( 「絶食系」、「VR」の時代に )
最近、恋愛界における生態系に異変が起こっているのを読者の皆さんはご存知でしょうか。新興勢力の名は「絶食系」といいます。「絶食系」とは「積極的に恋愛をする『肉食系』や、恋愛はしたいけれど積極的に異性にアプローチをしない『草食系』から派生した言葉で、恋愛に興味がない男子・女子」(コトバンク)のことを指します。そもそも異性への興味をなくし、つながりは断絶すらされているようです。
絶食系とまではいかないまでも、異性との触れ合い方の変化には臨床場面でもよく遭遇します。あるクライエントの女性から「新しい恋人ができました」と報告されました。少し間があった後に「……VR(バーチャル・リアリティ)の中ですけど」と続きました。詳細を尋ねると、VR上の仮想空間で知り合った「女性」と交際することになったと分かりました。VR上では好みの顔や服装をしたキャラクター(アバター)を用いることができるのですが、彼女は男性のアバターを使用し、女性のアバターを使用している誰かと交際を始めたと言うのです。中にはリアルでの交際に発展することもあるようですが、VR上はあくまでも仮想空間なので、生身の接触はありません。
このように〝いまどきの恋愛〞は恋愛対象の相手との触れ合い方に大きな変化が起こっており、人との間に親密さを求めていないかのようにも見えます。
絶食系にしても、VRにしても、本当に恋愛に興味がなく、直接的な触れ合いや親密さを求めていないのでしょうか? 社会の多様化が進み、さまざまな恋愛の形がある中、確かにそういう人も一定程度は存在するでしょう。けれども、ここでは臨床心理の視点からその背景に目を凝らしてみたいと思います。
( 「自分の感情が怖い」 )
例えば、絶食系男子や女子の中には、自身に好意や性的な関心を向けられることが「怖い」人がいるようです。心理療法の中で語られる恋愛の話に耳を傾けると、ある男性は「彼女を作ると自分がムカついたり、感情的になるかもしれないじゃないですか」と自身の感情が表に出ることを恐れていました。他にも「もし彼氏ができたら、その人に支配されてしまうから交際したくない」と恐れていた女性が思い浮かびます。
彼らの行動を見れば「絶食系」と名付けられるかもしれません。しかし、それは他者との接触の際に起こる自身の中のさまざまな情緒の取り扱いに悩んでいるゆえかもしれず、このことと接触を避ける人が増えていることは、無縁ではないと私は考えています。
「自分や相手の感情が怖い」というのは切実な悩みです。人との距離をもっと近づけたかったり、生身の関係を求めたりしていても、怒りや不満による憎しみ、あるいは愛情による嫉妬や執着などの気持ちが自分の中にせり上がってくると、途端に逃げたくなってしまうのです。たとえ、相手が自分に好意を向けてくれても、むしろそれゆえに断らざるをえないということも起こるかもしれません。
( 「(自分が)求めているものが分
からない」 )
さらに別の理由も考えてみましょう。
先のVRの女性は身体的に接触したくないのかという私の質問に対して、散々悩んだ末に「自分が何を求めているか分からない」と語りました。今のままで満足しているような気もするし、直接会ってみたい気もするけれど、よく分からない、と。この言葉を聞いて、私は、彼女は自分自身の欲求が分からない状態なのだろうと思いました。
欲求はそもそも目に見えないものですが、朝靄のようにぼんやりと形が見えるようなものと、濃霧のように全く見えないものでは意味が異なってきます。自分が何を求めているのか見当もつかないと、どうしたらいいのか分からなくなりますよね。このことも結果として接触を避けることにつながっていると言えるのではないでしょうか。
( 「人と親密になる」意味とは )
「人と親密になる意味って何ですか? だって面倒なことばかりじゃないですか。だったら楽な距離感にいた方がいいですよね?」
心理療法の中で私に質問してきたのは、いつもマスク姿で来所する中学生の男の子でした。人と親密になる意味は何でしょうか。皆さんはどう思いますか?
例えば、仮に私の嫌いな色が赤だったとします。赤色のものは極力身につけず、買うことはありません。しかし、赤色が好きな人と出会ったとします。私は内心では「絶対に赤色なんて身につけない」と思っています。しかし、その人と親密になり、ぶつかったり、いろいろな体験をしたりすると「赤色も悪くないかも」と思うようになるかもしれません。
そうすると、今まで毛嫌いしていた赤色を自然に見ることができ、世界の見え方が変わります。「なんだ、それだけか」と残念に思う人もいるかもしれません。しかし、一人でいるだけではその変化は起こりません。親密になる意味とは、一人でいる時には起こらないことが起き、相手と交わることで自分自身が変化し、世界の見え方が変化することだと私は考えています。
( 〝絶食系〟の背景にあるもの )
さて、現代では触れ合いや親密さは求められていないのでしょうか。
私はそうではないと考えています。自分の感情を恐れ、欲求が分からなければ、触れ合いの形が変わるのは当然のことでしょう。しかし、上述したような苦悩や質問の中には、まだ近づいてはいないけれど近づきたい他者の存在がかすかに見えるような気がします。彼らなりの親密さ、あるいはそれを求める気持ちがそっと隠れているのが、〝いまどきの恋愛〞なのではないでしょうか。ひょっとすると、その親密さは分かりやすい触れ合いの中にあるものよりも、ずっと複雑で濃密なものかもしれませんよ。