トップアスリートはすっきり体験が少ない?

 トップアスリートにとっては、「すっきりする体験」というのは、実はほとんどないのかもしれません。私の仕事は、一般的にカウンセリングと呼ばれる心理面接をトップアスリートの競技力向上のために行っていますが、日本や世界のトップを目指している方々は当然のことながら日々の競技に対して苦しみ抜き、たとえ良い結果が出てその時だけすっきりしてもそれは長続きしません。なぜなら、一つの戦いが終わったらすぐ次の戦いが始まるからです。もしそこで満足して立ち止まってしまうと、すぐに別の選手に追い越されてしまいます。そのため、常に向上するための努力を続けないといけない、そんな世界にトップアスリートの皆さんは生きています。
 また、良い結果が出た後は、周囲からそれと同等かそれ以上のものを求められ、その期待に応えようとしてプレッシャーを感じたり、さらには長年の戦いの代償としての怪我に苦しめられる方々もいらっしゃいます。

スポーツのレベルのよる違い

 もちろんスポーツには様々なレベルがあります。近所をジョギングして汗をかくだけでもすっきりして楽しいですし、私も趣味の草野球をやりますが、仲間と一緒にボールを追いかけ、チームが勝った時には確かにすっきりします。一方で、トップアスリートの場合は前述の通り苦しみの方が多い状況です。ただ、"すっきり"を"吹っ切れる "と置き換えてみると、吹っ切れた瞬間から心持ちが変化し、競技の質が変わることがあります。

縦と横

 想像してみてください。競技前に「自分の心の奥と対話をし、自分を信頼して挑むイメージ」と、「人の期待に応えなければ。良い結果を出さないと批判される」などと、対人関係のことを考えている場合とを。どちらの方が集中できているかといえばもちろん前者です。
 仮に自分の心の奥にグッと入っている状態を「縦に入る」とし、一方で対人関係に気持ちがある状態を「横に意識がいく」としましょう。シンプルに言えば「縦と横」です。まだ実績が浅く、がむしゃらにやっている選手は、人にどう見られるか?などは二の次で、とにかく一生懸命やります。そうなると自然と縦に入っています。
 一方で、ある程度結果が出始めると周りからの見られ方や期待も変わってきます。そうなるとそれがプレッシャーになります。つまり、横に意識が飛び始めるのです。「監督に使ってもらえるか?」「人の期待に応えられるのだろうか?」など余計なことや結果を考えはじめます。
 また最近ではSNSで叩かれるなどへの恐れも起きてきます。そして競技に費やす心のエネルギーを削られてしまいます。

モチベーション三種

 よく「モチベーションを高めるにはどうしたらいいですか?」というご質問をいただくことがあります。余談ですが、そもそも何らかの方法でモチベーションを高めないといけない状態ではトップレベルで戦い続けることは難しいと感じます。つまりトップアスリートの場合は、モチベーションは高いことが前提となります(もちろん、怪我や燃え尽きなどで一時的にモチベーションが下がることはあります)。モチベーションの質に関しては、外発的動機付け~内発的動機付けという理論がとても有名ですが、ここでは具体的なイメージを添えながら以下の三種類に大きく分類してみたいと思います。
①物質的なもの:お金や名誉、結果などがモチベーション
②人からの関心:褒められる、認められる、評価されることがモチベーション
③自分が高みにいくこと:自分が成長すること自体がモチベーション
 これらのうち、③が一番気持ちのブレが少なくなります。なぜなら、①は手に入る時もあれば入らない時もあり、また自分が最高のプレイをしても相手がそれ以上のプレイをした場合には結果も手に入りません。また、②はそれこそ相手の気持ち次第なので、思ったような評価が得られなかったり、反対に否定されることもあります。
 しかし、③は裏切りません。自分が自分を鍛え、高みに押し上げようとブレずに継続して努力すればそれは成果として現れます。一般的に言う「自分との戦い」です。これが一番きついですが、モチベーションの質としては一番高いものです。言い換えれば「自分の人生を自分のために生き切ろう」と決意を新たにした時、それが"吹っ切れる瞬間"となります。
 なお、③の場合は自己満足に終わるのではないか?という心配もありますが、トップアスリートの場合には逆に人がいくら「すごいね!」と称賛しても、自分だけがそれを認めずにさらなる高みを目指し続ける、ということがあります。トップの自分だからこそわかる自分の失敗や弱点があり、それをさらに追求しようということになれば、③のモチベーションが弱まることはありません。

真の楽しさ

 そうなってからは毎日の活動が主体的に変わり、そして真の意味で"楽しく"なってきます。日本のスポーツ界では"楽しむ≒緩んだ状態でやる"というイメージで語られることも多いですが、ここで言っているのはチャレンジの楽しさです。
 上手くできたら嬉しい、できなかったら悔しい、そして悔しかったらまた練習する。そういう素直な気持ちで自分を成長させること自体が楽しくなってきます。その意味では、この楽しさもトップアスリートにとっての「すっきり体験」なのかもしれません。

一瞬のすっきり体験が我々に感動を呼ぶ

 このように、スポーツをする人のすっきり体験ではその競技レベルによって内容に差がありますが、オリンピックのようにお互いが死力を尽くしあって戦い、どちらが勝つか分からない勝負の中に身を置くこと自体もすっきり体験であり、それは一瞬で儚く終わるものでもある、と言えるのではないでしょうか。そのような刹那に生きるトップアスリートの営みは我々の心を確実に摑み、感動を呼び起こしてくれます。こういったことを我々に提供してくれるトップアスリートの皆さんに最大限の敬意を表してこの拙文を終わります。

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