松本 今日はよろしくお願いいたします。
奈良 よろしくお願いします。
松本 私も奈良さんと同じ弘前出身で、もう二〇年近く大ファンなんです。
奈良 ありがとうございます。同じ弘前出身なんですね。
松本 今回の対談があったので、私が初めて奈良さんの作品を知ったのはいつかなということを思い出そうとしたんですけれども、どうしても「ここで知った」という時期を思い出せなかったんですね。ただ、高校生の頃には知っていました。
奈良 ああ、そうなんですか。

松本 初めて実物の作品を見たのが、二〇〇二年の吉井酒造煉瓦倉庫での展示のときだと思うんです。そこから二〇〇五年と二〇〇六年の『A to Z』を見てます。
それまで雑誌とかで奈良さんの作品を見たときに、何というか、言葉にならないんですが、すごく切実な感じを持って見ていたんですね。すごく胸に迫ってくるものがあったんです。でも、『A to Z』に行ったとき、正直、「あれっ? 私はなんで奈良さんの作品が好きなんだろう」と迷うようになったんです。
奈良 へえー、そうなんだ。
松本 思い返すと、会場にいっぱい人がいて、みんな口々に「かわいい」「かわいい」と言って見ていた。「あれっ? 私、かわいいから好きだったのかな」と考えると、何かちょっと違う感じがしてしまって。そこから、奈良さんの講演を聞きに行くまでの一〇年ぐらいの間、私は「なんで奈良さんを好きなんだろう」とずっと悩んでいたんです。
奈良 そうなんですか。へえー。
松本 それで、仙台であった講演会に伺って……。そこで弘前時代のお話もされていました。
奈良 ああ、子供の頃のね。
松本 はい。その講演で「あっ、だからか」と腑に落ちたことがあって。ご本人を前にして少し言いづらいですが、やっぱり私はあんまり奈良さんの絵をかわいいと思っていなくて。線の丸さはかわいいとか、そういう部分的なものはあるんですけれども、「かわいいより、もっと複雑なものがあるからだ」と思ったんです。「その複雑なものが何から来るのかな」と思ったときに、奈良さんの無意識をつくってきた、過去の風土だったり、景色だったり、出会った人だったり、そういうものを絵の奥に見ているから好きだったんだと、腑に落ちたんです。
奈良 なるほど。素晴らしい。過去の風土って聞いて食フードべ物を連想した自分が悲しいけど(笑)。ああ、でも、そうだと思いますよ。みんながよく言う「かわいい」というのは、「かわいい」に当てはまるものがいっぱいある中の一つの「かわいい」だから。キティちゃんがかわいいとかね。でも、僕の作品の根本は、一点だけじゃわからない。やっぱりトータルで見ないと。みんな「かわいい」という表層的な言葉に集約しちゃうけど、トータルで見ると、それこそ言葉にならないようなことが見えてくる。それは言葉にならないから、みんな何と表現したらいいかわからない。
 僕も表層的に見ている人がたくさんいるのは知っているし、みんな、たくさんの中の一つとして僕を見ている。でも、僕の中の「たくさん」を見ていない。レイヤーが重なった最後に絵が乗っかっているんだけれども、その乗っかっている一番上しか見ないというか。まあそれだけでもインパクトを残せるというのはすごく大切なことなんだろうけれども、自分が目指しているのはそういうところではなくて、やっぱり目に見えないものを見せたい。
松本 作品を通して、ですね?
奈良 はい。この間も取材で「見る人たちに何を見てほしいですか?」と聞かれたんだけど、見えないものを見てほしい。見えないものが一番大切で、見えるものを通して見えないものを見てほしい。
 でも、それはなかなか伝わらない。伝わらない人には、ずっと伝わらないと思う。でも、伝わる人というのは、すぐに伝わると思う。なんで伝わる人がいるのかというと、やっぱりある程度の年数を生きてきて、場所は違っても、生きていく中で自分と似たような経験をしていて、そういう心情的な経験値で理解度が変わってくる。
 自分の思いをわかってくれているなという人たちは、目に見えているもの自体を見ているんじゃなくて、目に見えないものを見てくれているから共感を持ってくれるんじゃないかな。

松本 「こういうふうに見るんだよ」と言われて見えるようになるのかと言えば、また違うように感じますね。
奈良 そうですよね。やっぱりこういう絵画とか音楽とか、言葉を超越するものって、小っちゃい子も、お年寄りも、国が違っても、その作品とコミュニケーションできるし、感じることができる。
 では、その経験って何なのだろうと考えると、南に育った人と北に育った人はやっぱり違う。自然に対する観念も全く違う。暑いから起こり得る天災とか災害と、寒いから起こり得るものと、やっぱりそのリアリティって経験しないとわからないじゃない?
松本 はい。
奈良 雪が降るところに生まれたら、子どものときに一回ぐらい「吹雪で死ぬんじゃないかな」という体験があるかもしれない。それは南の人は絶対にわからないし、南のよく台風が来るところの人の話を聞いても、経験していないとなかなか理解はできない。
 地震が起こったとき、地震を経験したチリの人たちが、日本のことをすごく心配してくれた。逆に日本の人でも地震を経験したことのない人は、チリの人たちとは感じ方は違うでしょう。体の中から同情したり、共感したり、大丈夫かと思ってくれるのは、やっぱり同じ経験をした人たちだなと思います。
 東北の震災があったときも、神戸の人たちがすごく心配してくれた。
松本 そうでしたね。
奈良 だから、もし僕の作品を読み解く方法があるとしたら、そういうこと。何かうまく言えないけれども。

言葉にすること

松本 心理学もいろいろな理論や分野があるんですけれども、私の専門は、深層心理とか、象徴とかを見ていくものなんです。どう語られるのかとか、どういう表現をされるのかということの奥にあるものを見にいっているところがあります。
奈良 これは怖いですね。心理学の人と会うと、全部見抜かれちゃう気がして、怖い。
松本 そんなこともないんですけど(笑)。よく言われるんですが、でも、それって、奥を覗かれるみたいな感覚が湧くからなのかな。
奈良 いや、でも、俺は逆に覗いてほしい。
松本 ああ、そうですか。
奈良 うん。自分では冷静に覗けないですよ。
松本 はい。
奈良 自分の中にあるものって、ポロッと出てくるときがあって初めて「ああ、俺の内心はこうか」と思ったり。絵を描くときでも、最初から「こういうものを描こう」と具体的なイメージがあるわけではなくて、最終的に自分と対話しながら何となく形ができていく。そのときに自分の中のものが出てきているんだなという意識がすごくあって、出てきたものに対して、「ああ、自分はこういうことを考えていたんだな」と後ですごくよくわかる。

松本 私は、奈良さんのツイッターも読ませていただいているんですけれども、とても言葉になさっているというイメージがあります。
奈良 いやあ、そうですか。なんかいつも書きっぱなしな感じで。
松本 作品は、もちろん言葉じゃないところで表現されている。でも、意識的に内面を言葉にしようとされているという印象を持っていたんですよね。
奈良 言葉は、やっぱりすごく難しいなと思っているけどね。例えば物語を文字で読むとき、文章として記憶するのではなくて、読んだときのイメージで記憶するのね。文字ではなくてイメージで記憶するから、それが後から何か違うものになって出てくる。絵になったり、音楽になったり。
 英語の歌を聴いて、ところどころしか単語がわからないのに全体がイメージできる。たぶんそれは英語でも日本語でもなく、ごちゃ混ぜになって頭の中でイメージしているから。言葉にはできないけれども、体で表現することができたり、絵で表現することができたりする。
松本 カウンセリングの中ですと、言葉はやはり意識するための道具みたいなところがあります。「言葉にならないもやもや」は、それはそれであっていいと思うんです。でも、「これが今の私の感情なんだ」みたいな、「私をつかむ」みたいなときに、言葉で「あっ、こういう名前がついた」という体験をすると、やはりその感覚が残るんだと思うんです。
奈良 ああ、なるほど。
松本 私は媒体として言葉にするんですね。だから、奈良さんの作品を見ながら、「この湧いてくる感じって何だろう」と、逆に言葉にしよう、言葉にしようとするところがありますね。

自分の中にあるもの

松本 豊田市美術館での個展に行ったんです。入り口から入ったときに、壁の右側にレコードのジャケットが飾られてあって、左側には本棚とか、奈良さんが集めていらしたものがありました。あのとき、ごく一部だと思うんですけれども、奈良さんの心の中に入っていったみたいな感じがしました。
 やはり、入り口みたいな意識があったのですか。
奈良 入り口というか、結局あれが4自分にとっては「出口」で、本当に見てほしいのはそこなんですよ。さっき言ったように、絵がいっぱい並んでいても、絵一枚から見えるものって限られていると思うし、トータルで見ないと自分というものが見えてこない。やっぱり僕が見てほしいのは、絵というより、自分の中にあるものなんじゃないかなと思ってます。そうじゃなきゃ面倒臭いツイッターとかもやらないだろうし。いつも人に対して言っているようでありながら、自分に対して確認するように書いているような気がする。それも、自分で自分を見たいという表れです。
 やっぱり気づいてほしいのは、過去に読んだ本とか、レコードとか、集めたものとか、そういうものから僕ができ上がってきていて、そのでき上がってきている人が現在進行形でこういう絵を描いているんだということ。作品自体よりも、そういうところを見てほしいんじゃないかな。

松本 私は《春少女》(p.1右側の作品)が好きで、でも、実物は見たことがなくて、家にポストカードを飾っていたんです。豊田市美術館で実際に見て、「生で見なければわからないものがとってもあるな」と感じた瞬間に、言葉になる前に涙が出てきたんです。
奈良 ああ、そうなんですか。ありがたいです。
松本 絵を見て涙が出たのは、《春少女》しかないんです。
奈良 それは光栄でございます(笑)。

松本 私にとって特別な作品ですね。
 どうしてももう一度会いたくて、今日、実は、ここへ来る前に横浜美術館に行って、《春少女》の前に三〇分ぐらい立っていたんです。
奈良 ああ、本当? 申し訳ない。周りの人から変な人だと思われる(笑)。
松本 やっぱり実物を見ると違いますね。どこに焦点を当ててもいろんな発見がある。絵の女の子と、目が合わないからというのもある気がするんですが、自分の奥を見られている感覚みたいなものがあって。私も、絵の表面の女の子というより、やっぱり向こう側を見ているみたいな感覚があった。すごく奥行きを感じたんです。
奈良 ああ、なるほど。
松本 表はピンク色ですけど、その後ろにいっぱい色があるというのが、歴史があるみたいな感じで、平面の絵を見ているはずなのに、時間の流れのようなものを感じて、今日もいい発見がありました。
奈良 そうですか。俺もそういう発見をしてみたい(笑)。でも、絵ができちゃうと、そんなに長い間見ないですね。
松本 ああ、そうなんですね。
奈良 うん。長くても一、二分くらいかな。やっぱり描いているときに、すごい時間、集中的に見ているから。描いていた時間を蓄積した分くらい、見る人に伝わればいいのかなと思うときがある。だから、最終的にそれがどんなに簡単に描かれたように見えても、その前に人が長くいられるものが、自分にとっていい作品なのかな。何かうまく言えないけど。
松本 もし何時間でもいられるのだったら、そこにいたくなるぐらいの感覚でしたよ。
奈良 ああ、そうなんですか。それは、駄目ですよ。
松本 (笑)。「ああ、今自分はどこにいるんだろう」という、戻ってこられないみたいな感じになるんです。
奈良 そうそう、だから駄目なんです。戻ってきてください(笑)

無意識に選択した結果

松本 奈良さんの学生時代についても伺いたいなと思っていたんです。
奈良 いやあ、全然見本にならないような学生だったと思います。全然勉強する意思もなかったし、美術大学へ行こうと思ったのも、小っちゃい頃から人より絵を描くのがうまかったからだし。受験勉強って、みんな大学へ入るためにやっているわけで、好きでやっているわけではない。みんなが受験勉強を一生懸命にしているのを見て、「俺はそんなことをしたくないな。どうしよう。でも、大学というところへ行きたいなあ。行かないと、駄目だよな」と思ったときに、努力しなくても絵がうまかったから、絵の学校だったら入れるんじゃないかなと考えたんだよね。画家になろうという意識はなかった。
 いろんなことが重なって、だんだん絵に対しても真面目になっていくんだけれども、学生時代は、本当に画家になりたいという人たちに囲まれながら、自分は「楽をして卒業できるのが美大だ」みたいな。実際、すごく遊んで、絵を描く時間より、映画や演劇を観たり、ライブへ行ったり、本を読んだりする時間のほうが多かった。
 卒業してからは、真面目にアーティストになろうと思っていた連中が挫折していって、自分は何となく適当にやっていたのに、だんだんその面白さがわかってきて、いつの間にか適当ではなくなって、残った。そんなんだから、学生時代のことは何の参考にもならないと思うよ。
松本 そういう奈良さんの学生生活に勝手にシンパシーを感じていまして。
奈良 いや、駄目ですよ。こんなふうに過ごしたら駄目だよという見本でした。大学院も、執行猶予が欲しくて受けたし。
 大学院の時に美大とか芸大へ行きたい人たちの予備校でアルバイトをしたんですよ。そうしたら、予備校に通っている高校生が、「先生」「先生」と呼ぶんだよね。大学にいるときは全然駄目な学生なのに、俺はその子たちが行きたい大学に通っているから、高校生は、俺の言うことを鳥の雛が親鳥を見るように信用する。彼らの眼を見て「もうちょっと真面目にならなきゃな」と思った。
 大学院が終わるまでの二年間でそういう気持ちになって、もう単純に自分がどうのこうのより、かかわり合った生徒たちに本当に「先生」と呼ばれるような人になりたいなと思って、もう一回勉強するために、ドイツに行ったんだよね。ドイツだったら入っちゃえば学費がいらないから。そうしてるうちに、何となく認められるようになった。いつの間にか周りからアーティストって言われるようになってたんだよね。
松本 これになろうと決めてやっていくという選択ではないとしても、結果的にやはり自分が必要なものとか、自分がこうありたいみたいな道を、無意識的にでも選択した結果なのかなというふうに感じますね。
奈良 うん、そうですね。そうやって「美術」をやってきたおかげで、いろんなものを、自分が美術以外でやってきたことを通して見ることができるようになりました。自分がどういうふうに生きたいかとか、そういうのがだんだんわかってきた。本当に、この年になって、ここ数年でやっとわかってきたというか。東北の震災があって、自分の中にあったくだらないものが削ぎ落とされて、よりシリアスに物事を考えるようになった。
 「美術」という一つの小さな世界ではなくて、ありきたりな言葉ですが、自由に生きるというか。やっぱり認められていくことで、逆に、「これは自分が望んでいた生きた方じゃない」とだんだん明確になってきた。もちろん絵は描いていくだろうけど。
松本 私は漠然と心理学の道へ行こうと思いながら大学に通ってはいたのですが、心理学って、「人を助けるんだ」とか「自分を知りたいんだ」とかすごく熱い学生がいて、みんな真面目だったんですね。それで、どうにもついていけないというか、ピンと来ないというか。
 大学に向かう途中に宮城県美術館があって、講義に行くはずだったのに美術館の中にいたり、アルバイトにのめり込んだり。学生時代って、さっき奈良さんがおっしゃっていたような、自由に生きる時間みたいな、自分が選んで自分が決めてという体験をするほうが、すごく楽しくて意味があった感じがします。その中で、すごく悩んだり、出会いがあったり、自分は何がしたかったんだろうということを考えるきっかけもあって、しっかり人の話を誠実に聴きたいなと思ったんです。「いい」「悪い」の評価ではなくて、その人がどういうふうに生きてきて、今をどう感じているのかとか、その背景にあるものをしっかり聴きたいという思いを発見してからは、すごく真面目に勉強するようになりました。
奈良 いい話だね。

松本 本でわかることとか、学問でわかることが、すべてではないと思っています。「仕事をしながらよくそんなに遊んでいるね」と言われるんですが、今でも学生時代以上に映画を観に行ったり、ライブに行ったり。最近、楽天戦を観に行くのも好きなので球場にもよく行きます。
奈良 楽天! さすが東北人。
松本 そういうものでできた私で、人の話を聴くということを大切にしたいと思っているので、奈良さんの経歴とかエピソードを読む中で、シンパシーを感じていたんです。

震災が与えてくれたもの

奈良 今までは、物事を大雑把に見てきていて、すごく漠然と生きていたことは確かなんです。だから、絵を描いている中でも、やっぱりおちゃらけてやっている部分もあった。 震災の後、そのおちゃらけた部分をなくしていこうとしている自分がいたなと思う。それから、震災が、もう一つ僕に個人的に与えてくれたものは、自分がどこで生まれ育ったかということです。
 東京に上京した頃は、まだ自分というものが全然できていなくて自信がないから、自分のバックグラウンドを語るときに、例えば、「棟方志功が出たところだぞ」とか、「太宰治って知っている?」とかさ。
松本 自分ではないもので語るんですね。

奈良 そう、親戚でも何でもないのに、自分の身内のように言う。でも、上京したての人たちは、やっぱりみんなそうなのね。そういう表面的なリスペクトから出発して、だんだんその中で自分というものをつくっていったときに、自分がリスペクトしなければいけないのは、そういう名前が知られた人たちではなくて、自分のお祖母さん、お祖父さんとか、いつもリヤカーで物を売りにきていたあの人とか、自分が見てきた無名の人たちであって、名の知れた人たちほど、実は何も与えてくれないことにだんだん気がついていった。
 でも、そうやって自分ができていったはずなのに、二〇〇〇年あたりからいろいろ認められるようになって、また見えなくなっていたんだよね。それが震災でまた揺り戻されて、その無名の人たちによって自分はでき上がっているということを再確認した。
松本 認められるようになってから見失ったというのは、外から自分がどう見られているかということが意識されたとか、そういうことですか。
奈良 うーん、こういうことをやっても許されるというか。遊びでやってみたものでも、それなりにみんなが面白がってくれる。でも、それは自分としては遊びでやっているという感覚を忘れて「それもいいものだ」みたいに思っちゃう。それがシリアスさがない部分というか、ちょっとおちゃらけた感じ。それはそれで、そういうのが必要な時代というか、空気があるのかもしれないけど、震災があってシリアスになった。
 あと、そうだね。二〇一一年に横浜美術館でやる予定だった個展を、震災が起こる前だったんだけど、時間的にちょっといいものができそうにないというので、二〇一二年に遅らせてもらったんだよね。最初のアイデアでは、「Let’s Rock Again!」みたいなテーマで、ガーンと行く感じの展覧会にしようと考えていた。「Let’s Rock Again!」。今でも恰好いいな思うんだけど。でも、その延期した間に震災があって、何かちょっと違うなと。ロックとか、そういうものが届かない人にも届くようなものをつくらなきゃという気分が盛り返した。自分にしかできないもの、それはやっぱり自分と対話していくもの。そういうところから生まれる作品が、個人個人がその作品と対話できるものになり得るだろうし、そういうことをしなければだめじゃないかと気づかせてくれたのは、やっぱり震災だと思う。

想像力の使い方

松本 二〇一二年の展覧会の存在は、私は見落としていたというか、意識に上っていなくて、なんでだろうと思ったときに、あの震災を経験してからの一、二年って、やっぱりちょっと自分が違う感じになっていたからですね。
奈良 ああ、何となくわかります。
松本 私が住んでいるのは仙台市の中央のほうなので、津波がきたり、家が壊れたりということはなかったんです。でも、精神科の病院で働いているということもあって、通って来られていた患者さんが、海のほうに住んでいて、家を全部なくしたとか、もともと傷ついて受診している方々がもっと傷ついたということを聴いていたりとか、記憶に残っている土地が全く何もなくなっちゃっているのを目にしたときに、目が全然外に行っていなかったなという気がします。改めて考えたら、やっぱり私自身が傷ついていたんだなと思うんです。あれを外側から見るのと、あの地域に行って感じるのと、だいぶ違うんだろうと思いましたね。
奈良 うん、そうだよね。
松本 それまで、阪神・淡路大震災って、遠いところの話のような気がしていました。
奈良 リアリティを持てるか持てないかって、やっぱりそれに似たような体験、あるいは、それ以上の体験をしないと見えてこない。
松本 想像力の使い方も大事だなと思います。例えば、本当に患者さんの気持ちを知ろうと思うと、私はいじめも受けなきゃ、虐待も受けなきゃ、もう壮絶なことを受けなきゃわからないのかと言ったら、それはまたちょっと違うと思うんです。「ああ、この感覚って、もしかして、私が昔感じたこういう感覚と似ているのかも」というところから入っていくというか。「絶対に私にはその人の気持ちはわからない」ということも含まれていないといけないと思うんですけれども。

奈良 本当にその人の中にどっぷり入ったら、大変なことになる気がするなあ(笑)。
 やっぱり似たような体験を増幅させたり、小さくしたりしながら共有していく。僕は、気づいてなかっただけかもしれないけど、子どもの頃にいじめられた記憶はない。でも、海外へ行って、アジア人だからということで差別的な待遇を受けたことと照らし合わせたり、外国語が話せないときに言い返せない、そのもどかしさ。これは、たぶん子どもが大人に対して感じていることで、子どもは言葉が返せないから、ギャーッと声を出したり、泣いたり、物を壊したりするんじゃないかとか。それは、自分の体験と照らし合わせて初めてわかっていくというのがある。
 そういう体験を自分がしてきたことを、逆に財産だなと思うようになっていく。何も苦労なく育った。それは、傍はたから見ていると幸せそうに見えるかもしれないけれども、苦労してきた人のほうが、いろんな共感する要素を持っているわけです。
 いつも笑っているだけの体験ではなくて、泣いたり、もどかしかったり、いろんな体験をしてきたほうが、逆に笑いの喜びの大きさがわかるだろうし。喜びの中にいたら、やっぱりそれが幸せだということがわからない。
松本 うん、そうですね。
 どうしても、人って見たいようにしか見なかったり、一部の見えるところで判断してしまったりしがちだと思いますし、それで自分を守っているところもあるとは思うんですけどね。

奈良 それで、楽しい時ほど、苦しかった時のことを忘れちゃうよね。
松本 今はすぐ調べられる時代だから、知っているつもりになってしまったり、経験した気になってしまう。昔、弘前の小さいレコード屋に行って、そこで一生懸命CDを探して、「ああ、このジャケット、恰好いいな」と思ったり、あまり売れていないCDを買うには、注文をしなければいけなくて、届くまでのタイム・ラグがあるから、届いたら歌詞カードを隅々まで見て「ああ、このサポートのギターの人って、あのアルバムにもいた人だ」みたいな。
奈良 ああ、わかる、わかる。
松本 自分で苦労した切実さみたいなものがあって初めて体験になる気がします。田舎に育って、欲しいものは自分で追いかけていかないと手に入らなかったというのが、今は良かったなという感じがしています。
奈良 そうですね。音楽の配信やYouTubeのサービスが始まって、自由に平等にみんなが見たり聴いたりできるようになった。昔は、お金を溜めて、レコードを買ったり、CDを買ったりしないといけなくて、やっぱりレコード会社もお金を儲けたいから、売るためにすごく広告を使って、買わせるように仕向けていく。今は、逆に言うと、買わせるように仕向けられなくても、みんなが好きなものを探せるし、すごく安く手に入れることができるとも言えるよね。
 すると、今は今で、悪い言い方をすると、簡単に手に入り過ぎるようになった。ある意味平等に好きなものを集めることができるようになったけど、本当に探し求めてつかみ取ったみたいな充実感はないかもしれない。俺はやっぱり昔のほうが好きで、わかる人しかわからない、その共通言語としてロックがあったりとか、こういう恰好をしていたら仲間だとか。今そういうのが全くなくなった。でも逆に、フラットに平等になっている感じもあるね。
松本 心って、その時代、風土、いろんな文化によって、常に変わっていくものだと思うんですね。だから、善し悪しではないと思いますし、たぶん今の時代を生きている人たちの心があると思うんです。
奈良 今の若者と話をして決定的に違うのが、やっぱり想像力の問題なんだよね。
 ほら、昔は、待ち合わせをして、来なくても、連絡の手段がないじゃない。今だったら、すぐ電話したり、メールしたり、いろいろできるけど。すると、すごく心配しちゃうのね。心配しちゃう、イコール、相手は何をしているんだろうと想像する。「どこかで事故に遭っていないかな」とか、「電車に乗り遅れたかな」とか、いろんな想像がでてくる。
 そこで、思いやるとか、想像するという機能を働かせるわけじゃない。簡単に連絡が取れるようになると、その機能を使わないから退化していく。すると、相手の気持ちがわからなくなっていっている。
 だから、どうしてもわかり合えないものというのが、「ああ、これがジェネレーション・ギャップか」と俺は思ってて。
 子どものときに、うちの兄貴たちが「三〇歳以上を信用するな」とか言ってて。誰だって三〇歳を超えるのにさあ(笑)。「ジェネレーション・ギャップ」という言葉が出てきたけど、自分は現実には「ジェネレーション・ギャップ」というのを感じたことがなかった。年を取った人でもわかり合える人もいるし、若い人でもわかり合える人がいる。そう思っていたんだけれども、そのマスとしての、世代としてのギャップというのが確かにあるんだなというのが、携帯電話とかの登場によって目に見えたというか。「ああ、こうやって人間というのはジェネレーションができていくのかな」みたいな。
 だから、携帯がないところを旅すると、すごく気持ちがいいね。
松本 まだまだお伺いしたいところですけれども、そろそろ時間のようなので。
 奈良さんが、これからまた年を重ねて、経験を重ねて。どんな作品ができてくるのか、とても楽しみにしております。
奈良 いやあ、作品は、あまり期待しないでください。
松本 じゃ、活動も含めてですかね。
奈良 そうですね。二〇人くらいが集まるようなところで、全員の顔が見える状態で何かしたいね。そういうことを、たぶんどんどんやっていくのではないかと思っています。
松本 楽しみですね。ありがとうございました。

広報誌アーカイブ