喪失と不安
自分が信頼できる人に囲まれているとき、人は「安心」という言葉の意味を実感できます。しかし現実には、その安心感を脅かすやっかいな出来事が次々に舞い込んできます。無力な乳幼児でなくとも、大人でさえ、安心感を持ち続けることは容易ではありません。ウクライナの戦場や各種の災害現場でペットや子どもを抱きしめながら涙する人々の姿を、報道で頻繁に目にします。
実は、心のケアを専門とする心理療法家もその例外ではありません。精神分析を戧始したフロイトは、生後間もない時期に何度も喪失体験を被っています。母アマーリアは、二一歳で長男のフロイトを産んだ直後に流産を繰り返し、その後まもなく生まれた次男も病気で失っています。若い母親にとって、度重なる流産や死別が及ぼす喪失体験の重さは、容易に想像できます。この間、幼いフロイトの養育は乳母に託されました。二歳半で、その乳母も突然いなくなるという喪失を体験しています。さらに、その後五人の妹や弟の誕生も加わったことによる母性喪失が、彼の不安傾向をより強めたのではないかと推測されます。
フロイトと忠犬ヨフィー
では、心理療法家となったフロイト自身は、自らの癒しの手立てをどのように講じていたのでしょうか。彼の子ども時代には、ペットに親しむ習慣はなかったようですが、大学での教授職を諦めて自宅開業に踏み切った後、ペットの存在が彼と家族が「安心感」を保つうえで不可欠となり、多大な癒し効果を発揮したようです。最近、ロンドンのフロイト博物館が掲示したブログによれば、フロイトが面接中もそばに置いていたペット犬のヨフィーが、終了予定の時刻になると決まって知らせたため、時計が必要なかったそうです。この微笑ましいエピソードは、ペットのヨフィーがフロイト・ファミリーの安心感を陰で支えた重要なチーム・メンバーだったことを雄弁に物語っています。
ペットロスからの回復
心理療法の大家でさえ必要とする癒しの力を持つペットを失うことが、一般人にとっても大きな喪失体験となることは言うまでもありません。いわゆる「ペットロス」は、ペットとの生活経験がない方には想像がつかないほど深刻な心理的障害となり、積極的な心理支援が必要になることがあります。私自身の臨床経験でも、ペットロスに対処しようとしてクライエントが編み出した工夫を教えてもらうことがあります。たとえば、ある親子の場合、亡くなった愛猫によく似たぬいぐるみを買ってきて、それを居間に飾っていたそうです。深刻な愛着障害をかかえた息子はすでに三〇歳を超えていたのですが、就寝時にはそのぬいぐるみを自室に持ち込み一緒に寝ることで、安心感を得ていたようです。
その彼が、外出時に二匹の幼い野良猫を見かけて、ときおり餌を与えるようになったのです。二匹は双生児だったのですが、とても警戒心が強く、すぐに懐く様子はなかったようです。彼は、両親の協力を得て、地域の動物保護活動をしているNPO法人を通じて二匹の子猫の里親になる手続きを踏み、最終的に自宅に引き取りました。子猫たちは生後すぐに捨てられたらしく、とりわけ警戒心が強い一匹は、餌を与えても食べようとせず衰弱していったそうです。しかし、親子三人が辛抱強く世話を続けることで猫たちは徐々に餌を食べるようになり、彼もその成長を温かく見守るようになったそうです。かつては野外で怯えながら生きていた猫たちが回復していく情景を想像しながら、私には、その世話をする親子もまた、心の絆を結び直しているように感じられました。
参考文献
ルイス・ブレーガー(二〇〇七)『フロイト―視野の暗点』(後藤素規・弘田洋二監訳)里文出版