教育現場での代表的な心理士の職種として、スクールカウンセラー(以下SC)が挙げられるだろう。今回は、SCが映画やドラマの中でどのように描かれていたのか、そしてそれがどう変わってきているのかということについて、映画『あの空をおぼえてる』(冨樫森監督、2008年)とテレビドラマ『明日の約束』(2017年)を比較しながら述べていきたい。

 映画『あの空をおぼえてる』では小日向文世さんが小学校のSC役を演じている。物語は家族をテーマに、幼い兄妹が交通事故に遭い妹だけが亡くなってしまった現実を、家族一人一人がその痛みを受け止めていくまでの軌跡を描いたものである。10歳の兄、英治が通う小学校に勤務するSCは普段からカツラをつけていて、退院して小学校に戻ってきた兄の様子を担任教師と傍で見守るところからコミカルに描かれている。まるで事故のことなどなかったかのように振舞っていた兄だったが、ある国語の授業中に妹のことを思い出し、教室から飛び出してしまう。一人で佇む兄の傍に、SCの小日向文世さんがひょこっと隣に座るのだ。「どこの国の真似をしているかわらないけど、近頃はなんでもカウンセラーだ。まぁ俺はそのおかげで飯を食っているんだけどな」と軽妙に話しかける。一方的に話しかけるSCに対して、兄は「放っておいてくれます?」と突き放すのだが、SCは「そりゃそうだよな、どうせ話を聴いたって俺がやってやれることなんて、何一つもない」と言い、つけていたカツラを外す。カツラをつけていた理由を"自分の娘がお願いしたからだ"とSCは話すが、それは当時のSCがまだ学校という組織の中でまだ認知されず、見た目(SCが学校の中で機能するかどうかに問わず、溶け込むこと)が最優先されていたことを物語っているようにも思える。そして、映画の中でSCが話を聴くのは相談室ではない。設定が小学校ということもあるからだろうが、SCは学校の至る場所に出没して、子どもたちの様子を見守り、時には「保健室行くか?たっぷりカウンセリングしてやるぞ!」と、いたずらをするこどもたちに対してユーモラスに関わったり、時には家まで行って、家の近くにある遊び場で兄の話を聴いたりするのだ。SCはとても自由に、そしてシリアスな映画の中でとてもコミカルな存在として描かれている。この映画には、「何ものかわからない」SCがコミカルに描かれることで、「わからない」という不安を払拭しようとしているとも思えるのだ。

 一方、『明日の約束』ではSCはどのように描かれているのだろうか。『明日の約束』は『あの空をおぼえてる』から約9年後の2017年に放送されている。小日向文世さんは小学校のSC役だったが、『明日の約束』では、私立高校が舞台となっており、井上真央さんがその私立高校の後任のSC役として出演している。『明日の約束』では面接室が設えられ、学校の中での会議に出席する場面にも登場する。最初の登場場面で、周囲の先生方から「前の担当(前SC)みたいに、相談室で大人しくしてくれれば良いのに」と言われたり、「SCなんて、ちゃんと学校に居ますよってポーズだけで十分なんだから、仕事増やさないでくれよって感じ 」と陰口を言われる場面がある。SCが学校の管理職には一目置かれる存在である一方で、学校という組織の一員として、現場レベルではまだまだ受け入れられない面もあるというふうに描かれているが、それは現在のSCが直面する現実的な側面だと言えるだろう。そしてこの物語は不登校生徒の家庭訪問をきっかけに、SCとして認めてもらいたい気持ちや焦りが生徒を自殺へと追い込んでいく。

『あの空をおぼえてる』では、バイプレーヤーとしてSCが登場し、兄英治のこころの支えとなって家族が妹の死を少しずつ受容していく過程を見守る貴重な存在として描かれている。一方で『明日の約束』でSCは、学校という組織の中でSCが位置付けられているようにみえるのだが、クラスメイトの自殺で動揺する生徒たちに対して「落ち着きなさい」と声をかけ宥める担任教師を蔑ろにする形で、「落ちつかなくていいよ。クラスメイトが一人亡くなっているんだから。無理に感情を抑える方がストレスを生むんです」とクラスメイト全員に呼びかける姿を描き、周囲が見えない存在として描かれている。

傷ついた癒し手(Wounded Healer )としてのSC

 この二つの作品を比べてみると、純粋にSCが学校にも認知されてきていて、学校の中で機能してきている、と手放しで喜べるものではないように感じるのは筆者だけであろうか。むしろ、2008年のSC全校配置以降、10年以上経った今、新しい問題に直面していると考えることはできないだろうか。
 この二つの作品に共通しているのは、SCがどちらも傷ついた存在として描かれていることだ。小日向文世さん演じるSCは自分の妻を亡くし、そのことを兄、英治に語りかける場面がある。「俺も大切な人を亡くしてね。(中略)死んだことをずっと受け入れられないんだ。辛かった。それで自分も死のうかと何度も考えた、そしたら、こんなになった」と禿げ上がった頭をニヤッとしながら見せる。一方で、井上真央さん演じるSCも同様に母子関係の問題を抱え、生徒の背後にある母子関係の問題に自分と母との関係(支配的な関係性)を無意識に重ね合わせていくのだ。筆者がこのことから想像するのは、社会の中にある暗黙の理解として「同じような経験をした人でないと理解できない」という考えが未だに根付いているということだ。不登校の経験を持った人だから、今まさに起きている不登校に深い理解を示せるかというと必ずしもそうではない。むしろ、それは障害となることの方が多い。こういった考え方は、心理臨床家が臨床活動を通して個人的な傷つきを間接的に癒すことを隠れた動機付けとする「傷ついた癒し手(Wounded Healer, Henry, 1966)」の見方とも一致するだろう。SCの制度が始まり、今では中学校を中心に一万校以上の学校に配置されるようになった。いじめの深刻化や不登校の増加、災害派遣などSCの活躍の場はどんどん広がりを見せている。だからこそ、心理臨床に携わる私たちは自らの内面に謙虚に向き合う必要があるのだろうと、自らも自戒の念を持たざるを得ないのである。

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