「遊び」は語る

 子どもの頃に好きだった遊びはなんですか?―自分に問いかけてみると、あるひとは怪獣になりきって、飛んだり跳ねたり大暴れしたことが思い出されるかもしれません。逆に、ヒーローになって怪獣と戦った、というひともいるでしょう。あるいは、公園の茂みにお家をつくり、草花でお料理したことが思い浮かんでくるかもしれません。好きだった遊びを思い返すとき、私たちは、ほんの少しのノスタルジーとともに、子どもだった自分の生き生きした体験がよみがえってくるのを感じます。遊びというのは、私たちのこころに働きかける力をもっているようです。
 子どもを対象にした心理療法は、プレイセラピーといって、遊ぶことを通して行われます。子どもにとって、遊ぶことは、自分を表現するごく自然な方法です。大人は主にことばを用いて自分の気持ちや体験を語りますが、子どもは、遊ぶことを通して自分を語るのだ、ということができるかもしれません。

「遊ぶこと」とこころのセラピー

 遊ぶことは、なぜこころのセラピーになりうるのでしょうか。プレイセラピーにおける遊ぶことの意義については、これまでさまざまな考えが示されてきました。そのなかで、遊ぶことそのものに意味がある、という考えがあります。プレイセラピストと遊ぶなかで、子どもは、自分でも気づかなかったようなこころの動きを象徴的に体験します。このような体験において、子どもは、自分のなかにある潜在的な可能性に開かれ、成長に向かう傾向が実現されていくのです。

遊びが開くファンタジーの世界

 このようなこころの働きは、遊びのなかで、ときにファンタジーとして現れてきます。プレイセラピーをしていると、子どものこころの世界が、生き生きと出現してくるのに出会うことがあります。
 ここで、ひとつの遊びを紹介したいと思います。ある子は、大きな帆船に見立てたジャングルジムに登って、向こう側に広がる砂場という大海原に漕ぎ出していく、という遊びに熱中しました。仲間と一緒に、食べものや水を手に入れたり、宝物を探しに出かけたりします。そのなかで、不思議な人や、親切な人、時には怖い人に出会うこともありました。この子どもの冒険は、まるで物語のようにどんどん展開していきます。

 この遊びは、実は、実際のプレイセラピーの事例ではないのですが、子どものこころが生み出すファンタジーの様相を生き生きと伝えてくれます。子ども時代のある一時に、このような冒険遊びに夢中になったひと、あるいは遊んだわけではなくても冒険小説や漫画などにこころ惹かれた経験のあるひとは、多いのではないでしょうか。そして、このような冒険遊びが、プレイセラピーにおいて展開されることもまたけっこうあるように思います。このようなとき、セラピストは子どもと一緒にファンタジーに入っていくような体験をします。ファンタジーというと、なにか作られたもののような感じがするかもしれません。けれども、子どもと一緒に遊んでいると、決してそうとは思えず、その世界を実際に生きているような感じがしてくるのです。精神科医であり心理学者でもあるユング(1971)は、「こころは日々現実をつくりだす、この活動はファンタジーと言い表すほかない」と述べています。遊ぶことが紡ぎだすファンタジーは、こころの現実なのであり、子どもの生きている世界そのものでもあるのではないでしょうか。
 子どもの遊びを、その子のこころが生み出した現実と見るとき、遊びは単なる娯楽ということを超えて、重要な意味を私たちに語りかけてくれるように思います。船に乗って大海原に漕ぎ出すイメージは、子どもが親に守られた家から離れて、外の世界の未知なるものへと開かれていくイメージと重なります。この遊びは、こころの成長において避けることのできない心理的な自立という課題を、ひとは、ファンタジーを通して乗り越えていくことがある、ということを示しているように思います。

子どもの遊びとこころのリアリティ

 遊びを通して私たちの目の前に現れてくる子どものこころの世界は、楽しくて笑いがこぼれでてしまうようなこともあれば、思わず息を呑んでことばを失ってしまうような深みを感じさせることもあります。臨床心理学者の河合隼雄は、「ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している」(1994a、4頁)と述べています。そして、子どもの目が、大人が見逃してしまいがちな「現実の多層性」(1994b、9頁)を映し出すことを指摘しています。遊ぶことは、子どものなかにある宇宙がどのようなものか、私たちの前に示してくれます。それはまた、現実というのが一つに決まったものではなく、潜在的な意味と可能性に開かれた、多層的なものであることを示しているように感じられます。ジャングルジムはジャングルジムであると同時に船なのであり、砂場は砂場であると同時に海でもあるのです。そして、私たちは、ジャングルジムで遊んでいると同時に、実際に冒険の旅にも出かけているのです。
 大人になると、子どものようには、こころのままに遊ぶことが難しくなってしまうかもしれません。また、河合も指摘しているように、現実が多層的であることを、そしてこころもまた多層的であることを、忘れてしまうことも多いかもしれません。けれども、子どもの遊びが語る内容に耳を傾けていると、私たちのなかにある「子ども」が動き出し、深く豊かなこころの可能性に開かれていくように思われるのです。
 子どもの頃に好きだった遊びはなんですか?好きだった遊びをあれこれ思い浮かべてみると、自分のこころが動き出すのを感じるのではないでしょうか。遊ぶことは、ことばとは異なる次元から、私たちのこころの現実を語りだしてくれるのです。

●引用文献Jung,C.G.(1971).TheCollectedWorksofC.G.Jung6.PrincetonUniversityPress.Princeton.
河合隼雄(1994a)『河合隼雄著作集6子どもの宇宙』岩波書店
河合隼雄(1994b)『河合隼雄著作集4児童文学の世界』岩波書店

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