はじめに

 大人達は心を捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ 退屈な授業が俺達の全てならば〈中略〉盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま 暗い夜の帳りの中へ

 いきなり40年前の曲を引用して、戸惑わせたかもしれません。1980~90年代にかけて活躍した歌手、尾崎豊のデビュー曲『15の夜』の一節です。当時の若者を熱狂の渦に巻き込んだこのヒットソングも、40年が経過すると受け止め方もずいぶん変わってきたようです(「バイクを盗むなんて、人に迷惑をかける行為はダメでしょ」という具合に)。それでも、「退屈な授業」を受ける場所としての学校のイメージは、昔も今もあまり変わらないかもしれません。
 尾崎が活躍した当時の日本は、それまでの急速な経済成長に停滞の兆しが見え始めていた頃でした。この時代を「バブル崩壊」あるいはその後に続く「失われた30年」として政治経済の授業で習ったことがあるでしょう。え? 記憶にない? うーん、そうかもしれない。グローバル化、資本主義経済、世界金融市場なんかは、授業を受ける私たちにとってまるで自分とは無関係な絵空事のように感じられたかもしれません(私も、“神の見えざる手”くらいしか覚えていません)。とは言え、今を生きる若者にとって日々のお金のやりくりは切実な問題ですし、最近の物価上昇から経済の劇的な変動を身に染みて感じているはずです。この記事では、そんな現代を生きるために必要な、それでいて学校では教えてくれない「お金(経済)」と「心」の関係を探ってみましょう。

離島の臨床心理士

 自己紹介が遅れました。私は香川県小豆島に住み、島の総合病院で心理専門職として勤めています(つまり経済の専門家ではありません)。離島はなかなかユニークな場所で、近所の方から畑で採れた新鮮な野菜や釣った魚を気前よく分けていただくことがよくあります。また、地元の商店で買い物をする際には、「店員の〇〇さん」「いちご農家の△△さん」といった顔なじみの結びつきが生まれることもしばしばあります。離島というアクセスが不便な場所では、資本主義経済の枠組みの中にありながらも、都市部とは異なる助け合いの原理が働いています。もちろん、離島であっても孤独や孤立、貧困といった社会問題は存在しますが、これらの問題はしばしば地域社会の相互扶助によってケアされています。では、こうした離島の原理とはどのようなものなのでしょうか。心豊かに生きるヒントがここにありそうです。

お金を増やす呪文はない

 先にお断りしておくと、この記事では心理学理論を駆使してお金儲けの秘訣を伝授するわけではありません。実際、お金を増やす魔法の呪文なんて存在しません。いや、まぁ完全に否定するわけにもいかないかもしれません。「オルカン!」とか「エスアンドピーゴヒャク!!」とスマートフォンに向かって呪文を唱えれば、お金が増えることがあるかもしれません(もちろん、減ることも…)。お金の問題は私たちの人生に常に付きまといます。例えば、学費の支払い、奨学金の返済、初めての就職で知る税金の額、結婚、子どもの誕生、ローン、などなど…人生の様々な局面でお金の問題に直面し、経済の循環と再分配のメカニズムを目の当たりにするなかで、お金(経済)が個人の利益のためだけではなく社会全体にとっての価値を向上させるために設計されていることを少しずつ理解するようになります。「稼ぐことだけではないお金(経済)との付き合い方」を知っておく必要がありそうです。

「贈与」の価値

 「稼ぐことだけではないお金(経済)との付き合い方」とは一体どのようなものでしょうか。ここでは、「贈与(よりカジュアルな言葉では“奢り”)」というヒントを挙げておきましょう。例えば、コンビニで缶コーヒーを購入する際、お金を受け取る店員が何者であるかは、通常、私たちにとって大きな関心事ではありません。しかし、学校の帰り道に友人から奢ってもらったコーヒーの味は、何年経っても色褪せることなく記憶に残ります。この違いは何でしょうか? それは「奢り」という行為に、単なる金銭のやり取り以上の価値が含まれているからです。奢るという小さな行為は、ただ喉を潤す200ミリリットルの飲み物という価値を超え、その瞬間に交わされた気持ちや関係の深まりを象徴しています。私が離島で受け取り、そして返礼している数々の恵みも、贈与のひとつのかたちと言えます。もちろん、贈与という行為も決して万能ではなく、その弊害も常に考えねばなりません。例えば、後輩に気前よく奢ったとしても、翌朝自分の財布が空だと気づいたら、かなり痛い目に遭いますよね。身の程にあった「小さな贈与」を行っていくことが大切です。

きみのお金を誰かのために

 戦争、疫病(ウイルス)、地球沸騰化(温暖化)、経済格差…いまの地球がどんな危機に見舞われているか、一週間分の新聞をパラパラとめくると大体把握できるでしょう。このような不安が漂う世の中で、私も時々、気持ちを軽くするために「出よ、ニーサ!」と呪文を唱えてみたりします。ですが、それと同時に、庭で採れたレモンでシロップを作り、近所の知り合いや友人に配ることで、飲んだ人の心が温まることを願うような贈与の実践も大切にしたいと思っています。
 冒頭に挙げた『15の夜』の続きにはこう歌われています。

 闇の中 ぽつんと光る 自動販売機 100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ

 かつて100円玉で手に入れることができた缶コーヒーの温もりも、値上がりにより今では一段と高価なものとなりました。経済の変動と連動する私たちの生活では、求める温もりの希少さと価格が変わっています。ただお金を稼ぐことが幸せへの道とされがちですが、困難な時代だからこそ、賢く投資しつつ、誰かに温もりを与えられるような「稼ぐことだけではないお金(経済)との付き合い方」を見つけることが肝心でしょう。これは学校では教えられないかもしれませんが、人間関係を豊かにし、より良い社会を目指していくために貴重な教訓です。

JASRAC 出 2405294-401

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