はじめに

「なんでそれがリフレッシュ?」「ぜひうちにも来て欲しい!」。私のこころのリフレッシュが何かを聞けば、相手の反応はたいていこうです。「むしろリフレッシュじゃないの?」「もちろん、ぜひいずれ行かせてよ!」と、相手の反応を受けた私はたいていこう答えます。
 というのも、私にとってのこころのリフレッシュは『掃除』です。埃を払う、床を磨く、棚を隅から整える、部屋をしつらえる、不要な物を片っ端からまとめる・捨てる、これ以上にこころ洗われることは無いかもしれない…と朝晩の日課の拭き掃除をしながら感じます。余談ですが、フローリングも直に水拭き・乾拭きを日々繰り返すと、四隅などは傷んで素材が干からびて反り返ってしまうことがあります。何度か引っ越しを繰り返したなかで、マンションの管理会社の方から「床の隅、やすりで磨いたりしてませんよね…?」といぶかしげに聞かれたこともこれまで一度や二度ではありません。

掃除をめぐるあれこれ

 掃除箇所の好みがあるかと言われますと、庭、駐車場、階段や水回り、玄関・土間、と場所は問わず、対象についても家屋ほか、車や自転車の洗浄を含め、特に厭いません。学生時代には下宿生活をする友人らからオーダーを受け、掃除に行って良い日付/時間帯、手入れをして良い範囲、廃棄に関して不要と判断する基準・廃棄箇所、おおよその実働時間などを打合せ、決められた日にその下宿へ出向いて部屋の隅々まで丁寧に掃除をさせてもらいました。出来るだけ掃除なんてしたくないと言って憚らない依頼主の友人らは、その対価としてランチを奢ってくれるというのが常でした。依頼主らは部屋が綺麗になって喜び、私は好きなことを好きなだけさせてもらってリフレッシュするばかりか御礼まで頂いてしまうという、まさにウィンウィンの状態です。ちなみに当時を思い返せばランチのほか、御礼もいろいろで(このあたりは学生時代を過ごした京都という土地柄かもしれませんが)狂言や京おどり/鴨川をどりのチケットを頂いたこともあれば、神社仏閣等々の関係者のコネをフル活用して日頃立ち入れないエリアにお招き頂いたこともあって、今思えば感謝しかありません。社会人になってからはなかなか機会に恵まれませんが、時間の都合さえ合えばご依頼案件には喜んで応じています(なおご依頼において、京都的な文言ですがあしからず「一見さんお断り」です)。

臨床現場で関わった掃除

 話は変わり、これまで筆者は、社会的養護の現場で臨床実践を積むなか、いわゆる「ゴミ屋敷」化してしまった家に関わることがありました。そんな家に、他職種と訪問するのですが、主な目的は家庭復帰する子どもを受け入れる準備が実際どの程度整っているかの確認や、養育者の心理的状態・認知的側面のバランス・経済状況はどうかをアセスメントすることです。家族の人数に見合わない数の靴が散乱する玄関、杜撰に束ねられたたくさんのビニール傘、油でべたついた床、シンクに溜まりに溜まった汚れのこびりついた皿、畳まれていない洗濯物の山…。「家」は家族のこれまでや養育者の状態をアセスメントする素材として非常に雄弁であり、どういった支援が今後必要なのかを示してくれるものでもあると思います。もちろん、訪問に合わせて慌てて片付けをしたと思しき家もありましたが、それも含めて養育者らがどういった状況にあるのか、推し量る上で重要な手がかりとなります。「ゴミ屋敷」状態にある家で、養育者と挨拶を交わし部屋にあげてもらい、他愛もない話をしながらさりげなくテーブルの上にあるコップやゴミを脇に寄せ、「このタオルだけ畳んじゃっていいですか?」などとおうかがいを立て、少しだけ部屋を整えさせてもらうといったこともあります。そうこうしていると「こっちもやってもらえるやろか」と棚の片づけや、ゴミを分別して欲しいと要望してくれることにつながる場合もありました。少しずつ手を入れて、ほんのわずかでも部屋が片付いたことで「ごちゃごちゃしてる方が落ちつくけど、これはこれで気持ちええな」と言ってくれた養育者の表情に、いつもと違った色合いを感じたこともありました。掃除に係る整理整頓などが苦手だ・面倒だという人はいるかと思いますが、そもそもやり方が分からないといった養育者も少なくありませんでした。ある人にとってはリフレッシュである掃除も、ある人にとってはそれが苦手なことが原因で異臭等の迷惑問題に発展し、地域で住み暮らしにくくなるといった状況までも引き寄せてしまう可能性があるのだと考えさせられました。


SCとして兼務する本学附属小の児童らが作成した教員プロ
フィール冊子でも「すきなこと」は「そうじをすること」と回答

おわりに

 このコラムの担当を仰せつかり、改めて自分の「こころのリフレッシュ」について色々考えました。すると、神社仏閣巡りを好んでよくしていたり、思い立ったら弾丸ツアーで現代アートに触れに行ったり、毎朝のルーティンでランニングをしたりといった、様々なリフレッシュの引き出しが自分にはあることに気づきました。こころの状態を安定して保つなら、「多くのメニューを持つことで、状況に応じたリフレッシュが可能(窪田、2021)」であるのは間違いありません。筆者はいつでも実行可能で、頼まれれば嬉しい・やったらなお嬉しい、こころのリフレッシュは『掃除』にほかならないということを再認識した次第です。

●引用文献
窪田由紀(2021).こころのリフレッシュ―さまざまな「なんちゃって」活動―.
「心理臨床の広場」27号.14⑴.一般社団法人日本心理臨床学会.20-21.

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