「僕、魔法とか魔術の研究がしたいんですよね」
大学生のある日、将来の進路に迷っていた私は、授業の合間に片隅の喫煙所でご一緒した年配女性教授に向かって、雑談交じりにこう話しかけました。すると、その先生は煙草を吹かしながらこともなげに「それなら臨床心理学ね」と答えたのです。冗談めかして言った私の言葉には、実は密かな本心を紛れ込ませていましたが、まさかそれにこんな当たり前のように真っ直ぐ答えが返ってくるとは思ってもみませんでした。私はすでに魔女に臨床心理学を習っていたのか、と自身の将来への道筋が繫がったように感じたことを覚えています。
今や中年となった臨床心理士が語るこのイタい昔話を、現代に生きる若い方はどう思われるでしょうか。恥ずかしながら、私は今でも、心理臨床の場で人の心が創り出す不思議な現象や、人と人との出会いが織りなす縁に触れるたびに、またそのことを誰かと語り合ったりするたびに、かつての中二病的発想で夢見た「魔法研究」に取り組めているかのようなワクワク感を覚えます。
遠隔での情報伝達やテキスト・画像・動画の検索、AIによる自動制御といった魔法のような技術が日常となり、手元の端末で何でもできてしまうようになった時代になっても、私たちの生活を支え、動かしているのは、今なお科学的な理解が及ばないことばかりです。今も昔も、魔法を使って何にでも変身できる子どもがいます。その子ども達の周りには、お化けやものの怪、サンタクロースの仕業によって不思議な出来事が頻発します。大人になっても、私たちの生活にはわからないから知りたくなる、見たくないことに何度も直面してしまう、人の言葉に動かされてしまう等々の不思議に溢れています。
あれから25年の月日が経ち、私がこうして心理臨床の世界で続けてこられているのは、あの魔女とのやり取りから始まった「逢魔」が今も続いているからかもしれません。コロナ禍や震災といった理不尽や、不安を抱えながら生きていくという非合理に踏み込んでいくためにも、心理臨床の魔法が必要になることもあるのではないでしょうか。