はじめに

 青い空に透き通るエメラルドグリーンの海、開放的な空間で楽観的なウチナーンチュ(沖縄の人)が多く、沖縄には心が病んでいる人は少ない、沖縄に行けばつらいことも忘れられる、そんなイメージを抱く人が多いのではないでしょうか。離婚率や一〇代の妊娠、子どもの貧困率は他県と比べて高いという現実は、気候や風土のイメージで覆われ、外からは見えにくくなっているかもしれません。
 毎年六月二三日は沖縄の公立学校や多くの職場がお休みとなります。戦没者の霊を慰め、平和を祈る日として制定された「慰霊の日」です。戦後アメリカ統治下にあったこと、一九七二年に本土復帰したことも沖縄の地域性を理解するうえでは欠かせない出来事です。冒頭でこんなことを書いて、読者の皆さんの沖縄イメージを悪くしようという思いは全くありません(生粋のウチナーンチュである筆者は、COVID‐19が落ち着いた頃にぜひ、皆さんに沖縄に来ていただきたいと思っています)。しかし、沖縄の現状や歴史的背景について知ってもらったうえで、心理臨床の地域性を考えてもらいたいと思い、先に記載しました。

先祖崇拝と沖縄

 清明祭ということばを聴いたことがありますか。沖縄では「シーミー」と言います。沖縄に四月~ゴールデンウィーク辺りの時期に訪れ、高速道路を走ったことがある人は途中の電子掲示板に「渋滞情報:四月〇日(日)清明祭」という文字を見たことがあるでしょう。清明祭(シーミー)は、旧暦の二四節季の「清明」の時期に行われるお墓参りです。この時期の週末はお墓に行くために高速道路が渋滞するため、高速道路の掲示板に毎週掲載されます。沖縄ではご先祖や自然を敬う文化があり、シーミーやお盆は大切な行事となっています。沖縄では何か不幸や災いがあると、ヒヌカン(火の神様:台所に祀っている)や仏壇に手を合わせたり、ユタに相談に行ったりします。

ユタの存在

 皆さんは"ユタ"を知っていますか。沖縄の中でも田舎で生まれ育った筆者にとってユタは当たり前にそこにいました。そのため、改めてユタを説明するとなると難しかったため、この原稿を書くにあたり、インターネットで「ユタ」を検索し、その意味を調べてみました。巫女、シャーマン、霊能者と出てきました。個人的にはどれもしっくりきませんが、読者の皆さんにはイメージしやすいでしょうか。
 事故に遭った時もユタを呼んでマブイ(魂)を戻してもらいましたし、家を建てる時も井戸のことやヒヌカンのことを両親はユタに相談していました。地域の御宮を一年に一回、お盆の時に開けて祈禱するのも地域のユタでした。生活の中でユタに相談したり祈禱してもらったりすることに違和感はありませんでしたが、それが"当たり前"のことではないと知ったのは大学院進学を機に福岡で生活をするようになってからでした。
 福岡はお墓の大きさも行事も沖縄とは異なりましたし、ユタに相談するという文化はありませんでした。その後、沖縄に戻り、精神科病院で長年勤めましたが、そこでは沖縄で古くから「医者半分ユタ半分」ということばで表現されるように、医者とユタが共存する世界がありました。身体症状や精神症状が出た際、病院を受診する前にユタにみてもらう、病院にかかっていてもユタにみてもらうことがあるのです。医師も患者さんやご家族が「ユタにみてもらった」と言ってもそれを否定することはありません。最近はユタから勧められて病院を受診したという方もいます。一見、相反するような"医療"と"ユタ"へみてもらう行為がどちらも否定することなく、そこに在るのです。心理士も「ユタにみてもらった」「ユタからこんなこと言われた」という話も聴きながら、その方の語りに耳を傾けます。

個人的な体験を通して:ユタと癒し

 数年前に父が病気で他界した時、母の喪失体験を支えたのは心理士(私)ではなく、ユタでした。喪失体験や死の受け止め方はそれぞれの立場によって異なります。父の死は突然のことで、しかも沖縄から離れた地で闘病生活を送っていました。元気になって沖縄に戻ってくると信じていたのですが、一緒に飛行機に乗ることはできず、帰沖してからも葬儀の準備やら対応に追われ、家族は悲しむ暇もありませんでした。母は葬儀の前後からいつも以上にぼんやりしており、父の死の直後大きく泣き崩れるでもなく、淡々としているように見えました。
 四十九日が終わった頃、母はユタの元を訪れ、父の声を聴いてきたことを教えてくれました。ユタは父が母に感謝していること、嫁にも感謝していることを語ったそうです。父は無菌室に入っており、ことばを交わせる状況ではなかったため、母はユタを通して父の最期のことばを聴くことができたのでした。その体験が母の喪失感を全て埋めたというわけではないかもしれませんが、前に進むきっかけになったように思います。病院やクリニックへ相談に行くよりも、身近な相談相手としてユタは存在しています。"あの世"の存在や死者の声を聴くと言うと胡散臭く感じる方も多いと思いますが、ご先祖を大切にし、ユタの存在を認めている沖縄においては、ユタはもしかすると公認心理師・臨床心理士よりも身近な"相談相手"であり"回復をサポートする"人なのかもしれません。

さいごに

 今回の内容が"沖縄"全体を現すものではありませんし、沖縄でも地域や世代によってユタやご先祖への考え方は異なると思います。しかし、沖縄で心理臨床家として地域の方々に寄り添う時、ご先祖や自然を敬い大切にする文化や「医者半分ユタ半分」の文化を理解する視点は欠かせないと考えます。心理職がユタのような"街の相談相手"として、地域の方々に気軽に相談してもらえるように、精進していこうと思います。

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