LGBTQという言葉はどの程度、一般的になったのでしょうか。一〇年前に比べれば、新聞やニュース、テレビドラマ、有名人のカミングアウトなど、さまざまな場面で耳にすることが増えたように感じます。異性愛者の恋愛について一言でまとめることが不可能なように、セクシュアル・マイノリティの恋愛も一括りにできるものではありません。主体的、積極的に恋人を作ることが得意な人と苦手な人、恋愛経験が多い人と少ない人。十人十色という言葉がありますが、セクシュアリティに関係なく、人は自分だけの個別的で主観的な恋愛を経験しているのではないでしょうか。
私は、学生時代からセクシュアル・マイノリティに対する心理的支援に関心があり、二〇一五年から東京にある大正大学で、一五〜二五歳の当事者を対象に「10ストーリーズ」というサポートグループを運営しています。今回は、このグループに参加するような、まだ同じセクシュアリティの友人がおらず、コミュニティにもつながっておらず、自身のセクシュアリティを自覚して間もない当事者が、どのような体験をしているかをお伝えしたいと思います。
( 恋愛話のストレス・異性愛者を
装うことと罪悪感 )
異性愛者が多くを占める場で、異性愛者として接せられる当事者がどのように生きているのかという点から始めたいと思います。ゲイ、レズビアン、バイセクシュアルの人の多くは、恋愛や結婚に関する話題、状況に対して居心地の悪さを感じることがあります。人によっては、居心地が悪いという言葉では表せないほどのストレスとなります。
学校では、小学校高学年から中学、高校にかけて、友人同士で「誰それがかわいい(かっこいい)」といった恋愛に関する話題、いわゆる恋バナが増えていきます。就職後は、交際相手の有無や好きなタイプの話、家庭でも、年齢が上がるにつれて「結婚は?」「孫は?」といった異性愛を前提とした質問が投げかけられます。これらの多くは悪意によるものではなく、日常生活のコミュニケーションの中で自然と行われるため、じわじわと締めつけられるような息苦しさとなります。
自身のセクシュアリティに気づいて間もない時期であれば、「自分はおかしい」「普通ではない」といった不安を強くするかもしれません。はっきりとゲイ、レズビアン、バイセクシュアルと自覚していたとしても、カミングアウトをしたいと思える場でなければ、冷やかしや無視、いじめといった差別や偏見を恐れて異性愛者として振る舞う人も少なくありません。同性を異性に置き換えて答えたり、あらかじめ異性愛者用の回答を用意したり、人によっていろいろな方法を試します。噓をつかないまでも、なんとなく話を合わせるという対応もあるかもしれません。しかし、高校卒業後は性行為の経験率も増え、話題もより具体的なものへと変化します。想像だけで対応することも困難となり、恋愛話自体を避けるという声もよく聞きます。
ここで重要なことは、異性愛者として振る舞うという行為は、ストレス場面への対処法であると同時に、噓をついてしまったという罪悪感を抱かせる原因にもなるということです。異性愛者の親友から好きな人がいると恋愛相談をもちかけられた際、カミングアウトしていれば自分の経験も踏まえて答えることができます。しかし、カミングアウトしていない場合、「お前はどうなんだ?」と質問されたとしても、はぐらかしたり、噓を言ったりすることで、自分を信頼して相談してくれた友人を裏切ったように感じます。割り切れない真面目な子ほど、噓をつくことに苦しさを感じるようです。
( 恋人を作ることの難しさ )
異性愛者であれば、学校や職場など日々の生活で知り合った人との関係が恋人に発展することはおかしくありません。セクシュアル・マイノリティの場合は、日常生活の中で出会う相手が自分と同じセクシュアリティの人であるかどうかが分からないため、その可能性は低くなります。これは恋人に限らず、友人でも同じことが言えますが、セクシュアル・マイノリティが自分と同じセクシュアリティの人と出会うには、自ら動く必要があります。これまでの出会いの場には、バーやネット上の掲示板などがありましたが、最近は、SNSやスマートフォンのアプリを利用して出会う人が増え、若年層も気軽に他の当事者と出会うことができるようになりました。
出会い方の変化は、孤独感を解消できるという面では歓迎すべきことですが、一方で、出会った相手から性的な関係を強要される性被害の問題や、女性同士の出会いを求める人からは、やりとりしている相手が本当に女性なのかといった不安の声を耳にします。ビギナーであればあるほど、一対一ではなく、グループで出会える場(サポートグループやサークル等)の方が安心感や安全感を得られやすいでしょう。
( トランスジェンダーと恋愛 )
性別に違和感を覚えるトランスジェンダーの場合はさらに複雑になる傾向があります。早い人では就学前から感じる違和感に対して、二次性徴や、男女の性別カテゴリーが強まる中学進学以降は、さらに多くのエネルギーを割いていくことになります。トランスジェンダーの人の場合、自分自身の性別違和に取り組むと同時に、恋愛についても対応することになります。両者が同時並行の場合もあれば、まずは自身の課題を優先する場合もあります。誤解があるかもしれませんが、性同一性(性自認)と性的指向は、それぞれが独立した概念です。トランスジェンダーが皆、異性愛者であるとは限りません。トランスジェンダーのゲイ、レズビアン、バイセクシュアルも当然います。トランスジェンダーだからといって、異性愛と決めつけることは控えたほうがいいでしょう。
また、恋愛自体が難しいという声もよく聞きます。自身の性自認と一致するジェンダーで社会生活を送っていた人が告白された場合には、トランスジェンダーであることを明かすかどうかといった選択を突きつけられることになります。また、出会う機会が乏しいことに加えて、自身の性的指向が何であろうと、相手がトランスジェンダーの男性や女性を恋愛の対象とするかも分かりません。
サポートグループで聞いた「(異性愛、同性愛)どちらにしても相手のニーズを満たせない」という言葉が印象に残っています。友人ではなく、恋人として関係を深める場合は、さらなる難しさがあるのだということを教えられました。
( まとめにかえて )
今回は、紙面の関係で十分にお伝えできなかったバイセクシュアル、性愛的な欲求がないエイセクシュアルなど他のセクシュアル・マイノリティも誤解や偏見を受けています。
また、恋愛の入り口について話しましたが、その先にあるLGBTQの結婚や子育てといったテーマもようやく日の目を見るようになってきました。異性愛を前提とせず、多くのセクシュアリティを知ることは、我々の生活を豊かにするものだと思います。
LGBTQとはテレビの中だけの存在ではありません。すでに存在する隣人です。皆が生きやすくなるよう、さらに一歩、寛容で、成熟した社会になることを願ってやみません。