心理臨床の先達の卒業論文はいったいどんなテーマで書かれたのか? そしてそのテーマはそれからの臨床活動とどうつながっているのか? 今回は、ロールシャッハテスト、精神分析的臨床に多大な貢献された馬場禮子先生にお話を伺った。なお記事は先生へのインタビューをもとに、筆者が再構成した(敬称略)。

●「臨床心理学なんて心理学じゃない」

 「人の心を知りたい!」という思いを胸に、慶應大学に入学した馬場だったが、その期待が打ち砕かれるまでにそう時間はかからなかった。当時の心理学は、知覚実験で人の五感について探求する学問だと考えられており、馬場の期待は「人の心がわかると思っている奴がいるらしいよ、馬鹿だねぇ」という先輩同士の会話によって迎えられた。「臨床」という言葉に馬場が初めて触れたのも「臨床心理学なんて、あれは心理学じゃない」という教員の捨て台詞からだったという。しかし聞きなれない〝臨床心理学〟という言葉を調べてみると、それこそがまさに自分がやりたかったことだった。なんとか臨床心理学に触れ、勉強してみたいという気持ちが育っていく一方で、当時の〝心理学〟を取り巻く状況から、人の心を題材に卒業論文を執筆するのは難しかった。それでもなにか臨床心理学に関するものが書けないかと模索するなかで、馬場は社会心理学の教授のなかに心理検査を作成しているという教授に出会う。
 「わりあい臨床と近いのでは」と思った馬場は、教授が出張していた江古田の精神医学研究所に出向き、卒業論文を執筆することになった。

●日本版TATの作成を通して

 そこで馬場が携わったのは日本版TATの作成だった。TAT(主題統覚検査)とは、さまざまな状況が描かれた図版を被検者に見てもらい、その反応から被検者のパーソナリティに迫ろうとする心理検査である。図版を数人の画家に描いて貰った馬場は、その図版を使い実際の患者さんにTATを施行するべく、慶應大学医学部精神神経科に出入りするようになる。そしてそここそが、日本で当時まだ数少なかった精神分析の中核拠点であった。馬場はここで小此木啓吾と出会う。無給助手という形で入った神経科では「やりたいならなんでもやっていいよ」と自由に研究をさせてもらえたという。本との出会いもあった。精神医学研究所の書棚には大量の書籍が誰にも読まれないまま積まれていたが、その中から馬場は心理検査に関する「バイブル」となったラパポートのDiagnostic PsychologicalTesting と出会い、熟読した。またベラックによるTATの精神分析的解釈に魅せられもした。
 かくして日本版TATの施行は続いたが、馬場の興味は徐々に他に移っていく。新たな興味の対象となったのは神経科で出会うことになったロールシャッハテストだった。TATが比較的決まったストーリーの反応に収斂していくのに対し、ロールシャッハテストの反応には無限の可能性があると感じられた。「もっとロールシャッハを知りたい」と感じたという。ロールシャッハテストに魅了されながらも日本版TATの卒業論文自体は首尾よく進み、提出にこぎつけた。精神医学研究所のスタッフ達は馬場の書いた日本版TATの解釈を、自分たちのマニュアルに組み込もうとしたがったため、大変にありがたがられ、「どんどん書いてほしい」という感じだったそうだ。
 しかし日本版TATには限界もあった。依頼して描いてもらった日本版の図版には、本家にあるような奥行きや「含み」に乏しく、「こうも見えるし、ああも見える」というような幅がなかったため、使われぬまま消えていってしまった。しかしTATこそ、その後半世紀以上探求することになる精神分析とロールシャッハテストへと馬場を導いたものであった。
 「結局は思春期の悩みがちょっと大きかっただけなんですよ。でも自分の悩みを知性化したのね」と馬場。私の「それで結局人の心はわかったんですか?」という不躾な問いに「分かる範囲でしかわからなかったけど、それでだいたい用事は足りるんじゃないかしら」と答えてくれた馬場の笑顔が頼もしかった。

馬場禮子(ばば・れいこ)
一九五六年慶応義塾大学文学部哲学科心理学専攻卒業。一九五八年同大学院修士課程修了。三恵病院を経て一九八一年中野臨床心理研究室開設。常磐大学教授を経て、東京都立大学教授など歴任。『精神分析的心理療法の実践』『力動的心理査定 ロールシャッハ法の継起分析を中心に』(ともに岩崎学術出版社)など著書多数。

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