すっきりとは何だろう?

 「部屋を掃除してすっきりした」「汗を流してすっきりしたい」など、私たちはすっきりという言葉を日常的に使います。
 「すっきり」とは『大辞林』によれば、
①よけいなものがなく、あかぬけしているさま。
②わずらわしいことがなくて、気持ちのよいさま。
③筋が通っているさま。わかりやすいさま。はっきり。
④味がさわやかであるさま。
⑤すっかり。全部。
⑥(下に打ち消しを伴って)さっぱり。少しも。
を意味する副詞です。あかぬけしている、気持ちのよい、わかりやすい、さわやか。なんだか良い響きのする説明が並んでいます。
 すっきりしたいかと尋ねられたらほとんどの人が頷くでしょう。あらためて周りを見わたしてみると、「収納術ですっきり」「すっきりしたラインのジャケット」といったインテリアやファッションの情報、「すっきりわかる」と表紙に強調された参考書や「煩わしい人づきあいをすっきりさせよう」という人間関係指南の本など、すっきりするための情報や商品が世の中にあふれていることに気づきます。物事の状態としても心身の状態としても、私たちはすっきりしたいし、いつだってすっきりするための方法を探しているようです。
 前述の辞書的な意味を見ると、すっきりはよけいなものやわずらわしいことが「ない」状態をさしていることがわかります。冒頭にあげた例でいえば、散らかった部屋にあふれるものや汚れ、べたつく汗がよけいなものです。片付けをして要らないものを捨てる。シャワーで汗を流す。するとそれらよけいなものがなくなって部屋は広々とし、肌は清潔でさらさらになる。そのような様子をすっきりと表します。付け加えるなら、よけいなものでいっぱいであればあるほど、ない状態になったときのすっきり感は強くなるようです。足の踏み場もない部屋から不要なのがない部屋へ、その変化の落差が大きいほうがすっきりを実感しやすいのだと思います。そしてそこには、こんなに心地よい状態に変えることができた、という手応えへの自信や高揚感の成分も含まれているようです。

こころのすっきり

 こころのすっきりはどうでしょうか。よく耳にするのは「話をしたらすっきりした」という体験です。たとえば抱えていた悩みや不安を誰かに思い切って打ち明けたとき。たまりにたまった不満を友達に聞いてもらったとき。誰かに話すことでこころにとってよけいだった悩み、不安、不満など不快なものがこころの外に出ていってすっきりする、という体験です。

 よけいなものが外に出るとそれらがあったところにスペースができます。こころのスペースにくつろぐ気持ちや楽しむ気持ちを置いておくこともできそうで、こころを自由に使える感覚もわいてくる。そういう一連の変化を私たちはこころがすっきりしたと表現しているのだと思います。

言葉にすること、それは話すこと

 話をしたらすっきりする。当たり前のようにみえますが、よく考えると不思議なことです。どうして話すことがこころの中のよけいなものを外に出すことにつながるのでしょうか。
 たいていの場合、不快なものでいっぱいのこころの中はぐちゃぐちゃです。いろんな気持ちや考えが交互にあるいは同時にわいて、まとまらず落ち着きません。まとまらないのに、それでもなにかを次々想像したり思い出したりして考えようとし続けてしまいます。不快な感覚が「ああー」とか「ううう」といった音や記号のような状態のままこころに詰め込まれていているような、そんな状態です。
 話すこととは、その言葉にならない「ああー」という音や記号のようなものを意味のある言葉に変えて、相手に伝える作業だと言えます。「ああー」としか表現できなかったものを、例えば「悲しい」という言葉にして伝えるのです。とはいえ、なにしろぐちゃぐちゃなので最初はうまく言葉にならないかもしれません。いろんな表現を試してみながら、自分にぴったりの言葉を探していきます。
 このときに支えになるのは、うまく言葉にならないものを理解しようとしながら聞いてくれる、聞き手の存在です。時には「それは悲しかったね」「腹が立ってるんだね」のように不快なぐちゃぐちゃを代弁してくれたり、ぴったりくる言葉を一緒に考えてくれたりする相手です。こうして見つけていった言葉は二人の間でやりとりされながら連なって、まとまりのある文になり、相手に手渡されていきます。言葉にすること、聞き手とやりとりすること、そうしたプロセスを通して不快なものは聞き手に届いてこころから出ていき、すっきりが生まれるのでしょう。「話をしたらすっきりする」という体験には、こころの中のよけいで不快なぐちゃぐちゃを言葉にすることと、それを共にしてくれる聞き手がいることが大切な要素と言えます。
 私たちは日々言葉を使って生活をしています。でも苦痛な気持ちでこころがいっぱいになるとき、私たちは思っている以上に言葉を失っているのだと思います。使えるはずの言葉が壊れてしまって、ぐちゃぐちゃのただの文字記号だらけのような状態になってしまう。人と話をするということは、失った言葉を見つけていくこととも言えるのかもしれません。言葉は連なると文章になって、やがて物語になって、その先もしかしたら詩や歌になるかもしれません。
 ひと通り話してすっきりしたら取り戻したこころのスペースを使って、みつけた言葉や物語、聞き手とのやりとりをゆっくり振り返ってみるのもよいかもしれません。こころのすっきりは、自分のこころを知る貴重な機会でもあります。

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