希望のコウノトリに運ばれて生まれてくる私たち
私たちは、たいていの場合、多くの希望をもってこの世に生を受けます。「優しく思いやりのある女の子に育ってほしい」「強くたくましい男の子に育ってほしい」など、私たちは、母親や父親、さらにはその祖父母などから、多くの希望を持って迎えられます。この願いについて、フランスの児童精神分析家であるレボヴィシは、母親にとっての「想像上の子」と命名しています。すなわち、こんな子になってほしいと願う、母親にとっての"希望の子"という意味です。
虐待家庭や一部の例外を除いて、私たちの生の第一歩は、希望とともに始まるのです。
〝大きな希望〟を背負った子どもから、〝小さな希望〟のわかる大人へ
さて、私たちは親からの希望を背負って歩き始めるわけですが、それは次第に私たち自身の希望となります。誰しも経験のあるところでしょうが、スポーツや音楽などの習い事を始めたりしますと、私たちの夢は膨らみます。「プロ野球選手になりたい」「ピアニストになりたい」など、私たちは、自分の可能性に希望を託します。小学生くらいまでは、夢はどんどんと膨らむかもしれません。ですが、次第に私たちは、"現実"に出会います。自らの才能や努力が、そこまで及ばないことを知るのです。私たちは自らの希望に"幻滅"していきます。すなわち、「僕はイチローにはなれない」、それどころか「プロ野球選手にもなれない」「野球部のエースにもなれない」ことを知っていくのです。
このように、私たちの人生は、"希望"が"現実"に出会う"宿命"を背負っています。その宿命の衝撃が外傷的になれば、"絶望"と化します。ですが、宿命の衝撃に耐えられれば、また"次善の希望"を描くことも可能なのです。このことを精神分析家のウィニコットは、「脱錯覚」のプロセスと呼んでいます。すなわち、私たちは、イチローにはなれなくとも、草野球の選手にはなれるかもしれない、あるいは、道を違えて"企業戦士"や"頼りになるお父さん"にはなれるかもしれないのです。
私たちは、いわゆる"小さな希望"なら摑むことができるかもしれないのです。
さて、ここで心理臨床の中で、過酷な運命により、"絶望"に見舞われた事例についてお話ししましょう。私の臨床経験に基づいていますが、戧作事例です。
〝希望〟は〝絶望〟の裏側に眠っている
私どものように心理療法を本分とする仕事をしていますと、さまざまな事例に出会います。ここではDV事例を簡単に紹介しましょう。
その女性は、二〇代にてうつ症状を主訴に私のもとに現れました。彼女は、付き合っている男性との間で、DV被害に悩んでいたのです。ですが、生育歴を聞いてみると、彼女はもともと両親から虐待を受けていました。父親は家庭の支配者で暴力が激しく、母親は冷淡な人でした。
心理療法が開始されますと、彼女は何事も淡々と他人ごとのように語りました。しかも、彼のDVはひどいものだったにもかかわらず、彼女は必ず彼のもとに戻っていくのです。理由を聞くと、「よくわからない」など、要を得た返答は返ってきません。時には人を食っように、「暇だから」などと語ります。彼女は運命の流れに身を任せ、"考えようとしない"のです。
ところで、「心理療法って何?」って聞かれることがよくあります。一概には答えられない難しい質問です。ですが、精神分析という人のこころを深く理解していく種類の心理療法では、"考えること"がとても重視されるのです。何を考えるのかというと、自分について、他者について、自分と他者との関係について、セラピストと共に考えていくのです。それによって、「自己を知り」、自らの自我(主体性)を強くしていくことを目的とします。
したがって、私は彼女の態度にかなり苛立たされました。まるで他人ごとのように、ひどい目にあっても、その状況を"考えようとしない"からです。途中経過は省きますが、結局彼女は、自分の運命に"絶望"していたのです。ですが、それは無理もないことです。小さい頃から暴力の鞭に打たれ、長じてからもDVにあい、彼女は自らの人生を呪っていたのです。ですから、彼女は運命のなすがままに"無力"になっていたのです。
言葉を換えれば、彼女は"破滅願望"を強く宿していたともいえます。私は、それを彼女に解釈(伝達)しました。「あなたは、暴力の中で無力になって死んでいき、彼にも自らの運命にも復讐しようとしているのでしょう」。もちろん、その復讐の中には、カウンセラーとして幸せな人生を送っているようにも見える、私に対する復讐も含まれていることでしょう。彼女は、自らも世の中も憎み、死んで最後に一矢報いようとしていたのです。
彼女は私の言葉に顔色を変えました。「そんなひどいことを言ってもいいのですか」と言うのです。それからは、彼女の淡々とした態度も変わりました。私に対して、明らかに嫌がらせの言葉を吐くようになったのです。すなわち、私に対する"復讐"が始まりました。ですが、それとともに、彼女の生への意欲が復活したのです。なぜなら、彼女は私に対する"復讐"を「わがままを言える」こととして、体験するようになったからです。
これは何と"小さな希望"でしょうか。「わがままを言える」「思ったことを言える」というのは、通常の人生でしたら、幼い頃から当たり前のことでしょう。それが彼女の人生では、まったくかなえられることなく、"絶望"と化していました。それでも、その絶望の裏側では、「わがままを言える」が、"小さな希望"として眠っていたのです。
ほかにも、過酷な運命に晒されたクライエントは、数えきれません。彼らはみな、「頼りになるお父さんにもなれなかった人」たちです。ですが、先の彼女が、「わがままを言える」希望を宿したように、"小さな希望"なら誰しも手に入れることもできるのです。
希死念慮が強く、長く引きこもっていた女性は、長い心理療法の果てに「このまま男の人と付き合うことなく死ぬのは嫌だ」と語るようになりました。彼女の、その"小さな希望"も、現実にはかなえられることはないのかもしれません。しかし、たとえかなえられなくとも、こころに"小さな希望"が宿れば、生への意欲に灯がともります。
私たちが現実と向き合い、考え続けることができるのなら、"希望"は"絶望"の裏側で静かに目を覚ますのです。