うつと絶望
うつというのは、ざっくり言ってしまえば、気分が沈んでいる、落ち込んでいる状態のことです。授業や仕事が面倒くさくて、「うつだわぁ」なんて軽く言うこともありますが、このうつの先には絶望が待っています。絶望に近づくにつれ、喜びを感じたり、何かに興味をもったりすることが少なくなり、「私は誰からも好かれていない」とか、「人生終わりだ」といった心の声に支配されてしまいます。自分が嫌で仕方なくて、未来は閉ざされていて、世界は残酷だという思考に取り憑つかれてしまうのです。ときには自分の身体を傷つけたくなったり、死んでしまいたくなることさえあります。うつ症状が強いとき、「希望」はなく、「絶望」だけが強く感じられることでしょう。
繰り返すうつ
うつが強くなって、どうにもこうにもいかなくなると「うつ病」として診断されることがあります。最近は、「うつはこころの風邪」といったように、うつ病は誰でもなりうるものとして知られてきました。しかし、うつというのは結構やっかいで、再発を繰り返し、人を何度も絶望に引き戻してしまうことがあるのです。受験や大きな仕事、恋人との大事な時期などのたびにうつに取り憑かれていたら、一体どうなってしまうでしょうか。
何度もうつに陥ってしまう人に最初にうつになった時期を尋ねると、一番多かったのは「一四歳」という回答だったそうです。人生の早い時期からうつに取り憑かれると、その後の人生でもうつが戻ってきやすい、というふうに見ることもできます。
命名「うつうつ丸」
うつを「地平線から迫る暗闇」のようにイメージすると、何だか宇宙と戦っている気分になってくるので、少しいじくってみましょう。皆さんも、自分のうつにイラストをつけてみてください。私はうつを二本足で立つ白と茶色の猫のイメージに変換しました。ついでなので名前もつけておきましょう。命名「うつうつ丸」。結構可愛いけど、意地悪な顔つきをしています。私が落ち込んでいるときは、このうつうつ丸が取り憑いています。
皆さんがひどく落ち込んだとき、聞こえてきませんでしたか、内なる声が。「もう終わった」「私なんてゴミだ」という、あなたのうつのささやきが。私のうつうつ丸はさらに言います。「お前は誰からも愛されてないぞ」「お前の人生はどうせうまくいかないぞ」と。一四歳の私であれば、うつうつ丸の声にのみ込まれて、もう動けなくなりそうです。どうにか対抗できても、せいぜいそのささやきが聞こえなくなるようにYouTube を見るくらいでしょうか。声をそのまま信じてしまっては絶望が深まるばかりだし、うつうつ丸の口も、自分の心の耳もふさぐことはできないでしょう。非常にやっかいな問題です。
うつうつ丸との戦い
ある偉大な精神科医は、うつうつ丸のささやきに対して「確かめてみる」ことで対抗するという道(認知療法)を考え出しました。「誰からも愛されていない? 本当にそうだろうか」「どうせうまくいかない? 本当にそうだろうか」といった具合に検証してみると、「親やAさんは私のことを心配してくれているよな」とか、「あれは失敗はしちゃったけど、これはうまくいっているよな」とか、そのうちに新しい視点がひらけて、うつうつ丸が早くいなくなるのではないかと考えたのです。そしてその方法は実際に効果がありました。なので、それを見た人たちは「考え方を変えれば良いんだな」と思うようになりました。
一件落着、と思われましたが、まだ続きがありました。「考え方が変わってうつが良くなったはずなのに、なぜか再発する人たち」がいたのです。当然、これはなんでだろう?となりますね。詳しく調べてみると、考え方が変わった人と言うより、うつになりかけたときに浮かんでくる考え方や絶望の感覚に対して、「あぁ、また来たのかこいつら」くらいの態度でいられるようになった人が再発しないことがわかってきました。言い換えれば、「考え方を変える」とか「うつうつ丸を論破する」ことよりも、「うつうつ丸が出てきても良い距離感で付き合える」ことが大切だとわかったのです。「確かめてみる」というやり方がうまくいったのも、何度も何度もその人にとってのうつうつ丸を調べるうちに、「こういうときにはこんな考えが出てくるパターンがあるんだな」など、自分に対する理解が深まり、良い距離感で付き合えるようになったのではないかと考えられます。
手をつなごう
こうしたことを踏まえると、うつ(私の場合はうつうつ丸)をよく知ることが大切だ、ということができます。知らないものとの「良い距離」はわかりませんからね。このうつうつ丸とは一体何者で、なんでこんなにうるさいのでしょうか。
うつは嫌なことを言ってきますが、だいたい「(人から愛されないなんて)自分には価値がない」とか「(失敗したせいで信頼を失って)もう終わりだ」というように、カッコに囲まれた部分を含んでいます。これって、人から愛されることや、信頼されることがその人にとって大切だということではないでしょうか。大切だからこそ、つらいのです。となると、うつが言っているのは、「あなたは誰からも愛されていない(のでは? それはあなたの幸せにとってとてもまずいのでは?)」ということなのかもしれない。つまり、うつはその人にとって大切なものが失われないように、警告してくれているのかもしれないのです。たとえすぐには実現できなくても、人から愛されたり、信頼してもらえるように歩むことは、幸せにつながっていくのかもしれない。それは希望です。人間は意外と自分の大切なものを知りませんし、知ることは実は難しいのです。でも、私にはうつうつ丸がいます。このひねくれた猫は、非常に意地悪なやり方ではあるけれど、「それがあなたにとって大事なことなのでは?」と教えてくれます。うつうつ丸は絶望からの使者ではなく、希望からの使者なのかもしれません。私にとって大事なメッセージを持って騒いでいるこの猫と、この少し迷惑な希望からの使者と、手をつないで歩いていきたいものです。