大学のキャンパスは若者があふれ、活気に満ちて、楽しそうに交流しているように見えるかもしれません。人が集まるところで起きることはキャンパスでも同様に起きています。人とのつながりのあり様は多種多様で、キャンパスも例外ではありません。ここでは学生と話していて感じたことを書いてみます。

「適量」のつながり

 コロナウイルス感染症対策によって、人とのつながりにかかわる状況は大きな影響を受けました。やりたいことができなくなり、会いたい人に会えなくなった人もいます。逆に、やりたくないことをしなくて良くなり、会いたくない人に会わなくて済むようになった人もいます。多くの人はその両方を体験したことでしょう。
 新しい出会いを求めていた人はその機会が極端に少なくなったと感じたことでしょう。人とのかかわりが制限されたことで、これまで無理をして付き合っていたことに気づいた人もいます。アクティブラーニングなどでたくさん人とかかわるよう傓られていた状況から解放され、オンラインの生活に安堵した学生もいます。人によってつながりの「適量」が異なることを改めて見せてくれた気がします。

「友達はつくりません」

 キャンパスは自由度が高く、そこでは多様な人との交流を忙しくこなす生活もできますし、人とほとんどかかわりを持たない生活をしようと思えばできます。
 ある学生がいました。大学の雰囲気に早々に幻滅し、一年生の秋には「ここでは友達はつくりません」と宣言し、その通りの生活を貫いて卒業しました。彼は、大学生だからといってキャンパスが生活の中心である必要はないということを実証しました。人はとやかく言うかもしれませんが、そういう生活も選択してよいのです。

「つながり少な目でお願いします」

 つながりの適量が少ない人も、ごはんの少な目を頼むときのように、引け目を感じず「今の自分には少な目が合っている」と思えるといいですね。コロナ前と比べるとほんの少しだけ「少な目がいいです」と言いやすくなったかもしれません。
 そうそう、人とのつながりを広くたくさん持ちたい人も思うように行動してくださいね。

人とのつながりで悩んだら

 適量の多少にかかわらず、人とのつながりで悩むときがあります。相手がいることなので自分の思うようにはいきません。相手をコントロールしようとしないように気をつけましょう。それはできないことだし、できたとしてもしてはいけないことですよね。
 自分だけでできることとして、自分のコミュニケーションを見直してみることがあります。自分の気持ちをつかめているか、分かりやすく伝えているか。ささやかですが、大切なことです。難しい交渉とかは、その後でいいでしょう。

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