セッションの様子を見てみましょう

『両方の肩をゆっくり真上に上げてみましょう』は動作法でよく用いられる肩上げ課題です。実技研修でもよく使います。ではAさん、Bくんの様子を見てみましょう。

Aさん:「はいはい、分かりましたよ」「こんな感じですよね」すーっとスピーディに上げていきます。「上手でしょ」「あ、止まりました。はい、ここまでです。もう降ろしてよいですか?」
Bくん:「え、どうするのだろう?」「こんな感じかな」じわじわとゆっくり上げていきます。「なんか思ったよりスムーズじゃないな」「これで合っています?というか難しいなあ」「あ~もう上がりません」 
Thから『これ以上は上がらないところで一拍止めてから、ゆっくり降ろしていきましょう』
Aさん:「はい、降ろします。力抜けばいいんでしょ」ストンと落ちるように下がり、元のスタート位置とほとんど変わりません。「で、これがなにか?」
Bくん:「右と左って(動きが)ずれるんだな。同じくらいの進み具合って、けっこう気をつかうな」そろりそろりと降ろしていきます。「あれまだ下がりそう。もうちょっといけるよ」 
Thから『さあもう一回やってみるよ』とうながします。
Aさん:肩を上げようとする出鼻に、 Thがスピードをおさえるように抑制的に手で援助します。「え!このスピード、遅いっ。サクッと上げたいよ」「なんか手が邪魔なんだけど」「あれ、いや、急に難しいじゃん。これがゆっくり?」
Bくん:肩を上げようとする出鼻に、動き出しを助けるようにスッと持ち上げます。「あ、いけます。こういうことなんだ」「さっきは力んで上げようとしていたけど、意外に軽くで良いんだ」他の課題も交えながらセッションが展開した後です。もう一度、肩上げ課題です。
Aさん:「丁寧に急がないで、両肩を揃えて…」「あ~これって苦手だわ」「こういう上げ方って、あんまり私っぽくないわ」
Bくん:「あ、また力もうとしている。肩を上げるに必要な力だけで…」「 Thの(援助の)手がなくなると不安だな」

動作法とは

 動作法は、動作を使って援助する臨床技法です。1960年代に肢体不自由者への適用からはじまり、様々な障害のある人に対象が広がり、同時に精神疾患をはじめ心理的な不調を抱える人たちへの適用と広がりました。今となってはいわゆる健康な人も含めた万人向けの援助技法として、教育、福祉、医療などの分野で活用されています。
 動作法では、動作を「意図+努力→身体運動」という図式で定義し、心理的活動の所産としてからだの動きがあるととらえます。つまり動作の中にその人の心理的な活動をみます。というか、動作は心理的活動そのものだと考えています。

動作はウソつけないし、口ほどにモノをいう

 先のAさん、Bくんの「」のなかは、すべてセラピストが動作の中に読み取った"ことば"です。動作図式のなかでいえば意図や努力の部分ということになるでしょうか。動作法ではセラピストの提示する課題『ここをこんな風に動かしてごらん』に、クライエントは動作で応えていきます。その短いやりとりに、課題の受け止め方、セラピストとの関係、努力の仕方、自分の動作への評価や手ごたえ、などが詰め込まれています。そしてそれらは実にユニークで、その人らしさに満ち溢れています。
 実技研修などで知り合いと組んでやると、「あーやっぱりこの人こんな風に動くんだ」だったり、「へー意外だな」と思ったりします。ちなみに私の動かし方は、ややせっかちで、あまり細かいところを気にできず、セラピストの援助よりも自分の動かし方を優先するようです。一方で、最近では、以前よりもじっくり自分の動きを感じられるようになったかなと思います。昔は「うまくやりたい」が強く出ていた気がしますが、今は「まあこれでいいじゃん」という動作です。
 あくまで印象ですが、話しことばにする以上に、ダイレクトにその人らしさが表現されるように感じます。ことばにするプロセスには、内容を考えつつ、ことばや言い方を選択・決定する作業が含まれますが、動作では即断的な対応を求められます。その分、ウソやごまかしを入れるチャンスがなくて"私はこう動かします""これしかないのです"と露わになるようです。

動作法がもたらす体験

 クライエントさんでは、動作のなかにその人の生きづらさがみえるときがあります。ある動作課題に取り組むときにみえるその人の姿は、生活場面のそれとつながります。過剰な力みであったり、自分でコントロールする(決める)ことが苦手だったり、意図(つもり)と動き(現実)が大きくずれていたりします。障害のある子どもだと、動かし方が身についていなかったり、セラピストの課題意図が読めていなかったり、思わず大きく動き過ぎたりします。そういった難しさを、セラピストと一緒に何とかしようと取り組みます。セッションでは動作にこめられたメッセージを読み取りながら、慎重に動作で返していきます。私が相手の動作を読むように、相手も私の動作を読み取ります。そこに相互性や一体感、共感がともなうとき、2人のやりとりが生きいきしていきます。そのときに臨床的に意味のある体験がもたらされることがあるようです。
 またセッションのなかでは、クライエントは自分の動作に向き合いますし、そうなるよう援助します。向き合いそのものを楽しんでいる人もいるようですし、難しいところのひと山を越えることもあります。動作法とは、動作でやりとりしながら体験の探索をすることかしらとも思います。何とも面白いものです。

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