親のこころの苦悩
私達の多くは親になったとき、子供にはこんな大人になってほしい、こんな人生を歩んでほしい、といった期待や夢を膨らませ、子供の成長を楽しみにします。しかし、わが子の障害を知らされたとき、親は当たり前に期待していた「健常な子供像」を喪失し、子供に託した期待や夢、思い描いていた未来を喪失すると言われています。
生まれつき障害を持った赤ちゃんの親の思いを聴いていると、溢れ出る怒りや悲しみ、出口の見えないトンネルにいるような不安、子供の成長への期待と諦めの間で揺れ動くこと、そして親自身の生き方の変革を迫られるような大きな問いに直面していることが伝わってきます。「期待する子供像」の喪失から回復に向かう道のりは並大抵ではないのです。
また、障害によっては、その性質を理解するまでに多くの時間を要したり、発達段階に応じた課題や困難に直面する度に、悲しみや葛藤が繰り返し再燃することもあります。親もまた、人生の長い時間をかけて心の仕事に取り組んでいるのです。
子供へのネガティブな気持ち
わが子の障害という現実に直面したとき、「期待する子供像」と「障害を持つ目の前の子供」とのあまりに大きな落差から、子供に対してネガティブな気持ちを抱くことがあります。「自分の子なのにかわいいと思えない」「どうしてこの子だけできないんだろう」―そんな気持ちを抱く自分を責め、その苦しみを一人で抱える方も少なくありません。けれども、親自身が大きな喪失を経験しているのですから、子供への思いも揺れ動いて当然なのです。
もし周囲に、自分の苦悩を否定せずありのまま聴いてくれる他者がいれば、気持ちを率直に言葉にしてみることが助けになります。多くの場合、たとえ子供へのネガティブな気持ちを強く抱いていても、その奥には実に複雑で多様な気持ちが隠れています。自分でも受け入れがたい気持ちを「あってよいもの」として誰かと共有できたとき、苦しみでいっぱいだった心に隙間が生まれ、隠れていた別の思いが表に現れてくることがあります。素直な感情の表出と、感情を共有する他者の存在は、傷ついた心を回復へと導く一助となります。
新たな希望
子供の障害をめぐる葛藤で苦しんでいた親が、前向きな気持ちになったきっかけとして多く語るのは、子供の思いに気づき、心が通い合ったり、わずかでも変化や成長を感じたというエピソードです。打ちのめされて、先の見えない暗闇の中にいる親の心にそっと希望の光を灯すのも、障害を持った目の前の子供なのだと思います。
その子なりの発達の道筋や成長の希望が見えてくるまでの道のりは容易ではありません。子供の側に他者とやりとりする力の弱さがあったり、親自身が混乱した心理状態であるがゆえに、子供の発するサインや変化に気づきにくいことがあるからです。そんなときには親子だけで頑張るのではなく、発達支援の場で出会う専門家のサポートを得て、子供を理解する手がかりを共に探っていけるとよいと思います。その子なりの成長を捉える新たな視点を取り入れることができ、わが子の持つ独自のよさに気づくことがあるかもしれません。
障害を持った子供と共に歩む人生には、諦めること、子供の力を信じて取り組むこと、今最も優先すべきことを立ち止まって考えなくてはならない局面が何度も訪れることでしょう。発達支援の場にはその難しい問題を一緒に考える人がいます。親子が安心し、支えられる場があることは、子供の発達の可能性を拡げることに繫がっていくと思います。