

人は「映し鏡」

田中 道下さんのこれまでのお話の中でも「本音を言う」「本音をストレートにぶつける」というようなことが繰り返し出てきて、やっぱりご自身の本気度が桁違いだから、もう本音でぶつかり合うしかないのかなって思いますけど(笑)。ただ、やっぱり本音というのは表現しにくい部分もあると思うんですね。相手に遠慮したりとか。

道下 本音をぶつけるってすごく難しいですし、私も伴走者の方に「こうしてほしい」とか「自分はこう思っている」ということを伝えるのはとても難しいですけれども、ただ、伝え方ってあるじゃないですか。
 まず最初に、やってもらってうれしかったこととか、感謝の気持ちを伝えた後に、「もっとこうすれば、さらに速く走れたかも」とか、やっぱり言い方や順番でだいぶ変わってくると思います。なので、批判的に伝えるのではなくて提案型で伝えるとか、そういったことはすごく意識しています。最終的には、私たちは競技で結果を出すというところが目標なので、何かに妥協していたら望む結果にたどり着けないと思うんですよね。
 やっぱりお互いが、細かいところも妥協せずに取り組んだ結果が金メダルなのかなと思うので、そのためには言いにくいことも言うし、毎回練習の後にミーティングを必ずやるんですけれども、言いにくいことって溜め込んで言うと大変なことになっちゃうんですよ(笑)。なので、気づいた時点で、もう傷にならないうちにさらりと言うみたいなことは心がけていますね。

田中 先ほど「普通の人間関係でも・・・」という話があったのですが、この本の中に親友と二人で京都旅行をしたときのエピソードが出てきますよね。私が印象に残っているのは、道下さんが弱い部分を隠していてお互いにわだかまりが積もっていったときに、その友達が「適当にやり過ごそうとせず、本音で私に思いをぶつけてくれた」というところなんですね。普段の私たちは、もし思うところがあっても日常の中で適当にやり過ごして、あまり本音を表現しないことが多い中、やっぱりそれをきちんとぶつけ合ったという、本気でつながる関係にはそういうことが大切なんだなあと思って。それが伴走者の方とも、結局は人と人との関係ですので、共通しているんだと思いました。
道下 私は、人は映し鏡だと思っていて、最終的には自分が接しているのと同じように相手も接してくるんですよ。なので、自分が本音を出さなければ、向こうも本音を出してくれないし。
田中 なるほど。いや、私自身の関係性の中で本音をぶつけている相手が、私にはどれだけいるだろうかと今ちょっと振り返って思いました。
道下 いや、でも、すごく難しいですよ。相手との距離感だったり、それまでの関係性によって、同じ言葉を使っても全然伝わらなかったり、伝え方次第でどう伝わるかというのもありますし。たぶん日常のコミュニケーションの中では、そういうことをほとんど知らない間に感じてやっているのでしょうね。

共通の言葉を探る

道下 例えばですが、視覚障害者への声かけ一つにしても、人によってはたくさんしゃべらないといけないと思ってお話しされる方がいると思うんですけど、でも私は、特に競技に関しては伴走者さんも楽をしてほしいと思っているんですね。常に二人や三人でゴールを目指すので、お互いに楽をしてゴールにたどり着けたほうが絶対いいですし。なので、いっぱいしゃべればそれだけエネルギーを使うので、短い言葉で具体的に、曖昧な表現を使わないということをお願いしています。あと、共通用語を使って反応速度を速くするというようなことをしていますね。
 紛らわしい言葉で、例えば、「上げる」という言葉を単純に使ったとしたら、スピードを上げるのか、足を上げるのか、わからないじゃないですか。そういう曖昧な表現を使っていると、途中で意思の疎通がうまくいかなくなったり、会話が通じなくなるんですね。お互いに思っていたことが違い始めると、それがだんだんだんだん溝になっていくので。そういうふうにならないように言葉選びには気をつけています。

田中 私は心理臨床の場で、発達障害の子どもたちと関わることが多いのですが、同じ言葉を使っていても受け止めるイメージが全然違うときがあるんです。だから、自分と子どもたちとのあいだで、本当に共通した意味としてその言葉を使っているのだろうかということは、常に点検しながらやりとりをしています。
 例えば、その子が「友達がいっぱいできました」と言ってきたときに、友達という言葉で多くの人がイメージするのは、深い話を本音で言い合ったり、いろんな行動をその人と共にするみたいなことを想像しますが、その子の話をよく聞いていくと、「朝『おはよう』と言ったら『おはよう』と返してくれるんです!まさに友達って感じなんです!」と言うんですね。「友達」ということの意味合いが、その子と私とではそれぞれ異なっている。
 だから、やっぱり言葉のもつ意味をよく吟味して使っていくことが大切で、その言葉によって相互の意味世界を共有していくわけですから。もっと言えば、言葉の意味だけでなく体験を聞きながら、体験もていねいに共有していかないと、もうどんどんずれていきます。道下さんのお話を聞いて、「ああ、そこは同じなんだなあ」と感銘を受けました。

ユーモアや笑いの大切さ

田中 東京大会で二人目の伴走者の志田淳さんの白い歯がずっと見えているんですよね。志田さんが笑いながら、何か一生懸命、道下さんに話しかけていらっしゃって。解説者の増田明美さんも「あれは何を話しているんですかね?きっと何か笑わせているんじゃないか、リラックスさせているんじゃないか」というようなことをおっしゃっていて・・・。あれはどういう会話をされていたんですか?
道下 周りの状況を説明してくれていました。「報道の人がいっぱいいるよ」とか、「○○コーチがこっちを向いている」とか(笑)。いろんな状況を私に教えてくれていて。
田中 ああ、そういう話をされていたんですね。実は私はユーモアの研究もちょっとしていまして、やっぱりユーモアや笑いって重要だなとすごく思っているんですね。そこで、ユーモアという視点から、競技に臨む前のお気持ちとかをお聞きできたらと思ったんですが・・・。

道下 ああ、そうですね。実は銀メダルだったリオ大会のときは、笑ってはいたのですが、何かちょっとぎこちない笑いだったのかなとか思っていて。やっぱり心の底から笑える準備をしなければいけないなと思いました。それで、東京大会に至るまでに、過去のオリンピックだったりパラリンピックで勝利した人のインタビューを見たり聞いたりしたんですね。そうしたら、やっぱり最後に金メダルを獲る選手というのは、本当にすべてのことに対して感謝をしている人たちが多くて。本当に心から、すべてを味方につけられる人たちが、そうやってゴールに立って金メダルを獲っているんだなということをすごく感じました。なので、いかに楽しく、いかに幸せだと思えるようなゴールにたどり着けるかということを、それからすごく考えるようになりました。
 マラソンって、けっこう辛くてきつい、苦しい競技じゃないですか。だから、日常の練習でも、やっぱり何かしら笑いがあったほうが楽しいというのはありますね。そうそう、伴走者の方も、そういう感じの人が多いんですよ(笑)。きついことをいかに楽しんで乗り越えていけるかということを追求している人が、たぶんマラソンランナーとして継続していける人なのかなというのがあって。

田中 本の中に、伴走者の方が給水ポイントで、水やスポーツドリンクと間違えてそうめんを取ったことが書かれていましたね。『勢いでそうめんとっちゃったけど、みっちゃん食べる?』と。そういうことがあるんだって驚きました(笑)。
道下 はい、そういうことが起きたりもします(笑)。昨年の東京大会では、志田さんが三五キロ手前ぐらいで道を間違えたんですよね。
田中 ええっ、それは・・・。そんなときはイラっとしたりしないんですか?
道下 私としてはそれも想定内で、志田さんは毎回何かやらかすんですよ(笑)。「左」と言って実は「右」だったり。今回も何か挟んでくるかなと思ったら、道を間違えてくれたので、ああ、いつもどおりだなと思って笑いながら走っていました(笑)。
田中 レースの映像では、道を間違えたその場面のときは男子マラソンの方が映っていたのでそんなことが起きていることはわからず、そのあとに女子マラソンに画面が変わって、アナウンサーの方が「先ほど道下選手がコースを間違えたようですね」と言ってて。「ええーっ、そんなことがあるんだ!」と思いながら見てたんですけど。
道下 私が道を間違えるわけがないんですよね。私は見えないんですから(笑)。
 でも、チームを結成するのにお笑い担当って決めているところはありますね。三人いて、私ともう一人は正統派なんですよ。志田さんはそうではないので(笑)。なので、お笑い担当ということで志田さんには講演会とかイベントのときは「ちゃんと笑いを取ってね」とお願いしています。役割分担ってやっぱり大切で、たとえデコボコチームだったとしても、それぞれいいところがあるし、足りないところはお互いに補い合うのが理想ですね。

いっしょに「無理」はしない

田中 もう少し伴走者について伺いたいんですが、道下さんはピッチが速いですし、伴走者の方とは身長差がかなりあって、歩幅をいっしょに合わせることはできないですよね。動きやテンポの同期というか、そのあたりはどうされているんですか?
道下 それは伴走者の方が、うまく私の腕振りの邪魔にならない位置でリズムを刻んでいたりしてくれていますね。本当は同じ歩幅で同じようにシンクロするのが理想かもしれないんですけど、実はそういうことをやろうとして過去に何度も失敗しているんですね。
 私のピッチに合わせるということは、かなりスピードを下げないといけないとか、やっぱり伴走者の方の体の負担が大きくなるんです。それで、今はもうその部分は合わせる必要はないというふうに最終的にたどり着いていますね。
 ただ、やっぱり推進力を生むために腕の振りは必要だし、その邪魔にならない場所でロープをたるませるような形でやってほしいと伝えたところ、身長差がある方は少しだけ腰を落としたり、ちょっと屈んでいるような感じで走っているかもしれないですね。走力に余裕があるので、変に腕を合わせるよりはその方が楽なので、そういうふうにしているみたいです。なので、伴走者が歩み寄ってくれているところはありますね。

田中 東京大会の映像を見ていると、ロシアの選手などは歩幅とか全部合わせている感じでしたが、それぞれの選手と伴走者とでやり方が違うんだなあと思って拝見していました。でも、今のお話も人生と同じで、人に無理やり合わせていくとやっぱり無理が出るのかなあと。自分流でそれぞれがいて︑それでいてお互いに合っている感じというか。そうじゃないと長く続かないですね。
道下 うんうん、そうですね。確かにそうです。
田中 ゴールに向かっていっしょに歩んでいくというのはやっぱり難しいことだし、何か人生といっしょだなあと改めて感じました。

社会を変えていく力

田中 東京パラリンピックの開催前に行われたインタビューで、私がすごく印象に残っている道下さんの言葉があるんですけど、「今後の目標は?」と聞かれたときに、当然「金メダルです」と答えると周りの人もたぶんそう思っていたと思うんですけど・・・。
道下 あれ?何て答えただろう(笑)
田中 道下さんは「いろいろな人と出会いたい。旅行が好きなのでいろいろなところに行きたいです」と。
道下 ああ、そうですね!
田中 「そのために金メダル目指します」って言われたんですよ。
道下 うんうん、そうですね。はい。
田中 金メダルを獲ること、そのこと自体が目的というよりも、その先とか、何か人生のもっと長いスパンというのか、時間軸の横とか縦の繫がりをすごくイメージできる言葉に感じました。あのときはどんな思いでおっしゃっていたのかなと。
道下 私は目が不自由になって、走り始めて、ある時期から、世の中が障害のある人にとって生きづらい社会だなというのを感じたんですね。一方で、私の友達は、私が障害のある人に見えないと言うんです。それは私のすごくいいところだから、障害がある人とない人の架け橋になるような、そういうことをしていけたらいいね、と言ってくれて・・・。ちょうどその頃はたぶん社会に自分は必要とされていないのではないかとか、未来に対して希望も持てなかった時期だったので、何かその友達の言葉が私にとってのやる気スイッチになって。
 それでやっぱり、何のために金メダルを獲りたいかといったら、私が金メダルを獲れば、いろんな人と出会う機会をいただけるじゃないですか。なので、金メダルを獲った先に、いろんな人たちと繫がっていって、障害がある人への理解が深まればいいなという・・・そのために今走っていると思いますね。

田中 前に道下さんが「私は、共生社会の実現にアプローチしていけるチャンスをもらっている」と言われていた、まさにあの言葉ですね。
 今、多様性やダイバーシティが言われる中で、さまざまなニーズに応えるためにデジタル化やICTの技術や人工知能の助けを借りるというような動きがありますよね。例えば今日、白はく杖じょうをお持ちですけども、杖の先に方向や地形を読み取るナビゲーションアプリを埋め込むことによって、そこから情報を得るといったような技術や、手話でコミュニケーションをする人には通訳者ではなくAIが手話通訳をするなどです。三〇年後、五〇年後になれば、伴走ロボットみたいなものがいて、そのロボットが全部ガイドしてくれる、ペースメイクもしてくれる未来が来るかもしれません。そういうときに「やっぱり伴走者は人でなくてはならない」とか、どのような思いやお考えがありますか?

道下 うーん、そうですね。私自身が障害者になってすごく感じるのは、人に頼るということがストレスに感じることもあるんですよ。一人で何かしたいなと思うときに、ロボットがいて、それをうまく使っていければいいとは思いますが・・・。一人で走りたいときはロボットといっしょに走ればいいし、人と走りたいときは人と走ればいいし。だから、あんまりどちらがいいというのは言えないかなと思いますね。
田中 うんうん、なるほど。
道下 ただ、このコロナ禍になって、私のような視覚障害者に限らない話ですけど、外に出ていくということが人の迷惑になるのではないかと思って、家に閉じこもっている人が結構いたりとか、そういう人たちとたまに電話で話をすると、認知症のような症状が進んでいたりとか、少し前は体も元気だったのに、久しぶりに会ったら歩くのがおぼつかなくなっていたりとか、そういう姿を見ていていると、本当に人と接する機会がないということはすごく怖いことなんだなということをとても感じるので・・・。
 だから、ロボットがその代わりになればじゃないですけど、今みたいに人と接することが難しい状況のときに、何かしらの策を講じないと、特に高齢者や障害がある人の心が、ちょっと大変になってきていると思うので、何か希望が持てるようなものができたらいいなとは思います。
田中 今、確実に社会はそういう方向に動いていっていると思います。肝心なのは、自分が好きなときに使えること。これは人がいい、これはロボットがいい、と自己決定して選べることが重要ですよね。
 多様性が社会的な変革を引き起こしていくチャンスを生み出すことってまだまだいっぱいあると思うんです。今日は本当に楽しいお時間をありがとうございました。
道下 いえいえ、こちらこそありがとうございました。



道下美里(みちした・みさと)
一九七七年生まれ、山口県下関市出身。中学二年生の時に右目を失明。二五歳のとき、左目に原因不明の難病を発症し、のちに「膠こう様よう滴てき状じょう角かく膜まくジストロフィー」と判明。二〇〇三年盲学校に入学し、盲学校在籍中に陸上競技と出会う。最初はダイエット目的で走り始め、二〇〇八年にフルマラソンに挑戦。その後も「あきらめない心」「挑戦する心」をモットーに、数々の大会に出場。二〇一六年、三井住友海上に入社。二〇一七年に女子視覚障がいマラソンの世界記録を樹立し、その後二度更新。二〇二一年東京パラリンピック・女子視覚障がいマラソンで金メダルを獲得。

田中真理(たなか・まり)
九州大学教授。博士(教育心理学)。一九九七年より静岡大学人文学部助教授、東北大学大学院教育学研究科准教授・教授を経て、二〇一六年より現職。インクルージョン支援推進室長として障害者支援を担っている。「大学における科学的根拠に基づく発達障害者への合理的配慮」「自己理解・他者理解を核として生涯発達における発達障害者の心理教育的支援」を中心テーマとした研究を行っている。著書に『東日本大震災と特別支援教育』( 慶応義塾大学出版会)、『関係のなかで開かれる知的障害児・者の内的世界』(ナカニシヤ出版)、『知的障害者とともに大学で学ぶ―東北大学オープンカレッジ「杜の学びや」の取り組み』(東北大学出版会)など。

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