現在、私はスイスのジュネーブという小さな街で開業カウンセラーとして児童そして保護者とのカウンセリングに従事しています。昨年九月からは、これまでの臨床活動を通して得ることのできた問いを探索してみたいと、 英国ロンドンにあるUniversity College London 博士課程に入学し研究を始めました。研究課題は、心理支援において好奇心が果たす役割についてです。いただいたお題である「すっきりする体験」も、今回はこの好奇心の側面から考えてみたいと思います。
 スイスに移住するまで、私は日本で一〇年ほど臨床心理士として仕事をしていました。従事したスクールカウンセリングでは、不登校相談も多く、学校で会うことの難しいご本人の代わりにご来談くださる保護者との面接を実施していました。
 その中で不思議な状況に出会いました。当初は、子どもの学校に行きたくないという訴えや不調を心配され、その解決方法を求め来談される保護者が、カウンセリングを続ける中で次第に「どうして子どもはそのような様子を見せているのか」についてさまざまな考えや思いを聴かせてくださるようになります。すると時期を同じくして、子どもが登校を始めたり、通級指導や放課後登校などに動き出したりするということがしばしば起こったのです。その後、提供するようになったスーパービジョン(専門職が自分の担当する事案の経過や対応を別の従事者にみてもらい、相談にのってもらうこと)でも、同じような体験をすることになりました。「どう対処すべきか」と答えを求める専門家が「何が起こっているのか」と自身の考えや感情に思いを巡らすようになる時、担当案件が快方へと動き出すのです。そもそも「相談する・受ける」という行為は、問題となっている状況の外で行われることが多く、相談にのっている人には問題に直接働きかけ「すっきりさせる」ことはできません。それなのになぜ、相談は問題改善の役に立つことがあるのか。それは、カウンセリングや心理支援に関する根本的な問いでもあるように思います。

メンタライジングと好奇心

 そのような問いへの一つのヒントとして、近年、メンタライジングという概念が注目されています。メンタライジングとは、自分や他者の行動や言動をその背後にあるこころの状態(考え、信念、感情、願望など)を考慮して理解しようとする力を指します。そのような力は誰しもが持っているものですが、疲れていたり、腹が立っていたり、身の危険を感じ不安がひどく高まるような状況ではうまく働きません。例えば、今これを読んでおられる時に突然火災が発生したり、大きな蜂が部屋に入ってきたら、「どうして今私は焦っているのだろう?」などと考える前に、逃げたり殺虫剤を取りに行ったりするでしょう。私たちが自分や他者のこころの状態を考えるためには、安全で、ある程度落ち着いた状態が必要になります。そして、このメンタライジング力は、親子関係の質向上や精神疾患の治療など多岐にわたるこころの回復に有効であることがさまざまな研究で明らかになってきました。その中でも、親のメンタライジング力の向上は、子どもの安心感を高め、子どもが困難を乗り越えていくことを支えるのに有効であるとの研究が報告されるようになってきています。親面接を通した不登校支援も、このようなメカニズムを通して子どもの支援に繫がっていたのかもしれません。
 では安全が確保され、メンタライジングが上手く働いている状態とは実際にはどのような状態を指すでしょうか。私たちがそれを知る目安となる特徴の一つが好奇心だとされています。メンタライジングが働いている時、私たちは好奇心を持つことができるというのです*1。そして、好奇心の研究をされている心理学者のTodd Kashdan 氏は、その役割を下記のように定義しています*2。
・不安を制御する
・恐れを感じた時に極度に防衛的になることを防止する
・マインドフルネスよりも仕事場での戧造性を喚起する
・不幸な出来事やストレスを受ける場面で保護因子として作用するレジリエンス(抵抗力)の資源となる
 好奇心はどうやらこころの健康促進に役立ちそうですし、その役割はカウンセリングの目指すところともよく重なるように感じます。

脳から見た好奇心

 では、好奇心が高まる時、私たちの脳では何が起こっているでしょうか。そしてそれはどのような作用を持つでしょうか。認知脳神経科学者であるMatthias Gruber 氏が興味深い実験を紹介しています*3。「ヒットチャートに一番長くのり続けたビートルズの曲は何?」といった、あまり誰も即答できないような、好奇心を喚起するクイズが画面に提示されます。一四秒後に答えが提示されるのですが、その間、被験者にはクイズとは全く関係のない顔写真も提示されます。この実験の結果、クイズが出されて好奇心が喚起されると、被験者の脳では報酬(クイズの答え)を期待する反応が起こり、やる気や幸福感を得られるドーパミン系の動きと好奇心が強く関連することが分かりました。加えて、答えを待っている間に提示された無関係な顔写真についても、被験者が長期的によく記憶していることが分かったのです。好奇心が喚起される時、私たちの脳は、学ぼうとは意図していなかったことも学習することを示唆するこの研究を私は大変興味深く思いました。好奇心はもしかすると、私たちを、私たちが意図する学びの外へと連れていってくれるのかもしれないと。

モヤモヤしている間に起こっていること

 クイズの答えを得ることができると、私たちは「なるほど!」とスッキリするかもしれません。同時に、その答えを得るまでの間、私たちには好奇心が喚起されます。ああでもない、こうでもないとモヤモヤしている間、私たちの脳の扉は私たちが意図しない学びにも開かれている状態にあるのかもしれません。それはまさにこころの扉が開くゴールデンタイムなのかもしれません。

最後に

 人生で出逢う多くの困難には「正解」がありません。私たちはああでもない、こうでもないと考え続けることを余儀なくされるでしょう。一日も早く困難が解決され「スッキリすること」を願うわけですが、それまでのモヤモヤした時間の中にこそ、自分では意図することのできなかった新たな学びや体験の起こる可能性が宿っているとも言えるのかもしれません。そして相談という営みは、困難を一人で抱え、耐え難い孤独の中で答えを探し続けるのではなく、誰かと膝を突き合わせ少しでも安心できる環境の中で、ああでもない、こうでもないと好奇心を喚起し保持することで、自分では意図しなかった新たな学びを得ることを目指しているのかもしれないと考えます。これからもご来談くださる方々とご一緒に、好奇心を持って、問いを歩んでいきたいと願っています。
◦参考URL
*1 https://manuals.annafreud.org/mbt-c/index.html
*2 https://toddkashdan.com/curiosity/
*3 https://youtu.be/SmaTPPB-T_s

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