恋愛をすると、時には不安や不満を感じることもあるけれど、特別な幸せを味わえるものです。ところがその関係が途中で壊れて、終わってしまうこともまたあるものです。

失恋と心の不調

 大好きな恋人を失うことは、とてもつらいことです。お互いが納得した上で恋愛関係が終焉する場合は穏やかに別れられるでしょうが、実際はそううまくいかないことが多いのもまた恋愛関係です。浮気や裏切りが原因で別れると、憎しみさえ抱くでしょう。どちらか一方が別れたくて、どちらか一方は別れたくないというように、ふたりの想う気持ちに差が生じることは珍しくなくて、それが未練にもつながります。

 臨床心理学的に考えると、失恋は大きな愛の対象を喪失してしまっているということになります。「対象喪失」とは、愛の対象や欲望の対象、依存の対象、または自己愛(自分を愛する)の対象を失う体験を指していて、その対象が自分にとって重要であればあるほど失ったことのストレスは大きなものになり、心身に不調をきたすこともあるほどです。誰も対象喪失など経験したくないと思うものですが、関係が壊れて大好きな人を失うこともよくあります。逆に自分が冷めて、恋人の心を傷つけてしまうこともあるでしょう。

『エコーとナルキッソス』ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1903年)
『エコーとナルキッソス』ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1903年)

それでも人を愛することの能力「恋愛関係の終焉の意味」

 恋愛関係がうまくいかないと、苦しくて、寂しくて、生きていることにさえ意味を感じられなくなることもあるかもしれません。振られた側は自分には愛される価値がなかったのかとさえ思って落ち込むかもしれません。

 だけど、こんな悲劇もあります。ギリシャ神話には、ナルシストの語源にもなったナルキッソスという美男子が登場します。彼は人を愛することができない青年だったため、彼に想いを寄せるニンフ(妖精)のエコーをひどく傷つけて遠ざけてしまいます。怒った女神の罰でナルキッソスは水面に映った自分の姿しか愛せなくなり、永遠に成就しない愛に苦しみ、遂には水仙になるという物語です。このように自分以外の人を永遠に愛せないナルシストも実は悲劇の人なのです。一方で人を愛せないナルシストに恋したエコーもまた、自分のことを愛せなかった悲劇の人かもしれません。愛することを真剣に考えたエーリッヒ・フロムは自分を愛せず他人しか愛せないこともまた、愛することができない人だとも語っています。愛することとは、私自身も他人と同じく愛する対象になるし、基本的に繫がっているのだというわけです。

 そう考えると、たとえ恋愛関係が終わったとしても、あなたが誰かを一生懸命愛せたのならば、それそのものにすでに尊い意味があるのではないでしょうか。性の発達を考えたウィーンの学者ジーグムント・フロイトは、人を愛することは成人の発達した能力だとも語っています。恋愛関係の終焉の意味を考えたその果てに、わたしたちは次の恋にも進んでいけるのかもしれません。人を愛することができるようになったナルキッソスと自分自身も愛せるようになったエコーとが、関係の終焉の先に出逢い愛し合えることを信じて・・・。

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