私にとって、成瀬先生は親戚の、長老の大叔父様といった存在だった。お会いする機会は少なかったが、思い出は一杯ある。しかも、どれも強烈である。

 1995年の九州大学主催第14回日本心理臨床学会大会の会場で座長の成瀬先生は、フロアからの質問に対して逆質問をして、質問者を立ち往生をさせていた。私は、その場で母校に教員として着任したご挨拶をした。それに対して成瀬先生は「今夜、我が家に来なさい」と鶴の一声。
 築港のマンションには九大関係の皆様が集まり、お盆の親戚の集まりのような宴会。私の祖母の弟が鈴木清といって東京教育大学の心理学教授や心理学会長をした人で、成瀬先生の親しい先輩であった。それで、その話で盛り上がった。
 一緒に行った私の研究室の女子学生(現駒沢女子大学藤川麗教授)が成瀬先生に直々に動作法を施術されて、嬉しい悲鳴を上げていた。

 2000年頃、心理職の国家資格化を巡って日本心理臨床学会と日本心理学会の幹部がいろいろと難しい交渉をしていた。そのような時期の日曜日の早朝に、家人が「奇妙な電話がかかってきた」と言う、「ナルセだ」としか言わないというのである。
 私は、「やばい! 成瀬先生だ」と思って一目散に電話口に向かった。「今日これから心理学会系の会合で国家資格関連の話をするのだが、君の情報と意見を聞かせてくれ」というものであった。
 狩猟やスキーが御趣味で豪放磊落な印象のある成瀬先生だが、とても繊細に情報を集め、慎重に緻密な計画を立てておられた。

 その頃、私は、日本臨床心理士資格認定協会の仕事として、英国の複数の大学の臨床心理学やカウンセリングのコースを訪問し、心理職のカリキュラムの調査研究をしていた。その報告を、京都で文科省との共催で行われた臨床心理士養成カリキュラムのシンポジウムで発表した。
「臨床心理士はもっと社会性をもつべきである」という私の発言に河合隼雄先生が激昂した。当時の認定協会の木田宏会頭が目を丸くして驚いておられた。
 その時、最前列におられた成瀬先生が挙手されて「下山さん、謝ったほうがいいよ」とアドバイスをくださった。壇上で河合先生にお詫びをしたのを、今のように思い出す。

 成瀬先生は、2014年に大著『動作療法の展開』(誠信書房)を出版された。私は、その年の日本心理臨床学会第33回秋季大会で「臨床動作法を追い求めて」というテーマで成瀬先生と対談をさせていただいた。
 丁寧なお手紙をいただいたこと、鶴光代先生も交えて事前にお会いして打ち合わせをしたこと、先生が最新のマインドフルネスをしっかり勉強されていたのに驚いたことなど、懐かしい思い出である。90歳の成瀬先生は、矍鑠(かくしゃく)としておられステーキを美味しそうに食されていた。

 成瀬先生のような不世出の先生の謦咳(けいがい)に接する事ができたことは、つくづく幸せであると思う。先生の偉大さに比較して自分が如何に愚かで、しかも若造でしかないかを身にしみて自覚できるからである。
 ご冥福をお祈りしつつ、いつ、またお電話やお手紙を突然いただけるのではないかと思ったりしている。合掌。

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