ひとり親家庭という生き方
近年、「ひとり親家庭」という言葉が、「母子家庭」「父子家庭」に代わって積極的に用いられるようになりました。ひとり親家庭の定義はいくつかありますが、ここでは、離婚や死別など、何らかの理由で、18歳未満の未婚の子どもの養育と生計をひとりの養育者が主に担っている家庭を指すものとします。「養育者」は、いわゆる「生みの親」「生物学的な親」の場合もあれば、それに限らない「法律上の親」もあります。
心理臨床の現場に身を置くと、さまざまな家庭のあり方に出会います。ひとり親家庭かどうか以前に、家庭というものは、ひとつとして同じものはなく、多様です。そして、その内実を知っていくことで、知らず知らずのうちにはまり込んでいた先入観や偏見に気付かされ、家族や家庭のあり方、親子のあり方、それぞれの人のもつ心の強さやポテンシャルに、目を開かされることも少なくありません。
実際のひとり親家庭は一括りにしにくいほど実にいろいろです。母あるいは父との死別によって父子あるいは母子で生活している家庭。夫のDVで離婚した母親が就労して生活基盤を整えながら子育てをしている家庭。親の実親やきょうだいなどの原家族に協力を得られる場合。原家族との関係に難しさがある場合。逆に原家族の介護もおこなっている場合。親自身が病を抱えている場合。親の経済力も幅がありますが、生計を立てながら、子育てをしながら、さらにさまざまな事情を複数抱えながら、人生を歩んでおられる親と子のそれぞれの目から見た世界や、それぞれの心が感じていることには、そのギャップも含めて、学ぶことが多いと感じています。
ひとり親家庭をめぐる偏見の問題
「ひとり親家庭」という用語への変更の動きは、家庭をめぐる一種の社会的偏見を払拭しようとする動きのひとつの表れです。たとえば、"父母と子という家族構成による家庭が一般的である"という偏見、つまり、"父母のどちらかが欠けている家庭"という偏見といったものが、社会にはまだまだあるのではないか、というわけです。
確かに、このような偏見は社会のさまざまな局面に散見されるようには思います。一方で、その社会に生きる人が、こうした偏見に違和感をもつ場合も少なくないのではないか、とも思います。一般に、家族や家庭のイメージ、母親・父親や子どものイメージ等は、その社会の時代や文化の影響を大きく受けています。その社会では当たり前とされる家庭や親や子のイメージに違和感を覚えたり、イメージに縛られて苦しんだり、といったことは、多かれ少なかれ、どんな人にもあるのではないでしょうか。
すでに、ひとり親家庭はまったく珍しくなく、むしろよく出会うように思います。ひとり親家庭の親子の方々の、ふとした時のあり方に、社会的偏見を打ち破る一つの生きた答えを見出して感嘆することもあります。それだけでなく、知人同士の集まりで、ひとり親家庭であるかどうかをことさら意識することもなく交流し、個々がそれぞれの家庭で抱えている目下の悩みをシェアしあう中で、個々の事情固有の困難について相互理解を重ねたり、苦労や努力を労い合ったりする中で、どこか通じ合う普遍的な要素も見いだされてくることも体験します。
ひとり親家庭をめぐる格差の問題
個々の個人レベルでは理解が進んでいる面があるとしても、あらためて社会全体に目を向け直すと、ひとり親家庭には社会的弱者としての側面があることは否めません。実は、数十年前から、ひとり親家庭をめぐる社会的偏見や無知の問題が、法律や行政の不備や対応の不均衡を生んでいるため、家庭の多様性をカバーしうる法や行政の整備が必要である、と国内外で指摘され続けてきた歴史があります。
2021年度の全国ひとり親世帯等調査(旧・全国母子世帯等調査)によれば、母子世帯が約120万、父子世帯が約15万、父母以外の養育者世帯の数は不明ですが、これだけでも約135万世帯にのぼります。ひとり親家庭の親の就業率は8割以上と低くはないのですが、父親の場合は7割が正規雇用であるのに対し、母親は正規雇用が5割を下回り、非正規雇用が約4割を占め、年間収入の平均は父親の約500万に対し、母親は約270万です。実際の個々の家庭の状況はまちまちとはいえ、全体にならした時には、親の性別による経済格差が顕著であると言わざるを得ず、かなり苦しい状況に追い込まれている母子の家庭も少なくないであろうことが推察されます。
このように、ひとり親家庭の問題には、女性の地位が著しく低いという、日本社会のもつ性差別の問題が深く根を下ろしていることがわかります。子どもの貧困問題、少子化・晩婚化の問題も同根です。国際的見地からは、日本社会は、マイノリティや格差の問題を、社会のもつ課題としてではなく、個人や家庭の問題として捉える傾向が強く、法整備等も遅れていると指摘されています。2023年4月1日、「こども基本法」が施行されました。子どもの権利条約が国連総会で採択されたのが1989年、日本の批准が1994年ですので、締結国による法・行政整備(4条)の実現に30年かかったわけですが、その地点に到達できたのは喜ばしいことです。この法と同時に発足したこども家庭庁は、「こどもまんなか社会」の実現に向け、喫緊の課題である、子どもの貧困とその根底にある性差別の問題に取り組むとしています。われわれ一人ひとりも、親と子のそれぞれの目線を大切にしていきたいと思います。
子どもの力
最後に、子どもについて少しだけ。これまで、心理臨床の現場で、たくさんのひとり親家庭の親・養育者と子どもにお会いしてきました。一人一人の顔が浮かびます。一人一人異なるので、十把ひとからげにしたくない気持ちが強いのですが、現場に入った頃に出会った不登校の中学生Aさんに登場してもらいましょう。Aさんは血のつながりのない祖母と二人暮らしでした。実質的な育ての親と感じ、あたたかくて大好きと語っていました。そんなAさんは、一番古い記憶を尋ねた時、こう答えました。
赤ちゃんの頃、お母さんが服薬自殺しようとするのを止めようとしているところ。
まだ言葉をしゃべれない頃で、必死にはいはいで近づいて行っているところ。
その頃は、お母さんと二人暮らしだった頃。
これを聴いた瞬間、二人の姿が見えました。Aさんの、お母さんへの、家族としての、共に生きる者としての、生きものとしての、強い愛のようなものが、強烈に胸に突き刺さり、堪えきれず涙があふれてしまいました。「Aさん、赤ちゃんなのに、すごいね」と言うのが精いっぱいでした。Aさんも涙を静かに流し、二人して泣きました。
人の絆や心のつながりの本質を、最もダイレクトに心で捉えているのは、子どもです。家庭の形ではなく、心の絆とは何なのかといった、目に見えにくい本質に、理屈でなく、心が反応しうる。そういう力と強さを、子どもはもっていると思っています。