ユング心理学的な表現を借りるなら、アスリートの心理療法あるいは心理サポートでは現実適応(競技力向上、実力発揮)と個性化(心理発達)が課題となると考えています。両者は共存するだけでなく裏づけとなる関係、あるいはなるべきものと考えています。しかし、来談するアスリートには現実適応への偏りすぎや競技力向上に心理発達が追いつかないでいるようなあり様が見受けられることがあります。ここではアスリートの心理臨床的関わりや観察から表題のテーマについて述べます。

競技中の何気ない動作の象徴性

 ユングの『人間と象徴』(河合監訳、河出書房新社、124・136頁、1975)の中に、神がアダムに生命を吹き込んでいる戧世記を表す中世の絵画や、キリストが盲人を唾によって治療している絵画が紹介されています。後者では唾が息と同じく生命を与える能力を持つと信じられてきたと説明されています。
 専用の滑り止めがあるにもかかわらず、一部のバッターはバッターボックスに入る前に手のひらに唾を吐くような動作を行うことがあります。また、アスリートだけでなく私たちの日常生活の中でも何かに取り掛かろうとした時に、自身を奮い立たせる(心的エネルギーを吹き込む)かのように手のひらに唾を吐く動作をするのを見かけることもあります。大谷選手はマウンド上やバッターボックスの中で時々握った右手に息を吹き込むような動作を見せることがあります。そこには指先を暖めたり乾燥を防いだりする目的だけでなく、上述の絵画に込められたような象徴的な意味合いを想像せずにはいられません。余談ですが、投球間の時間短縮を目的としてMLBでは今シーズンより新たなルール(ピッチクロック)を導入したことから、こうした動作は減ってしまうのかもしれません。
 大相撲では、制限時間いっぱいとなり仕切り線で向かい合うとき、相手方はすでに立ち合いの姿勢に入っているのに、立ったまま両足を交互に動かし足裏で土俵面を繰り返しなぞる力士を見かけます。このような動作からは足元が滑らないようにするためだけでなく、大地との接触を確かめる事で心理的安定を求めているのではないかと思われてならないのです。

パフォーマンスルーティン:体からこころを整える

 アスリートは試合で実力発揮できるようさまざまな心理的技法を用いています。その一つにパフォーマンスルーティンがあります。アスリートの動作開始前(例えば、相手投手の投球を待つ間のバッター、サービス動作に入る前のテニスプレーヤー、他)からは一連の特徴的な動作を認めることがあります。それはアスリート個々で異なるものの、個人の中ではいつも同じ動作が一定の順序で繰り返されています。こうした儀式的ともみられる動作(パフォーマンスルーティン)を直前に行うことで、安定した心理状態での競技開始が可能となると言われています。
 運動学的には、パフォーマンスルーティンは主動作に対する予備動作として関連づけられるのですが、ルーティンとしている動作の遂行によって緊張不安といった阻害要因からの影響を減じていることからは、心理的役割も大きいように思われます。一部のトップクラスのアスリートは、こころに直接働きかけて競技遂行に望ましい心理状態に持っていけるようですが、多くは「体に働きかけ、こころを整える」方法を採用しています。ルーティンの動作そのものには本来心理的な意味はないと言われているのですが、個々の動作にイメージを重ねることによって心理的意味が生まれ、そしてその役割は増していくはずです。それゆえ個々の動作に象徴的な意味合いを見出すことができるのかもしれません。
 スポーツは競技開始前までが心理学的であり、競技が始まる(動き出す)と運動学の比重が大きくなると考えています。例えば、陸上競技の100メートル競走ではスタート前のアスリートの動きに注目すると選手のこころの整え方がさまざまで面白いです。

関わりの「窓」としてのパフォーマンスの語り

 以前、学生相談室のお手伝いをしていた頃、スポーツ系の学生と他専攻の学生との違いを感じることがいくつかありました。その一つは、彼らの相談内容には自身の専門とする種目のパフォーマンス(動きの特徴や課題)や、時には体の不調(例えば、痛み)といった広義の身体に関わる訴えの多い事でした。当初の私は、それらが心理面の語り(内的体験)とは受け止められず、彼らの内省力の低さに由来するものと考えていました。今思い返すと、当時の私は狭い意味での心理的あるいは内面の語りのみを求めていたようでした。しかしいつの頃からか、そうした身体の問題の訴え・語りを通して、彼らが内的な体験を語っていることを理解するようになりました。

 例えば、「国内の大会ではトップを走っていたが、さらに上を目指すならここ一番大きな技を出せるようにならないとダメ。そのためには対戦相手の後ろの空間を使って技をかける必要がある。しかし、一瞬とはいえ相手に身を任せることになるため、それが不安でできない」と語ったアスリート(クライエント)がいました。ある時ご自身の特徴について「石橋を叩いて渡るという諺がありますが、私は叩いて叩いて橋を壊してしまい、渡れなくしてしまうことが多い」と言及されたのです。私のなかでは、これらの語りがこの方のパフォーマンスの特徴や課題とイメージレベルで重なったのでした。以来、彼らの身体を通した訴えをイメージレベルで受け止めるようになり、また象徴的意味合いを考えるようにもなり、スポーツ系の学生の相談における物足りなさ(深まりや内省力のなさ)は、カウンセラーとしての私自身の問題であったことに気付かされました。

 相談の中で、クライエントが「指導者からはこんなことを言われている」と言及したり、私の方から「コーチからどのようなアドバイスをもらっているの」と尋ねたりすることがあります。優れた指導者によるアスリートのパフォーマンスに関わる見立てやアドバイスは、運動学的な視点からは妥当であるに違いないのですが、継続されてきた相談において私が感じていたクライエントの背景にある心理的課題と彼らの指摘がイメージレベルで重なることがしばしばあります。トップクラスのコーチは動きの指摘を通してアスリートのこころに触れ合っているようです。

広報誌アーカイブ