巻頭対談: 吉田恵里香 × 嘉嶋領子

嘉嶋 私はカウンセリングを生業としていますが、吉田さんの作品を読むと「私たちの仕事と共通する視点を持っていらっしゃる」と感じます。それにしても、文章も素晴らしいですし、その若さで本当に幅広いお仕事をされていますよね。
吉田 いえいえ、依頼が来たものをすべて引き受けていたら今のようになっただけで…。でも、ありがとうございます。
嘉嶋 この『恋せぬふたり』は最初テレビで観ていたんです。アロマンティック・アセクシュアル(他人に性的欲求や恋愛感情を抱かない人)をテーマにしていて、私のクライエントの中にもそういう方が何人かいらっしゃいます。その一人から1週間くらい前にたまたま電話がありました。「自分は異性に恋愛感情が持てないから同性愛なんじゃないか」と相談を受けていた方で、かと言って具体的な同性愛のイメージも持てない。「自分を変えなければ」と強く思っていた方なので、この作品の話をして「無理に変わらなくても、今の自分自身とうまく付き合っていければ、それでいいんじゃない?」と伝えたら、「そういう考え方は今まで聞いたことがなかった」と言いつつ、とても納得した様子でした。だから私は『恋せぬふたり』にすごく助けられたんです(笑)

吉田 それは私も嬉しいですね。どうしても「恋愛・結婚・出産」という人生のモデルケースというかロールモデルみたいなものが先にあって、その生き方に沿うことであったり、恋愛の価値や優先順位が高い人はいてもいいと思うんですけど、だからと言ってすべての人がそうでなければいけないみたい状態はとても生きづらいですよね。そもそも、そういうセクシュアリティや考え方があること自体まだ知られていない現実があります。
嘉嶋 そして、当事者たちは周りと同じ価値観にどうしても合わせられない自分の方に、どこか欠陥があるんだと感じてしまうわけですね。
吉田 学校でもそういうことは教えてこられなかったし、LGBTQという言葉だけが出てきても実態はよくわからない。そんな中で「知ろう」とするのではなく、もう少し自然に「知る」ためにエンターテインメントに何かできることがあるのかなって思います。ちょっと偉そうな意見なんですけど。
嘉嶋 でもドラマという形を通して「そういう生き方があるんだ」ということが伝わった意味はやっぱり大きいです。LGBTQも言葉は知られたけど、まだ何か異質な存在として周りから理解されず、親からも理解されずに苦しんでいる方がいます。私もこんな仕事をしていますが、テレビや小説を通して知ることがたくさんあります。この小説の『恋せぬふたり』では登場人物が特別な存在ではなく、市民の一人としての生活がちゃんと描かれているところがよかったですし、男女二人の交流を通じて、女性が自身を理解していくとともに、男性の側もある呪縛から解放されて新しい人生を、自分が本当にやりたかったことを始めていく。自分を締めつけていたものが緩んでいく。これはカウンセリングがうまく進んだときに起きる現象と同じで、私は上質なケース記録を読んでいるような気がしました。
吉田 そうなんですね!実はアロマンティック・アセクシュアルを描くときに当事者の方から「なぜ男女で描かなければいけないんだ。同性同士でもいいのではないか」という声をいただきました。それはすごくもっともな意見だと思うんですが、何も知らない人に説明するときに、例えば女性同士の話にすると、他者に恋愛感情を抱かないということが伝わりにくくなってしまうんですね。だから『恋せぬふたり』は、そういう批判があることを踏まえて創ったところがあります。今の嘉嶋さんのお話を聞くと、自分の考えは間違っていなかったという言い方は変なんですけれど、とても嬉しく感じました。

「いい子」「いい母親」像の弊害
嘉嶋 何か1つの新しい概念が出てきて、それが持てはやされると、すべてそのように見えてしまうことがありますね。精神医学の世界でも「境界例」や「愛着障害」という言葉が流行ると、例えば生きづらさの原因はみんな愛着障害だというふうにされてしまう。今だと「ぼっち(ひとりぼっち)」という言葉が小学生の間でも使われていて、これはもう強く人格を否定する言葉になっているんです。自分が「ぼっち」だと言われたくないし、もし言われたらそれはもうイジメだと。そして、その反対が『虎に翼』(NHK連続テレビ小説、作・吉田恵里香)に出てくる優未ちゃんです。彼女は「友だちはいない」とサラッと言い放つ一方で、困ってる同級生を助けて「普通のことでしょ」と言っています。
吉田 子どもたちの世界だけで言えば、大抵の子は友だちは欲しくて、できないのは辛いことだと思うんですけれども、あまりにもこの社会が友だちがたくさんいることを良しとしていますよね。学校のクラス分けなんて地域ごとにただ集められただけで、大人で言ったら抽選で勝手に決まった人たちと旅行に行くようなものじゃないですか(笑)。一人でいても全然いいし、もうクラスの中で仲の良い子ができたらラッキーくらいに思えばいいし、優未という存在は世間が求める「いい子」には絶対描かないようにしたいという思いはありました。子どもとしての成長や成功が、友だちがいっぱいいて、みんなをまとめることこそが最高みたいになるよりは、一人でも平気だということを視聴者の多い朝ドラでやっていくことには意味があったと思っています。
あと、優未の母親である寅子にしても、「疲れて御飯が作れないときはお菓子でもよくない?」と、いわゆる良き母として描かないという気持ちはありました。親は子どもに寄り添い、決して怒らずにニコニコして、毎日おいしい御飯を用意して、勉強を見て本を読み、9時ぐらいに寝かせるみたいな、あまりにもいいお母さんのイメージが今の社会の中で凝り固まっていて、もしそれができていないとあなたは落第です、減点しますというような空気がありますよね。
嘉嶋 厳しい現実の中で生きているお母さんたちに、まだ母性神話が求められているんですね。私はよく言うんですけれども、人間だけが、母親が授乳するときに赤ちゃんの顔を見ている。動物にはそんな余裕はなくて、授乳中も常に周りを警戒しています。だからやっぱり人間は、母と子というユニットを周囲がサポートする、そういう社会を作ってきたわけです。よく母親による虐待が問題になりますが、そういう母親は周りにいる人からサポートを得られなかったのだなと思います。
吉田 私の息子が今年5歳になるのですが、ちょうど妊娠中に新型コロナが出始めて家にいることが多かったんですね。そのときにNetflixで『赤ちゃんを科学する』というドキュメンタリーを観ていて、その番組によると、これまで子育てをする母親からはオキシトシンというホルモンが出ていて、それが「母性」とされていたんですが、実は男性でも赤ちゃんの世話をしているとそのホルモンが出ることがわかったんです。要は世話をしていれば出るホルモンなのに、なぜか母親だけのものとされていた。そういうふうに社会の風習や道徳的に正しいとされていたことを科学で解明していくんですが、妊娠中にそういったことを学べたことはとてもよかったです。

嘉嶋 オキシトシンは「幸せホルモン」とも呼ばれていますね。
吉田 もう一つ、赤ちゃんは何日かに1回、脳をまとめてアップデートする日があって、その最中は意味もなく泣いたりぐずったりするらしいんですよ。だから、何をしても子どもが泣いてしまうときは「今は脳がアップデートしているのかな」と思って、それで私はすごく救われました。例えば、子育ての本でも何か道徳的なことを言われるよりは、科学や心理学に基づいて「こういうことだよ」と言われる方が安心できたりしますね。
「性弱説」で生きる
吉田 『虎に翼』には美佐江というキャラクターが出てくるんですが、もともとは男性として話を考えていました。でも男性の登場人物が多くなってしまって途中で女性に変えたんです。それで一番予想外だったのが、視聴者の方から彼女のことを「魔女」や「魔性の女」と捉える感想が出てきたことなんですね。演出の影響もあったと思うんですけど、私としては10代の人間が性別を変えただけでそこまで見え方が変わるのかと驚きました。
嘉嶋 そう言えば、「魔性の男」という言葉はあまり聞かないですね。
吉田 やっぱりそこには社会のフィルターというか、「人を惑わすのは女」みたいな意識があると思います。女性の犯罪者が注目を集めたり、一定数そういう存在が好きな人がいるというか。ただ、あまりそうした状況は良くないなと思っていて、いわゆる世間が期待するような「魔性の女」にはしないようにしました。ほかにも、夜中に外を歩き回っている子は「悪」に決めつけられるけど、そうじゃない部分ももちろんありますよね。エンタメにはそういった固まっている偏見を溶かすという役割もあると思っています。
嘉嶋 確かにみんなそれぞれの場所で必死に生きていて、最初から悪い人間になろうと思っている人はいないはずです。いじめにしても、仲間の中で何とか自分の居場所をつくろうとして追い詰められてやったことが、結果として他者を切り捨てたり、苦しめたりになってしまうことはありますよね。
吉田 よく人間は「性悪説」「性善説」のどちらなのかが論争になったりしますが、先日受けた対談の中で「そうではなくて『性弱説』じゃないか」という考えを聞いて、私はすごくそれが良い言葉だなと思いました。人は生まれながらにして弱いわけだから、どうしても誰かに依存したくなったり、助けを求めようとして逆に強く自分を見せてしまったりする。そういうことはすごくあるなと思って。
嘉嶋 どんな人でも天使の部分と悪魔の部分があって、天使の部分を引き出してくれる人と会っていると、その人はとても良い人になるのかもしれないですね。そのどちらかが表面に出てくる前に、「性弱説」があるのは正しいように思います。
例えばカウンセリングで私は、クライエントのために一所懸命やろうとしてもうまくいかないときは、「なかなか開かない扉は、開けてはいけない扉かもしれない」と考えるようにしているんですね。
吉田 その場合、その扉は開けずに何か別の良いところを探すんですか。もしくは無理に開けないようにするのがいいんですか?
嘉嶋 いろんな可能性を考えますね。開けたことによって何かが爆発するかもしれないですし、その扉の向こうで何が起きているのか、何か見落としていることはないかと、情報を集めます。そうすると少しずつ「こっちの扉は開かないけれども、あっちからなら大丈夫」ということが見えてきたりします。

「はて?」と「スンッ」に込めた思い
嘉嶋 あと、吉田さんに会ったらぜひお聞きしたかったのが、『虎に翼』の中で「はて?」と「スンッ」という言葉が出てきますよね。この2つの言葉がどこから生まれたのだろうと思って。
吉田 この作品のテーマに「声を上げていいんだよ」「対話しましょう」ということがあるんですね。弁護士を目指す主人公の寅子が「はて?」と言うときには、そこに何か間違っていること、おかしなことがあるとわかる合図がほしかったんです。「女性も出世できる世の中にすべきだ」と言うと、「子どもには母親が必要だ」「子育ては女性が責任を持ってやるべきだ」みたいになる。でもそれは、決して女性の我がままではなく、当然の権利だし、それが制限される状況に対しては「はて?」と疑問を持っていいし、怒っていいわけです。ただ、そこから対話につなげていくには、けんか腰に「はあ?」みたいな言い方だと、相手の心のシャッターが閉まってしまってダメだから、なるべく柔らかい言葉がいいなと思っていました。

嘉嶋 臨床心理学者の河合隼雄先生は、カウンセラーは自分とクライエントとの中間に言葉を置いて、その言葉をクライエントが取ろうと思えば取ればいいし、取らないでおこうと思えばそのまま置いておけばいいとおっしゃっているんですね。例えば、そこで「異議あり」と言えば、相手は答えを突き付けられているように感じるわけですが、「はて?」と置けば、「自分はちょっと疑問に思っています。あなたはどうですか?」と相手にも選択の余地を残しているところがありますよね。「はて?」という言葉はすごく絶妙だと思いました。
吉田 もう一つの「スンッ」は、この作品の中では、例えば男の人が前に立ってその後ろで女性が黙っているとか、自分の手柄を立場が上の人間に横取りされて、それに対して何も言えなかったりする、そういった明確には言語化できないモヤモヤした状況を表す言葉なんですね。ただ、男性のスタッフに説明してもピンと来ない人が多かったですね。
嘉嶋 女性にとっては「スンッ」となることで自分を守っているところはありますよね。
吉田 これ以上傷つかないとか、これ以上苦しい思いをしないという意味もあるし、多くの女性はそのあたりのことを説明しなくてもわかるというか、「あるある」なんですよ。もちろん男性でもわかる人はいるのですが、すり合わせにかなり時間がかかったりしました。作品の中ではそれを理解してもらいたいわけではなくて、「そういうものがあるんだ」とふわっと伝わるだけでいいという思いがありました。
「輪の外」で、できること
吉田 私は時々SNSで「海外への募金」の情報とかを拡散するんですが、そうすると「日本で困っている人がいるのになぜ海外の支援をするんだ」というコメントが複数来たりします。おそらくその人から見ると、余裕のある人間が遠い国の人を助けることにすごく怒りを覚えているんだなと思います。私としては、自分ができることは国内外問わずにしたいという気持ちからなんですが、そういった人とどういうふうに対話すればいいかすごく悩むんですね。一切関わらないというのも正解ではあると思うんですが、何か適切な距離の保ち方というか、カウンセリングでいうところの「寄り添い方」みたいなものはあるんでしょうか?
嘉嶋 SNSってどういう人がどういう状況でそれを見ているのか、わからないですよね。私たちカウンセラーは目の前にいる人と話しているので、その人がどういう状況に置かれていて、どういうことで傷ついているかという情報をある程度持った上でその人に届く言葉を発していきます。そこはやはり違いますよね。その「こっちの人を助けず、なぜあっちの人を助けるんだ」ということにしても、目の前に溺れている人が2人いてどちらを助けるか、という話とはちょっと違うわけです。だから、意見の一つとして受止めはするけど、どちらが正しいかについては、そこまで責任を持ちきれないと思うんです。
吉田 自分が抱えられる限界はありつつも、エンターテインメントの業界にいる作家として、できることはしたいし、何か良くしたいという気持ちはあるんですね。やっぱりそのことを声に出したり行動に移さなければ状況は変わらないと思うので、私はこれからもやり続けるつもりです。ただ、作品の中では、あんまりきれい事を言い過ぎても届かないし、一つの解決法を示してもそれですべてが解決できるわけではないので、どうしたらいいのかいろいろ考えてしまってすごく悩みます。だから、どんどんシナリオを書くのが遅くなっています(笑)
嘉嶋 例えば、大河の源流から海にたどり着くところまで、全部をきれいにできればいいけれども、やはり一人の人間では限界があるから、私はまず自分の手の届く範囲の水をできるだけきれいなままにすることが大事かなと思っています。仮にその人が困っていてもその人の生活をこちらが支えることはできない。だから、そこはもう「ごめんなさい」と言うしかないのかなと。私は万能の神ではないので。
吉田 私も基本はSNSで返信をしないんですけど、あまりにも「苦しい」と言われると、やっぱり何かしてあげたい気持ちに駆られるんですね。ただ、「してあげたい」というのも傲慢だし、相手から褒めてほしいわけでもなくて、自分のできる範囲で何か少しでも良い方向に変えたいということです。例えば、自分の限界がこの輪の中だとして、何かを頑張ろうとすれば輪の外に出ないと基本できないと思うんですよ。輪の中で頑張ることも間違いではないんですが、そこからはみ出すことで生まれることとか、自分の限界より超えたことをやることで生まれるものがいっぱいあって…。ただ、そこには絶対に失敗も付きまとうわけです。
嘉嶋 その輪の中って自分の経験値や過去の実績ですよね。いわばAIで抽出できるような部分であって、より大切なのはその外側にあるAIではカバーできない未知の領域だと思います。これから人間がAI全盛の世の中で生きていくために、やっぱりその外側で勝負して、しかも失敗することが容認されるようにならないと、人間のクリエイティヴィティは生かされないと思います。
吉田 自分は別に完璧だったり、すごく頭が良かったりするわけではないんですけど、常に行動や作品作りにおいて、この「輪の外」にあることをしたいんですね。それは環境に余裕があるから、恵まれているからできるというのも違うように思っていて、そんなことは関係なく、輪の外側に行ける世の中でなければいけないと最近よく考えています。
嘉嶋 私はカウンセラーという仕事を長くやっていますので、その昔、不登校だった子たちがもうみんな大人になっているんですね。それでたまに顔を出してくれて、結婚したり新しい仕事を始めたりしたことを話してくれるんです。そういう報告を聞いてこちらも幸せな気分にさせてもらうんですけど、やっぱり枠からはみ出た子たちに希望を持ちたいなと思いますね。それまでの人生で相当な苦労をしたり、人から責められたりしてきた子たちなんですが、そういう彼ら彼女らが新しいものを創っていってくれることに期待を寄せたいと思います。
吉田 子どもたちって社会の大人たちの行動を見て、物事の善し悪しを何となくわかっていくというか決めていくじゃないですか。だから、大人がもう少し失敗することに寛容だったり、いわゆる「普通」がすごく偏見にまみれた「普通」だったりすることが見えてくる世の中になったらいいなと思いますね。

カウンセリングで○○○○
吉田 今日はいろいろなお話ができて嬉しかったんですが、『虎に翼』で扱った法律も今日出てきた心理学も、私たち人間の感受性に密着していることなのに何か距離があるというか、生活とは少し離れたところにあるじゃないですか。私は『虎に翼』を通して法律を自分事に引き寄せていくのが楽しかったんですが、そういう意味で心理学やカウンセリングをもっと身近に感じやすくなる方法って何かあるんでしょうか?
嘉嶋 「カウンセリング」という言葉って、わかっているようでわからない言葉ですよね。カウンセラーごとに、自分なりのカウンセリング観があると思うんですけど、私は「同行二人」という、お遍路さんが夜の田舎道を一人で歩いていてもお大師様と一緒だから大丈夫という、あれと同じだと考えています。そうやって共に歩く人がいることで、物事をより冷静に見ることができる。たとえ今は大変な状況にあっても、お互いに「はて?」と言い合いながら一緒にどうするかを考えていければ、それがカウンセリングになっていく。例えば、戸締りを何度も確認してしまう強迫行為がある人がいて、その行為をやめさせる治療法もありますが、一時的に変わってもまた元に戻ってしまうことがあるそうなんですね。もし症状をなくすことに焦点を当てていると、リバウンドしたときにがっかりしてしまう。そうなるよりも、今のままの自分とうまく付き合っていくことができれば、それでいいんじゃないかと。そうしていると不思議と強迫行為が薄れていくことがあります。
最初にお話ししたアロマンティック・アセクシュアルも一緒です。今のままの自分とうまく付き合っていければそれでいいと。そこから人生が開けていったほうが合理的でもありますよね。「私は私のままで、自分では困った人間だと思うけれども困った人間のままでもいいんじゃない?」と思えることが大切だと考えています。

吉田 そういう社会になると本当にいいですし、何か人に頼ることがもっと気軽な感じでできればいいのにと思います。弁護士でもカウンセラーでも、なかなか相談のハードルって高いですよね。相性の問題もあるし、もちろんその人が抱えているものの状況にもよるんですが、もし1回目がうまくいかなかったとしても、例えば美容院を変えるように別のところに行って、もっと気兼ねなく「やり直し」ができるくらいがいいですよね。
嘉嶋 カウンセリングは「受ける」と言うけど、相談は「する」です。「受ける」という受動的なものから、「する」というアクティヴなものに変わる必要があると思っています。
吉田 それこそ何かもっと言いやすい言葉ができたらいいですよね。サウナに入ることで「整う」みたいな言葉も流行りましたよね。それに近い何かが生まれればいいのになあと思います。
嘉嶋 今だとスクールカウンセラーに相談した経験がある人はたくさんいるでしょうし、ドラッグストアのレジ横のちょっとしたブースで子どもの発達についての相談を受けるといったことも始まっていると聞きます。
吉田 それはすごくいいですね。人はやっぱり新しいことにどうしても保守的というか慎重になるので、そういう手軽さや気軽さは大事だと思います。なんだろう、心をデトックスする的な何かみたいな…。全然いい言葉が浮かばないんですが(笑)
嘉嶋 「ちょっとここに置いていかない?」という感じかな。全部でなくていいので、心の荷物をカウンセラーにちょっと預かってもらうみたいな。
吉田 人に話すことで気持ちが楽になったりリフレッシュできたりしますよね。少しだけ自分の失敗を認めたり、完璧ではない自分を認められるというか。そもそも完璧な人なんていないという気持ちになっていれば、たぶんほかの人へも優しくなれると思うし、そういうことがどんどん広まっていけばいいなと思います。こんなことを言うといつもきれい事だと言われちゃうんですけど。でも、そういう一歩の踏み出しが確かにあるのかなと思っています。
嘉嶋 うんうん、そうですね。今日は残念ながら時間が来てしまいました。カウンセリングについてのいい言葉、考えてみます(笑)
吉田 すみません、何かいろいろ偉そうに言って(笑)。今日は楽しかったです。

吉田恵里香(よしだ・えりか)
脚本家・作家。1987年生まれ。神奈川県出身。主な脚本執筆作に2024年度前期連続テレビ小説『虎に翼』、映画『ヒロイン失格』、ドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』『君の花になる』『生理のおじさんとその娘』などテレビドラマから映画アニメまで数々の作品の脚本を手がける。ドラマ『恋せぬふたり』で第40回向田邦子賞・第77回文化庁芸術祭優秀賞を受賞。アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』で第9回ANIMETRENDINGAWARDS(ATA)最優秀脚色賞を受賞。執筆した小説に『恋せぬふたり』(NHK出版)などがある。
嘉嶋領子(かしま・えりこ)
九州大学大学院人間環境学府博士後期課程単位取得退学。臨床心理士。公認心理師。大学卒業後、人材開発関連の企業に就職。結婚、子育てを終えて、九州大学大学院教育学研究科に進学。1999年よりスクールカウンセラー。かしまえりこ心理室代表。主な著書に『スクールカウンセリングモデル100例』(共著)、『神田橋條治スクールカウンセラーへの助言100』(共著)(いずれも創元社)、DVD『心理臨床を学ぶvol.13スクールカウンセリング』(原案監修医学映像教育センター)など。吉田恵里香著『僕とあいつの関ヶ原』(東京書籍)を激推し中。