当事者に役立つ心理教育「繋がりが失われたと思うときに」 「みんなと一緒」の不自由と「一人になること」の自由と
著者 愛知教育大学教育科学系心理講座 樋口亜瑞佐
孤立している子を遠目に見ている子のこころ
「声をかけてあげようかなって思うけど……でもやっぱ関わらないようにしちゃってる」とある子は言いました。「わたしもそうかも……可哀想とは思うけど何も出来ないかも」と別の子が言いいます。これは、ある高校生らがSNSでのトラブルがもとで不登校になってしまった他クラスの子について話をしていたときの一コマです。これまで児童福祉施設に勤務し、現在は大学に勤めながら大学附属校のスクールカウンセラーでもある私は、たくさんの人の「いじめ観」を聴く機会があります。
以前から言い継がれていることですが、どのような理由であれ、いじめは許される行為ではなく、誰かをいじめてもいい権利など誰も持ちえません。ですが、誰かをいじめることでしか表せない、複雑な葛藤や言葉にならない想いを抱えている人というのがいます。許されざるいじめという行為の奥に、必ずなんらかの理由があるのかもしれません。無意味ないじめはない、しかしいじめは絶対に許されない、のです。
これを読んでる人の中にも、まさに今現在いじめ問題に悩む人、孤立感を感じている人がいるかもしれません。でも前述した高校生たちの話からも分かるように、「当事者に対して声をかけるなどの援助行為をしないといけないと分かっていても出来ない」と申し訳なさを感じる子が一定数、あなたの周りにも必ずいることを知っておいて下さい。
あなたから周りの子たちが離れて行ってしまい孤立したとしても、真に一人なのではありません。
一人になることで見えるもの
自分から一人になるのと、一人にさせられるというのは、一人でいることに変わりはないものの、その本質と実感は全く違います。孤立しているのではなく、一人になってみる、という意識になるのも一つです。
今まで読もう・観ようと思っていた本や動画、行こうと思いつつ行けていなかった場所、話してみようと思っていて話すきっかけがつかめなかった誰か、そうした様々なジャンルのそのままになっていたことにアクセスしてみるというのも、一人になるとむしろやりやすいことかもしれません。人生史上最高の一冊や、推しのアイドルが見つかるかもしれませんし、思いもよらない風景に出会うかもしれません。今までいたグループにいたら絶対に感じなかった気持ちに触れるような会話が新たな誰かと生まれるかもしれませんし、一人を楽しむあなたを見ている誰かはあなたを強烈に羨ましく思うかもしれません。
忘れてはいけないのは、ずっと孤立したまま、ずっと置かれた環境のままなんてことは絶対にないということです。それはあなたの内面は確実に変化していくということ、周りの人たちだって時間とともに感じ方や考え方が変化し、職場なら離退職や新規採用者の受け入れ、学校なら進級や卒業にクラス替えといった、多くのメンバー構成の変化が訪れるからです。
もし「あ、自分はいじめられてるかも」と感じることがあったら、その相手に対して「何か悩みがあるんだな、大変だな」と想ってみて下さい。そのときにはすでにあなたは相手に孤立させられているのではなく、不憫な相手から距離を置いて、少し自由になっているのではないでしょうか。