米国と台湾を中心に国際的に第一線でご活躍している富樫公一先生を本誌でご紹介いたします。富樫先生は臨床心理学系国際学会学術誌での論文が多数あり、国際的に大きな反響を得た“KOHUT’S TWINSHIP ACROSS CULTURES”(出版社Routledge)の英語著書に続いて、昨年は英語新書“THE PSYCHOANALYTIC ZERO”(出版社 Routledge)を出版されるなど、意欲的に活動しておられます。IAPSP 国際自己心理学会評議員、同学会誌Psychoanalysis, Self andContext 編集委員も長年務められ、2023 年にはIAPSP 国際自己心理学会年次大会(東京大会)実行委員長への就任も決まりました。英語を流暢に話す富樫先生の人脈で海外研究者を日本に招待した講演会も多数開催してきています。日本人でこれほどまでに海外の研究者たちと肩を並べ、臨床心理学系の国際学会を牽引・運営している臨床心理士はそう多くはないのではないでしょうか。富樫先生へのインタビューで、その秘密に迫りたいと思います。

―アメリカでの徹底したトレーニング体験

富樫:2001 年に渡米して、2006 年までアメリカにいました。最初はNPAP(National PsychologicalAssociation For Psychoanalysis)というニューヨークの研究所に2年間いました。元々やりたかったのが自己心理学や間主観性理論だったので、TRISP(Training and Research in IntersubjectiveSelf Psychology)に移籍して3年間、合計5年間いました。向こうのトレーニングですることは決まっていて、教育分析、スーパービジョン、コースワーク(授業)です。
:アメリカでのトレーニング中に困ったことはなかったですか? 逆に良かったことは?
富樫:もうそんなこと言ったら、きりがないですよ(笑)。良いところから言うと、授業のスタイル自体がとっても勉強になったというか。日本の授業みたいに先生の話を一方的に聞いているっていうのは全然ないので、とにかくディスカッションが多いです。どんな意見であれ、自分の意見をちゃんと言うこと。意見を言うためには人の考えを聞いてないといけないし、そういうのをすごく求められました。それが勉強になりました。あとは精神分析に限って言えば、リサーチの授業(事例研究論文執筆)がありました。日本ではなかなかないので、向こうでの精神分析に特化した事例研究論文の授業は本当に勉強になりました。僕が日米で事例論文や本を書いているのも、あの授業がなかったら成り立っていない。あとは、授業のスタイルとしては文献が多い。とにかく本を読みなさいっていう。ニューヨークタイムズは必ず読みなさいとかね。本を読んでいることを前提で、授業で「はい、ディスカッションを始めましょう」とかね。それで辛かったというのは、ディスカッションについていくのが本当に至難の技で……。最初の半年くらいはずっと泣いていましたよ。
:富樫先生が泣いていたんですか⁉ そんなイメージがないです。
富樫:泣いていましたよ。全然、英語が分かんない。ニューヨーカーは他の1.5 倍くらい喋るのが速いって言いますから、話が次々と展開していく。ついていけないから、自分を無力に感じていましたよね。ただ、やがて修了論文はNAAP 精神分析学会というところがやっている訓練生の最優秀学生論文賞(グラディーバ賞) *1をいただきましたし、最優秀ジャーナル賞(グラディーバ賞) *2をとりました。
:すごいですねえ! 最初は泣いていたのが、最終的には賞までとられたんですね。

―海外ではオリジナリティのある論文を認めてくれる文化が強い

:海外で英語の著書を出版されている目的や志のようなものはありますか?
富樫:あまり志はないです(笑)。一つはいっぱい読んでくれるから。英語は世界で第2位の言語ですからね。中国語は第1位ですけど、中国の人は英語を読みますから英語で書くとやっぱり強いですよね。僕の考えを読んでくれるから。どんなに日本語で書いたって世界の人は読んでくれないですもん。あとは楽しいのと、書く時はほとんど日本語に訳さないので、自然に英語で書いている感じです。英語で書いているものは、IAPSP 国際自己心理学会と台湾の自己心理学研究会で発表した論文がほとんどなんですけど、彼らは明るくて楽しい。だから書いています。向こうはオリジナリティのある論文を認めてくれる。間違っててもいい。だから書けるんです。日本では誰々がこう言っているっていうのが多い。オリジナルなことを言うと叩かれるからだと思いますけど。本を出すと、向こうはちゃんと応答してくれます。ちゃんと評価してくれる。リスペクトしてくれる。

―新書の紹介

富樫:簡単に言えば治療するとなると、どんな理論で患者さんをアセスメントして、どのような方法で治療をするか、患者を変えるかという話にやはりなる。いわゆるHOW TO ですよね。それはたくさん語られている。ほぼ今の臨床心理学で教えられているのはそれに近いものだと思います。それも大事だと思いますし、忘れてはいけないことだと思います。でも本当に我々は人を正確に、的確に診断し、アセスメントすることができるのか? それから(どのような心理療法においても)私たちが妥当だと思っている理論や治療方法というものが本当に治療効果を持っているのか? ということを丁寧に検証すると、本当のところは分からないんじゃないかと思うんですよね。これは人間的な意味じゃなくて。別に人類愛とかそういう話ではなくてね。ゼロはなにかと言うと、言葉や概念がつけられないモーメントの話です。言葉で世の中を区切るというのは、道教の発想から借りてきたんですけど、世の中を外傷化させる要素だと思っています。大きい・小さい、美しい・醜い、病気の人・病気でない人、良い人・悪い人、この区別に人は振り回され、苦しみますよね。差別の要素でもあります。

―マイノリティであっても、変な人ではない

富樫:高校生や大学生に言いたいのは、大学に入ったら「自分の頭で考えなさい」と言われる。でも大学の先生も自分の頭で考えるのが難しい。人の言っていることは正しいと思ったり、あの学生はダメだ、この学生はできるとか簡単に区別する。私たちは他人の言葉や文化によるものの見方や考えに縛られて生きているので、その中でさらに私の考えはどこにあるんだろう?とか、私の見ている世界は本当にこういう見方だけなんだろうか? というのを見て欲しいです。僕もまだまだなんですけど……。それこそアメリカでは色んな人種がいて、真夏でもコートを着込んでいる人がいたり、真冬でもノースリーブの人がいる。でもみんなそれぞれ理由があるんです。それは変ではない。マイノリティではあるけど、変な人じゃない。本人には何か理由があるだけなんです。髪の毛が赤かろうがどうであろうが。でも、そういう感覚がこの国(日本)にいるとすごく制限されるので、自分の見たものを振り返ることと自分の考えをずっと探し続けて欲しいです。

*1 Gradiva Award in Best Student Article (NationalA s s o c i a t i o n f o r t h e A d v a n c e m e n t o fPsychoanalysis). Title: A New Definition ofTwinship Selfobject Experience and Transference.
*2 Gradiva Award in Best Journal Article (NationalA s s o c i a t i o n f o r t h e A d v a n c e m e n t o fPsychoanalysis). Title: The Romantic Fantasy andI t s V i c i s s i t udes : A Se l f Psycho log i c alReconsideration of ‘Hysterical Fantasy’ and theEroticized Transference.

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