ロジャー・フリー先生は、現役の精神分析家であり、同時に、臨床心理学者、歴史家、社会哲学者でもあります。現在は、京都大学の客員教授として臨床心理学・精神分析学を教えておられますので、今回、先生の長年の研究対象である歴史的トラウマ、ホロコーストのことなどについてインタビューしました。

―先生の専門分野は、歴史的トラウマ、文化的記憶、ホロコーストだと伺っています。どのようにして、これらのことに興味を持つようになったのですか?

 精神分析家にはよくあることですが、私の専門分野には、個人的な背景が影響しています。私の両親はドイツ人で、私はカナダとスイスでバイリンガルとして育ちました。しかし、家族や親戚のほとんどはドイツに住んでおり、私もドイツ、特にベルリンによく行きます。ドイツでは、ナチスの行ったことに対する疑問は依然として非常に現実的で、ドイツには集団的な追憶の文化があります。一方で、個々のドイツ人、個々の家族は、自分たちの家族がナチスの時代に実際に何をしたのかについて知らないことが多いのです。私は歴史に関心を持ち、社会として、また個人として、私たちが過去からの影響によってどのように形成されてきたのかをよく理解するようになりました。集団的記憶と個人的記憶の間にあるこの緊張感が、記憶をテーマにした研究を行うきっかけとなったのです。同時に、精神分析家として活動する中で、ホロコーストやその他の世代間トラウマを生き延びた家族を持つクライエントと多く関わってきました。ホロコーストの恐怖からくる苦痛やトラウマを語るクライエントの話を聞くうちに、私自身のドイツの家族の歴史や、ドイツによるホロコーストの加害の遺産について、まだ答えのない多くの疑問があることがわかってきました。このように、歴史と記憶に対する私の個人的な関心と、被害者家族のクライエントと関わった専門的な経験が相まって、このテーマをより詳細に研究することになりました。この15年間、私の出版物の多くは、歴史的トラウマ、記憶の世代間伝達、加害の遺産と加害者集団の子孫への影響という問題を扱ってきました。

―著書『Not in My Family ホロコースト後のドイツの記憶と責任』について教えてください。

 奇妙に聞こえるかもしれませんが、これは私が書こうと思っていた本ではありません。世代間トラウマとそれが大量虐殺の子孫に与える影響について研究している最中、私はドイツ人家族の中に、語られることのないナチスの過去を見出したのです。これは、ドイツにいる家族のもとを訪れた際、見慣れない制服を着た祖父の姿を目にしたとき、まったくの偶然から起こったことでした。同僚の勧めもあり、私は精神分析学会で、自分の発見とそれがクライエントとの関わりに及ぼした影響の一端を共有しました。やがて、私の家族の物語は、ホロコーストの生存者の子孫にとっても、ドイツ人加害者の子孫にとっても、より広い範囲で共鳴するものであることが明らかになってきました。他の心理学者や精神分析家の励ましもあり、私は記憶、トラウマ、責任の問題を扱った本を執筆することにしました。
 この本は、加害者としての歴史を持つことや、かつての加害国に属することに関連するトラウマ、恥、罪悪感に対処することが、社会としても個人としても、いかに困難なことであるかを取り上げています。この問いは、日本においても、異なる形で関連性があると思います。とりわけ、大量虐殺の子孫を対象とする私の臨床活動は、暴力的な歴史の影響が消えることはないことを教えてくれました。精神分析では、歴史的なトラウマは残り続け、私たちがそれに対処できるようになるまで、その存在を思い起こさせると教えています。この視点は、私が行う執筆活動や研究にも大いに活かされています。

―新刊の『文化 政治 人種 対人関係精神分析の形成』と『破局の縁 エーリッヒ・フロムとホロコースト』を執筆した経緯について教えてください。

 今日の北米では、心理学や精神分析の実践において、社会的、文化的、政治的な要因が果たす役割に強い関心が集まっています。これは、米国におけるトランプ政権時代の右派政治の盛り上がりが関係していることは間違いないと思います。様々な差別や人種差別が蔓延しており、それは治療関係にも影響しています。本書は、人間の経験における社会と政治の役割について語ることへの心理学的関心が、決して新しいものではないことを実証しています。1930年代、先進的な臨床家や学者のグループが、社会や文化というレンズを通して人間の経験を理解する視点を発展させました。このアプローチは、現在では「対人関係精神分析」として知られていますが、長い間「文化的精神分析」と呼ばれていたものでした。このアプローチは、ウィリアム・アランソン・ホワイト研究所の創設者である急進派の精神分析家たちが、人間は基本的に社会的存在であり、面接内で起こることは常に社会規範、価値観、信念の影響を受け、形成されると主張したのです。この社会的なプロセスについて知り、理解すればするほど、クライエントとの作業、そして、私たちセラピスト自身が常に社会によって形作られていることをより理解することができます。このことが意味するのは、個人として、あるものは見えても、あるものは見えないということです。例えば、50代の男性教授であり精神分析家である私は、社会の中で特権的な立場にあります。そのため、クライエントが語ることも、社会的な立場上、見えないこと、わからないことが多いかもしれません。これは特に、家父長制の社会では残念ながら強力な力を持っているジェンダーや人種差別といった問題に関連しています。私がここで述べているアプローチは、1930年代に初めて登場したもので、エーリッヒ・フロムの社会精神分析に多くを負っています。これは、今年末に出版される予定の私の最新作『Edge of Catastrophe:エーリッヒ・フロムとホロコースト』に関する質問とも関連しています。

―現在、日本にいらっしゃいますね。日本での臨床や精神分析について、どのような印象をお持ちですか?

 私にとって明らかなのは、日本における精神分析は活気に満ちた思想と実践の場であり、日本の精神分析家が行っている多くの仕事は、日本を越えてより多くの読者に届く必要があるということです。私は、日本の精神分析は、西洋の心理学や、今日までさまざまな形の心理学や精神分析実践に組み込まれている西洋文化的価値観の脱植民地化において、特に重要な役割を担っていると考えています。私のように日本へ訪問することによってアイデアや視点の交換ができ、クライエントの経験であれ分析家の仕事であれ、特定の文化的文脈がどのように経験を形成するかという異文化間の認識を深めることにもつながります。今後数年間は、日本における臨床の豊かさを伝えるプロセスに参加し、脱植民地化という大きな問題に貢献できればと思います。


Roger Frie, PhD, PsyD, R. Psych
臨床家として、ニューヨークのウィリアム・アランソン・ホワイト・インスティテュートのファカルティおよびスーパーバイザー。サイモン・フレーザー大学教育学部教授、およびブリティッシュ・コロンビア大学精神医学部准教授。著書に『Not in My Family ~ German Memory and Responsibility after the
Holocaust』、『 Culture, Politics and Race in the Making of Interpersonal Psychoanalysis:breaking boundaries』、『 Edge of Catastrophe, Erich Fromm and the Holocaust』(出版予定)他多数。

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