小さな命
「妊娠二个月です」と言われたとき、あるいはそんな話を聞いたとき、人は小さな命の存在を感じますよね。それなら、この小さな命は何を思っているのか考えたことがありますか? 胎児や乳幼児の時期の赤ちゃんたちが何かを思うのか、そんなことはこちらの空想でしかないのでしょうか。たしかに発達が未成熟で、言葉らしい言葉を発しない赤ちゃんたちの思いを直接聞くことはできません。そして、多くの人がその頃の思いなんて思い出せないし、覚えていないことになっています。
無意識の世界
でも、無意識を大事にする心理臨床家であるならば、赤ちゃんたちの思いについて、あれやこれや想いを巡らすことに意味があると思うでしょう。赤ちゃんたちの表情、声、身体の動き、家族からの声かけによる反応などを観察し、そこからいろいろな思いを感じとるでしょう。さらに想いを巡らせ、あれこれ赤ちゃんたちに語りかけ、またその反応を観察する。赤ちゃんたちの思いを聞こうとするはずです。
親子デイケアでの出会い
「親子デイケア~れんと~」は、私たち(赤ちゃんたち)とママたちを一緒に見てくれる場所。私たちを育てる中で、何かが難しくなってママたちが助けを求める精神科クリニックの中にある。月~金曜日の一〇時~一六時まで開いていて、一日多くて八家族。生後一个月から三歳の三月までの私たちとそのママたちが行くところ。保育園や幼稚園につながりができると「卒業」。自由に予約ができるから、毎日行く人もいるし、決まった曜日の人もいる。空きがあれば当日予約もある。
私たちをママたちがマッサージしてくれるベビーマッサージ、理学法の先生がママたちをマッサージするプログラム、時々私たちも触ってくれる。そんなプログラムがあるけれど、これも参加は自由。転んでも痛くない床で、夏はベランダで水遊びができる。手作りのお昼ごはんやおやつが食べられるし、疲れたら布団を敷いてもらって寝てもいい。家みたいに過ごせる場所。
まず皆が驚くのが、私たちの姿。土気色だったり、泣かなかったり、泣き続けたり、眠り続けたり。身体がかちこちだったり、やせっぽっちだったり。なんでそんな姿になったかって? だって私たちがお腹にいるときから、ママたちはいろいろな理由で大変だもの。自分のことだけじゃなくて、パパ、おじいちゃんやおばあちゃん、お兄ちゃんやお姉ちゃん、家族といろいろ難しいみたい。だから不安で心配で仕方ないから。
肌の色が浅黒くて、身体がカチカチでいつも緊張していた僕。産まれて三个月のときに来たよ。ママは疲れたっていつも言っていた。だって僕が泣いてばかりで全然寝ないから。僕に文句ばっかり言っていたよ。でもね、僕はお腹の中で子宮筋腫とともに育ってね、パパは全然帰ってこなかった。毎日仕事や飲み会で忙しかったみたい。ママは一人ぼっちでずっと不安だったみたい。ここに来たらね、ママが僕にベビーマッサージをいつもやってくれた。最初は何かくすぐったいし、ママの手があわてんぼうだったのだけど、ちょっとずつ慣れてきたみたいで、上手になったよ。僕は身体がほぐれて動けるようになったら、血の巡りがよくなったのかな、肌の色の浅黒さがぬけていった。ママは僕の顔を見ながら「おなかの中で狭かったねー。ごめんねー」ってやさしく言ってくれたことがあった。僕は嬉しかったね。それからは誰よりも元気に走り回って大声で笑って「僕は生きている!」って叫んでいたよ。
僕のママは、自分には母性がないって泣いていたよ。義務だけで育てているってさ。その側で、パパは「自分の方が抱っこ上手い」って偉そうに言っていた。僕は生後一个月からここに来たよ。ママは僕にミルクも昼寝も時間通り。ちゃんとお世話をしてくれるから、泣く必要もなくてね。ママは、ずっとパパのことで悩んでいたから、それで僕を産んだらってすすめられたみたい。僕はママのことが心配で泣けなかった。ママを困らせちゃいけないってね。でも、皆があれこれ僕がこう思っているのかな、僕がこう感じているのかなってママに伝えていたよ。そうしたら、ママが僕を見てこうかな、どうかなって考えてくれるようになったよ。僕が笑うと「かわいい」って言ってくれるようになったよ。
二歳の私は、これしたい、あれしたいって言い出すと止まらなくなっちゃうの。ママはそれが耐えられない、叩いちゃいそうって言ってここに一緒に来たの。私はかくれんぼ遊びが大好きでね、いつも決まった先生と一緒に隠れて、ママに見つけてもらう遊びをしたの。だって、お腹の中では二人だったのに、いつのまにか独りぼっちになったから。それにね、ママの妹が病気でもうすぐお空にいっちゃうの。パパは怒り出すとすごく恐いの。私はママにこっちを向いて欲しかったし、私を見つけてほしかったの。私がママに怒ってママを叩いていたら、ここの先生は私の身体を抑えて止めたの。私はびっくりして、思わずママに抱きついちゃった。叩いちゃダメだね。私は保育園に行くことが決まって、ここを卒業することになったの。最後の日に、「どうしてもAちゃん(架空の名前)が見つからない」って、大声で呼びながら部屋中くまなく探したの。結局見つけられなくて。でも、「もう大丈夫だよ、後は先生に任せな。安心して保育園に行っておいで」って言われたの。だから、もう先生に任せることにしたよ。
思いと想いの交流
このような赤ちゃんたちの姿を日々観察していると、胎児の時点から始まるごく早期の母子関係や家族関係のあり方が無関係ではないだろうと思うのです。まるで何かを背負って生まれてくるかのようだとすら思えるのです。赤ちゃんを、お母さんを、そして母子の関係性を観察し、彼らの思いを探ります。そして想いを巡らせ、また彼らにアプローチします。それを続けていると、赤ちゃんの肌の色が変化する、母が赤ちゃんをかわいいと感じるようになる、胎児期に失ったもう一人を探すなど、予想できない奇跡のような変化が起きるのです。
胎児や乳幼児の時期から彼らの思いに周囲の大人が想いを巡らせること、そしてあの手この手で語りかけること、このことが彼らの心身の健やかな成長につながると思うのです。