「胎児」は受身的存在ではない

「胎児」というとどんなイメージが浮かびますか?
「お母さんのお腹の中ですくすく大きくなっていく」
「子宮の中で羊水に包まれてぷかぷか浮かんでいる」
「安全な所から外界に産み出される」

―これらは、冒頭の問いを学生に投げかけた時の回答です。胎児は守られた受身的な存在としてイメージされているのが印象的です。
 実態はどうでしょう。胎児は、天文学的な確率で卵子と精子が競争をくぐり抜けて結合し、能動的に生まれてきた側面をもつ存在です。胎児は母に産まれるだけでなく、自ら頑張って旋回しながら産道を出てきます。母乳も赤ん坊がおっぱいを吸うことで作られます。実は、出産も母乳も、母子の協働作業によるものなのです。

周産期の母親の心的体験のダイナミズム

 胎児は受精卵の段階から刻々と急ピッチで育ちます。母体も胎児が育っていけるよう刻々といわば組織を組み替えるような大仕事を進めていて大忙しです。では、自らの内に命が宿り、胎児が育つ間、母親の心はどのような体験をしているのでしょうか。
 この点に関する研究として、初産婦を対象に、妊娠・出産と我が子をめぐる体験や思いについて、妊娠中と産後7日までの2回、助産師の先生がインタビューを行い、そのデータを質的に分析する作業を共にしました。この研究でまずわかったのは、ベテラン助産師の先生も「知らなかった」と驚くほど、母親が周産期にいかに様々な体験と思いを抱き、刻々と大きく変化するのかということでした。
 一般に"もともと妊娠に否定的感情があると産後の対児感情も否定的に影響するのでは"という推論がなされがちですが、研究では、妊娠への構えは産後の対児感情とは直結しないという結果が示されました。
 例えば、子どもを欲しいと思ったことがなく、妊娠がわかって「嬉しくない」「不安」と感じていた人々も、出産を体験する中で、「痛み」や「温かさ」を通して生命の重みを感じ、「小さいのに生きている」我が子に生命の尊厳を感じ、「自分が守らねば」と親の自覚が芽生えるとともに、「生命の神秘」や「子どもは親の持ち物ではない」という実感を得ていました。
 一方、子どもが欲しかったという場合でも、出産中、子が頑張って産道を降りてくるのを生々しく実感していた例もあれば、出産の痛みと疲れで「感動はなかった。産声聞いても可愛いと思えなかった」例もありました。しかし、後者の場合も、心身が落ち着いてくることで、子の動きが可愛く感じられるようになったと語られていました。

母親の体験に寄り添うこと

 この結果には周産期に「話を聴く」ことの影響も一部含まれているかもしれません。つまり、妊娠・出産や子どもにネガティヴな思いが生じたとしても、それを静かに受容し聴いてもらえることで、母親が自らの思いや体験に寄り添うことができ、我が子と自らに新たに出会っていけるといったような。実際、母親は、自らの言葉にならない体験や思いに、ふと立ち止まり、思いを馳せたりしていました。続く新生児期も新たな出来事の連続です。周産期・新生児期に母親自身の思いや体験を聴いてもらえる場や関係があることで、虐待リスクもずいぶん減るのではないかと感じています。

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