いつの間に…推し活ブーム到来
今日もテレビからラジオから
雑誌からいろんなステージから
元気な姿を見せてくれ
それだけで心満たされる
これは「キュウソネコカミ」というロックバンドが二〇一八年に発表した『推しのいる生活』(作詞:ヤマサキセイヤ/作曲:キュウソネコカミ)という曲の歌詞です。この曲のリリースから五年が経った二〇二三年現在、「推し」や「推し活」という言葉は私たちにとって非常に身近なものになっています。
NHKの朝の情報番組では二〇二〇年以来、「#教えて推しライフ」という「推し活」に関する企画が定期的に放送されています。二〇二一年には「推し」が新語・流行語大賞にノミネートされました。とある報道によれば、二〇二二年の段階で「推し」のいる小中学生は九四%にのぼるそうです。いつの間に「推し」や「推し活」はここまで私たちの生活に入り込んでいたのでしょうか。そもそも「推し」や「推し活」とはいったい何なのでしょうか。
まず「推し」とは、「他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入ってる人や物」とされます(デジタル大辞泉、二〇二〇)。要するに、「推し」とは「応援している対象」のことであり、「推し活」とは「誰か(何か)を応援する活動」を指します。
「推し」という言葉の起源には諸説ありますが、八〇年代からアイドルファンのあいだでは存在しており、九〇年代にはインターネット上の匿名掲示板で「モーニング娘。」のファンを中心に使われていたようです(廣瀬、二〇二〇)。その後、より多人数のアイドル「AKB48」が登場し、握手会や総選挙といった独自の文化を築き上げていきます。その過程で『チームB推し』(二〇一〇)という曲を発表するなど、彼女たちも自分たちが「推されている」と認識していることが明らかになってきました。このように、「推し」という言葉を使うときには、推す側と推される側に「関係性」が発生しているのが特徴と言えるでしょう。「推す」という行為においては、単に「好き」という状態を超えて、「応援
する」という自分の主体的な営みと、相手との「関係性」が核になっているのです。
とはいえ、以前からジャニーズファンの「担当」や宝塚歌劇のファンの「ご贔屓」など、誰かを特別に好きになったり、その誰かが成長していくことを共に喜び、応援することを表す言葉は存在していました。それにも関わらず、なぜ「推し」という言葉、そして「推し活」はかつてなく広く、急速に普及しているのでしょうか。
我推す、故に我あり
ひとつには、「推し」という言葉がポジティブかつカジュアルに使われるようになったことがあげられるでしょう。以前であれば、「推ししか勝たん」と言いながら同じCDを大量に買ったりする人、同じ現場(ライブや舞台、握手会など)に繰り返し通ったりする人は、一般の方々から「・・・すごいね」と若干引き気味の目で見られていたように思います。
しかしながら少し前から、そうした(ある意味で常軌を逸した)行動を積極的に肯定する動きが生まれました。推し活のもたらす幸福感に焦点が当てられるようになったのです。推しを応援することによって生じる「心満たされる」体験は言わずもがな、それを他のファンと共有できる「共感」の体験は、推し活の特にポジティブな側面でしょう(同担拒否の場合は除きます)。さらに推し活で推しとの「関係性」が発生するに伴い、自分を省みるということも起こります。「推しに恥じない自分でありたい」と自分磨きに精を出す人もいれば、「こんな自分でも推しに良い影響を与えることができるのかも」と自分の存在意義を再発見する人もいます。どれだけ自分の存在を疑ったとしても、推しを推している自分だけは確かに存在する・・・「我推す、故に我あり」、不安定で流動的な世の中で、そのような人が増えているのかもしれません。
このようにして推し活は楽しい生き方・ポジティブなライフスタイルとして大衆に広まりつつあるのだと考えられます。ちなみにSNS全盛の現代では、「〇〇って最高」「応援してます!」など推しへの賞賛の投稿をするだけでも推しを応援すること、すなわち推し活が可能です。このような指先ひとつででもできるカジュアルさが、お金を自由に使えない若い世代や、イベントに参加するのが難しい地方の人々にも支持され、「推し」や「推し活」といった言葉の裾野が広がり続けているのではないでしょうか。
「そう言われても、芸能人にもアニメにも興味ないし、自分には関係ないかな・・・」。そう思う人もいるかもしれません。しかしながら多くの場合、推しというのは作るものではなく、気づいたら「推している」ものなのです。そして研究者やカウンセラーであっても誰かの推しになりえます。実際、私の推しは古代ギリシャ研究家の藤村シシン先生です。先生の講座があれば聴講し、感想の手紙を書き、本が出れば買い、先生がお好きだというお茶をお贈りし・・・といったように、推し活の対象は別に芸能人や有名なキャラに限らないのです。
その「推し活」大丈夫?
先日SNSで興味深い画像が回ってきました。「その『推し』』大丈夫?」というメンズ地下アイドル(メジャーデビューしていない男性アイドル)に関する注意喚起のチラシでした。てっきり誰かがネタで作ったものかと思いきや、警視庁少年育成課が作成したもので、推し活が公権力の目に留まるようになるとは・・・と驚くとともに感慨深くなりました。
推し活は辛い現実を生きる活力を与えてくれるものです。しかしその幸福感の強烈さゆえに、供給が途絶えたときに飢餓感が生じ、経済的に無理をしてしまったり、心のバランスを崩すことも起こりえます。推しとは一周回って、人生には不要不急の、どうでもいいものです。どうでもいいものだからこそ、夢中になることに意味があります。ですので、疲れたら推し活を休んでも良いのです。そのことを忘れず、心健やかに推し活を続けたいものです。
●参考文献
廣瀨涼(二〇二〇)若者に関するエトセトラ(2)若者言葉について考える②―推ししか勝たん― ニッセイ基礎研レポート
2020-07-10