夜と霧 ヴィクトール・E・フランクル〔著〕 旧版:霜山徳爾〔訳〕 新版:池田香代子〔訳〕 みすず書房、旧版:一九五六年/新版:二〇〇二年

極限の人間

 少なくとも六〇〇万の人が犠牲者となったと言われるナチの大量虐殺の現場となった強制収容所の体験記録である「夜と霧」、その題名は印象深く、あまりに有名です。しかしその内容が凄惨であることを知ればこそ、この本を手に取り、読み、そこに生じる感情やある種の感覚に触れることを避けたいという思いが湧くかもしれません。殊に、日本で一九五六年に出版された旧版では、冒頭にヨーロッパ各地に作られた強制収容所の実態報告と、巻末に写真と図版が収められていますので、この箇所を読み進めなくなった方もあるでしょう。私も大学生の頃、初めてこの本を読み通しましたが、読後の衝撃に、このことを「歴史の一幕」と括って自分とは無関係にしてしまいたいというこころの動きに抗えませんでした。
 全米で「私の人生に最も影響を与えた本」の九位に、また日本でも「読者の選ぶ二一世記に伝えるあの一冊」の三位に選ばれたこの本について、この短い紹介では何もお伝えできませんが、戦争の悲惨、ホロコーストの残虐、ジェノサイドの恐怖を伝えるノンフィクションやルポルタージュ記事などはあまたあるものの、この本が半世紀以上も人々のこころを捉えているのは何故なのでしょう。

普遍と稀有

「一心理学者の強制収容所体験」という原題通り、Ⅴ・フランクルは被収容体験者の露出趣味に対する抵抗と、自分をさらけ出す恥を乗り越えて、実名をもって個人体験をつぶさに書いています。無論、すでに精神科医として意欲的に働いていた彼は心理学的/精神医学的な観点から極限状態に置かれた人間の心理を記述しています。そこには、新入りの被収容者、ベテランの被収容者、カポーと呼ばれる被収容者の中のプロミネント(特権を得た者)、親衛隊員(SS)、そのいずれもが私たちの中に存在し、自分が生き延びるためには他者の存在を容易に犠牲にするという人間の普遍性が描かれています。また旧版の訳者であり、長年フランクルと親しく交わった霜山が「極限の孤独」と指摘している、ロマンティシズムやノスタルジーとは無縁の孤独が描かれています。しかしその極限状況の中でなお、私たちが人間として生きている限り、最後まで自然や芸術の美しさに感動し、愛とユーモアを忘れずに精神の自由を保ち、自らの生き方を選ぶことができるという、稀有な可能性も描かれています。フランクルは決してこうあるべき、とか、こうすればできる、とは書いていません。また誰もがそうできるとも書いていません。これは厳しい話です。
 昨年来のパンデミックの苦難を、安易に強制収容所の体験と重ねることは慎むべきでしょう。それでも、今私たちが直面しているのは、ウィルスという自然との戦いではなく、責任の押しつけあいや、自分だけが生き延びようとする強烈なエゴイズム、人生の全てに意味を失うアパシーといった、フランクルが人間の危機として訴えたこころの戦いだと思えます。生きることは厳しく、容易ではない。よく生きることはなおのこと容易ではない。だからこそ私たちには生きる意味があるとフランクルは示してくれていると思います。この生真面目な厳しさを求めねばならないと、私たちのこころは識っているのではないでしょうか。

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