新型コロナウイルスの感染症が課題となって一年以上が経つ。最近、ワクチン接種が医療関係者と高齢者に開始されたが、依然として大多数の市民はマスクと三蜜回避の自衛的手段で日常を過ごしている。この一年私たちはどんな状態だったかを振り返ると、感染陽性者何名や病床数ひっ迫、死亡者数、変異型ウイルスで感染拡大と国や自治体、マスコミから毎日伝えられ、私たちは感染症に追い立てられ落ち着かない心的状態になっていたし、今日もそうである。

 病気としての感染症はもちろん重大だ。その一方私たちは、知らず知らずの内に不安や怯えが喚起され、自然に身を守る適切な防御対応だけでなく、感染過敏からマスクや抗菌剤の買いだめに走った。過剰反応は、国内外での"自粛警察"騒動や、米国の一部で見られるアジア人襲撃や嫌がらせ攻撃の差別行動を引き起こした。

 この点を振り返ると、「身体病の感染症」が私たちの「心に感染」して、不安や恐怖を生み、私たちの気づく力、聴く力、自分を支える力を弱めた。そして「社会にも感染」し、自粛警察や人種差別まで伝播していたと言えよう。

 最近の第三波では市民に別な反応も出ている。適切な自治体のメッセージや報道も、すでに私たちには耳タコで、正常性バイアスから自分は大丈夫と否認する心性が過剰になっている。国のまん延防止等重点措置や緊急事態宣言も真剣に受け止め評価せず、「また同じことを言っている!」と反発心も生じている。国や自治体も身体病の狭義の感染対策に目が向きすぎ、巻き込まれて方針提示に一貫性を欠く。市民感情との齟齬も生じるなど由々しいことだ。ここで改めて、「感染症には三つの顔があり、それらが循環する」ことを、国も私たちも再検討してみることが、今必要ではないか。

参考文献:森光玲雄監修(二〇二〇)「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!~負のスパイラルを断ち切るために~」日本赤十字社 (http://www.jrc.or.jp/)

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