臨床家とリフレッシュ

 普段の生活の中でも元気を回復することは日々必要です。軽く体を動かす、美味しいものを食べる、お笑い番組を見て大笑いする、家族と過ごす、なども日常の中での私の大事なリフレッシュですが、臨床家として、苦しみや悲しみ、葛藤に寄り添う中では、意識して元気を多めに補充しておく必要がありそうです。特に子どもの臨床が専門の私は、子どものエネルギーや変化の速さに触れるので、そこに楽しさや喜びがあるとは言え、体力気力ゲージの減りも速いように思います。災害支援の活動に携わることもあり、そこで感じる言葉にならない感情を自分で理解して消化するには、積極的に意識してリフレッシュしていくことが大事です。

着物を着ることとリフレッシュ

  臨床家としてのリフレッシュという視点で言うと、私にとっては「着物」を着ることがその一つのようです。祖母や母から譲り受けた着物は簞笥に眠ったままの時期が長く、どこか気にはなりつつも、現代の生活の中では積極的に着る機会はないままでしたが、あるとき、なぜか不思議と「着物を着たい」と感じるようになりました。子どもたちが遊びの中で、あまり考えることなく気になるおもちゃや遊びを無意識に選び、自分に必要な体験をその中で探り当てていくように、私も着物を手にとったような感じです。

 着物を着るようになって感じるのは、洋服と比べて動きが制約され、全然早く動けないということ。歩幅も小さくなり、ものを取るときも長い袂で周りのものをなぎ倒さないように袂を軽く押さえるなど、いつもとは違う体の動きが求められます。普段の私はいつも何かしら気ぜわしく、常に移動は小走りという生活なので、こうした着物の制約によって必然的に生じる「ゆっくり動くこと」が、私にとってはとても気分をゆったりとさせてくれます。ゆったりすることで、時の移ろいや今という瞬間を深く感じる充実感にもつながるようです。まさにマインドフルネス。着物を着ることが「普通」のことというよりも「非日常」に近い感覚なのも、日常のあれこれから離れるリフレッシュ効果を高めているのでしょう。さらに和服は腰回りに紐をキュッと締めて、帯で背中を支えるので、丹田に力が入り、自然と 良い姿勢になります。「ゆっくり」だけど「しっかり」。まるで理想の臨床家の姿のようです。

舞の世界に触れる

 着物を着るようになると、和の伝統文化にも関心が湧いてきます。歌舞伎、落語、お茶など、気になるものをいろいろ体験してみると、古典の世界が逆に新鮮に感じられることもあり、その非日常感がリフレッシュにつながります。浅い知識での、あくまで私的な体験ではありますが、日本舞踊もまた臨床家にとっていろんなリフレッシュ効果があるように思います。少々マニアックな話になりますが、日本舞踊にも色々なジャンルがあって、舞と踊りの違いも実はあります。踊りが大きな派手な動きが多いのに対して、舞はお座敷で舞妓、芸妓の芸として発展してきたので、動きも埃を立てない静かな抑えたものが多いとのこと。私は、舞の中でも特に「地唄舞(じうたまい)」とか「地唄もの」と呼ばれるジャンルに魅力を感じ、少しお稽古したりもしています。
 「地唄舞」では、普遍的な心情が抑えた動きで表現され、特に悲劇的な状況が描かれることが多く、何もかもを失った女性が出てきて、「失った」状況から曲が始まり、その心が曲と振りで様々に描かれます。例えば、有名な地唄の一つ、『蘆刈』は私も好きな舞で、愛する人を失った女性の心を、水辺の自然を豊かに描く叙景的な歌詞と振りの中で表現していきます。

 歌詞だけではわかりにくい心の機微が、幾度も舞う稽古をしていると、その振りを通して、自分の中に湧き起こってくる感情に出会います。明確にわかりやすい悲しみの表現(よよと泣き崩れるとか)は一切ありません。例えば、白鷺が飛んでいくのを見る視線や動きの中に、「今」という時をとどめたい気持ち、先に進みたいけどどうしても進みたくない足の運び、浜辺の荒々しい松風にまるで自分がなるかのような扇の動き、一つ一つの振りから、迷い、葛藤、決意、絶望、願望、そして悲しみと愛情が感じとれます。そうは言っても、こういう気持ちを表現しよう、と考えて舞うことはなく、上げる手の高さ、体の傾け方、首の角度、視線、という一つ一つの動きを師の通りに真似して、ただ正しくその動きを再現できたときに、初めてその気持ちが湧いてきてハッとする体験がとても不思議です。まるで自分の無意識にあったものを自分の動きで発見するかのような面白さがあって、舞うたびに新鮮な驚きがあります。

象徴、イメージと心の回復:古典的な象徴に癒される

 このように地唄舞には、雪、滝、月、花など、自然が詠み込まれていることが多く、歌詞と振りの中に多くの象徴があり、その連想から深い気持ちを感じます。子どもの臨床では特に、子どもは象徴を多く使って自分の心を様々に表現する中で、成長や回復を見出すことが多く、それは、大人にとっても大事な心の機能です。伝統文化でなくとも、物語や詩、音楽、一枚の絵などから、私たちは豊かに象徴と連想を得て、心を分かち合い、回復していく支えにするのだと思います。
 私はある地唄の「月」を表す象徴的な振りがとても好きなのですが、扇を開いて、そこに月を映し出し、扇に映った月を胸に優しく抱くようにするのです。その動きをした時、いろんな連想が一瞬で心に湧いてきます。去ってしまった遠く愛しい人を想う気持ちなのか、静かな夜の月の光が私に寄り添ってくれている慈悲なのか、とにかくじんわりと心に何かが溶けていく、そんな体験があります。私にとって、とても印象的で大事なイメージ、象徴の一つです。さらに和の伝統文化はジャンルを超えた連なりがあり、舞から能、浄瑠璃、落語、和歌などを広く知ると、一つの象徴からの連想が無限に広がります。昔にタイムスリップして、先人が苦しみを昇華するために紡いできた象徴や連想に触れ、時空を超えた受容と共感を得ることで、今の心の元気を回復する、それが和の伝統文化で私が感じているリフレッシュなのかなと思います。

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