私は1974年4月九州大学教育学部カウンセリング講座助教授に就任し、1997年定年退官まで23年間九州大学教育学部教員として勤務しました。この間 成瀬先生から多大な学恩をいただきました。その一端を披露して私の感謝の気持ちとさせていただきます。
就任早々のころ、成瀬先生からお声がかり、研究室に招いていただき、一時間ほど歓談したことを覚えています。お菓子とお茶をいただきました。「村山君。学部の教員は自分のお店を出すことなんだよ」といわれました。「前職の九大教養部と違うぞ」といわれた感じがしました。なんだか身が引き締まる感じを覚えています。私のイメージでは「お店を出すとは、デパートの専門店のようにそこでないと買えない商品を売る店」と理解しました。私は帰国したら、CSPのロジャース研究所で学んだエンカウンターグループ(EG)とフォーカシングを研究したいと決めていましたので、改めて「この二領域がこれから私が開拓する専門領域」と心に決めました。先生のことばが私の背中を押してくれました。
幸い以後、院生たちが全国から集まってきて、EGの実践と研究を展開しはじめました。ある年の修論・博論の公聴会の時でした︒院生・学部生の発表を聞いていた先生が「村山君。そろそろEGの理論をこさえたら」と助言されました。「こさえる」という先生独特のいい回しの言葉を今でも鮮明におぼえています。これまで多数の独戧的な仕事をされてきた先生でないといえない言葉です。これを機に私は、野島一彦さん達とEGのプロセス理論・ファシリテイター論・事例をまとめる作業を展開しました。「独戧」の味をチョッピリ楽しむことができました。ご示唆に心から感謝しています。「こさえる」スピリットを忘れないようにしたいです。
これも初期のころと思います。成瀬先生が動作法の開発をされていたころです。ある教授の送別会でした。帰途、たまたま先生とタクシーで一緒になりました。先生はさりげない調子で「村山君。明日は整形外科医の大会で、動作法を説明し、整形外科医と対決することになっている」といわれました。その時の先生のなんというか凛とした、落ち着いた語り口、落ち着いた強さが印象に残っています。
私は1986年文科省在外研究員でUCLAに滞在していました。ある時先生から手紙が来て「エリクソン財団主催の21世紀の心理療法大会があるので参加しませんか」とのお誘いでした。アメリカにいながらこの大会は全く知りませんでした。このおかげで、ロジャースを含めた当時の27名の世界的に著名な心理療法家達にあうことができました。個人的にはロジャースの「生前最後」の大講演を聞く機会を得たことがたいへんありがたかったです。このように、先生は見守り、グッドタイミングで誘いをかけていただき、私に成長する機会を戧っていただきました。
最後に、日本心理臨床学会の設立の時です。第一回大会が九大で開催されるまでいろいろなことがありました。リサーチ中心の日本心理学会に対して事例研究を中心とした本学会が成立した学問的背景には、実験心理と臨床事例の両者に理解を持つ成瀬先生と河合先生の深い相互理解があったことが大きいと私は信じています。
成瀬先生の生前の学恩にたいして心から感謝申し上げ、先生のご冥福を心からお祈りします。