ロールシャッハ・テストと聞くとどのようなイメージを持つでしょうか。私は、ロールシャッハ・テストに最初に出会ったとき、タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』を思い起こしました。ソラリスの「海」は知性を持ち、訪れた人間の記憶をもとに像をつくり出して顕現させるのですが、その怪しげで魅惑的な謎めいた雰囲気をこのテストに重ね合わせたのだと思います。もっとも、タルコフスキーの映画は難解なことで有名でしたから、ロールシャッハ・テストに対する最初の印象も単に「難解」ということだったのかもしれません。
ロールシャッハ100年記念大会
ロールシャッハ・テストが公表されたのは1921年のことですが、考案者ヘルマン・ロールシャッハは、このテストと入れ替わるように、その翌年に37歳の若さで世を去りました。そのためロールシャッハ・テストは、完成品というよりも、まだまだ解明すべき点の多い存在として残されてしまいました。それはしかし、このテストの豊かな伸び代を意味し、実際にその後の1世紀、様々な研究、批判、議論が重ねられ、多様な広がりがもたらされることになりました。
そして、ロールシャッハ・テスト誕生から1世紀を経たこの2022年7月、「ロールシャッハ100年記念大会」として、国際ロールシャッハ及び投映法学会(International Society of theRorschach and Projective Methods: ISR) の学術大会がスイスのジュネーブで開催されます(本号が出るころには大会は幕を閉じていますが、ISRのサイトで様子をご覧になれると思います)。大会では、「ロールシャッハと投映心理学:人間理解を育んできた100年」というテーマのもと、この約100年の議論と発展を振り返り、知見や思いを次の1世紀につなげていくことが目指されています。研究発表のトピックスは、「トラウマ」「心理療法」「司法アセスメント」「倫理規程」「神経科学、知覚と投映法」「ロールシャッハ・テストに関する研究」「ロールシャッハ・テストの歴史についての新たな知見」「ヘルマン・ロールシャッハと芸術」など、科学としての側面から芸術的な側面まで幅広く取り上げられています。ロールシャッハ・テストを用いる研究者や臨床家のみならず、心理学者、精神科医、人類学者、神経科学者、哲学者、歴史家、芸術家など、ロールシャッハ・テストに興味を持つ専門家すべてに開かれた学際的なものとなっていて、このテストが持つ多様な性質やさらなる可能性を感じさせてくれます。
ISRにおける日本の役割
この記念すべき大会はISRの理事会によって運営されていますが、その中心にいるのは、大会長である中村紀子前ISR会長です。中村大会長は、アジアで初めて開催されたISRの大会(2011年第20回東京大会)で大会長を務めた後、2015年から2021年まで2期にわたってISR会長として身を尽くしてきました。現在、ISRには21か国の団体が登録していますが、その中で最も会員数が多いのは日本です。今大会の研究発表申込数も日本からのものが約4分の1を占めています。ヨーロッパで生まれ、アメリカで大きく育ったロールシャッハ・テストが、日本でしっかりと根を張り、花を開かせているわけです。私たちも中村大会長の背中を追い、世界のロールシャッハ・コミュニティに貢献できるようになりたいものです。……などと言うと、「背中なんか見ていないで、もっと先を見て歩きなさい」と叱咤の声が聞こえてきそうですが。
国際大会の意義
国際大会の最大の売りのひとつは、多くの国の人が一堂に会することで生まれる発見や交流ではないでしょうか。そうした場に居合わせることだけでも、たいへん貴重な体験となります。ロールシャッハ・テストが私にとって身近なパートナーになったのも、一部はISRの国際大会のおかげと言えますし、大会で出会った新たな概念や技法がその後の臨床実践を豊かなものにしてくれました。その影響は参加した個人だけではなく、もっと広範に及ぶこともあります。たとえば、イギリスでは一時期ロールシャッハ・テストが廃れかけていましたが、他国での使用状況や発展に触れることで息を吹き返し、今では有用なアセスメントツールとして定着し、人々の役に立っています。
この大会は新型コロナ感染症の影響で開催が1年延期され、さらにはオンラインを併用したハイブリッド方式での開催となりました。現地でなければ体験できない展示などもありますし、インフォーマルな交流の機会も制約を受けてしまいます。それでも、日本にいながら研究発表ができる、様々な講演を聞ける、職場や家庭、その他の様々な事情から現地に赴きにくい人にも参加しやすい、といったメリットがあります。この大会に限ったことではありませんが、このような新しい時代の開催形式から、もしかしたらこれまでとは違う出会いの「場」が創造されるかもしれません。
ロールシャッハ・テストは私にとって今や怪しげな存在ではなくなりましたが、ソラリスの海のごとくまだまだ謎は残されています。多くの仲間と解明の旅を続けていきたいと思います。