カフェにて
養子縁組家庭を私と共に訪問したSくんがバナナチョコレート・ミルクレープを頰張りながら「血の繫がりのある"普通"の親子と全く変わらないと思いました」と少し驚いたような表情をしながら私に感想を語ります。「当たり前でしょう。小さい頃から、一緒に生活しているのだから。"血の繫がりがあるとか、ないとか"関係ないよ。親御さん(養母)は、とても、お子さん(養子)を可愛がっておられたでしょう。お子さん(養子)も、めちゃくちゃ懐いていたでしょう。そういう"普通"でないっていう周囲の認識こそが、実は血縁にない親子を苦しめているんだよね」とシュガーバター・クレープを頰張りながら、やや語気を強めて答える私。
その後、切々と私のかかわる里親子や養子縁組親子が、いかに"普通"という言葉に苦しめられているのかを説く時間となります。
里・養親子支援で大事なことって?
私は、フォスタリング機関の心理相談員として、里親子や特別養子縁組による親子の支援を行っています。フォスタリング機関とは、里親委託から措置解除に至るまで、子どもにとって質の高い里親養育がなされるために、さまざまな支援を行う機関です。「新しい社会的養育ビジョン」(2017)によって、社会的養護の子どもたちに対する家庭養育優先の理念が掲げられ、実親による養育が困難であれば、特別養子縁組による永続的解決(パーマネンシーの保障)や里親による養育を推進する方針が明確にされました。そのような流れの中、里・養親子の数は少しずつ増えてきています。家庭養育優先の理念は、家庭的な養育環境が子どものニーズに個別に応じることを可能とし、子どもの安定した愛着形成をはかることを期待したものです。子どもは、不安や危険を感じたときに、それを慰め安心させてくれる対象(子どもの場合、主に養育者)に対して、安定した愛着を形成します。そのため、子どもの安定した愛着形成には、愛着対象である養育者と血縁関係にある必要はまったくありません。フォスタリング機関で心理相談員として働き始めた当初、私は今まで経験してきた実親子の支援と同じように、里・養子が里・養親に安定した愛着形成ができるように支援することが、私の主な業務になると考えていました。
実際に心理相談を始めると里・養親さんたちの悩みは、実親家庭の実親さんの悩みとほとんど変わりませんでした。里・養子さんの幼児期には、偏食に悩み、イヤイヤ期には養育困難感を感じ、思春期には反抗的態度にイライラしながら、どこまで口を出すのかに悩む。「学校に行きたくない」と言えば、将来を不安に思い、人間関係でつまずいていることがわかると、「どうしたものか」と困惑する。まさしく、「普通」の家族の「あるある相談」ですし、里・養子さんを大事に思って悩む姿も、実親さんのそれとまったく変わりません。しかし、実親家庭にはない相談もありました。それは、「あなたには、産んでくれたお母さんが別にいる」ことを里・養子さんに告げる「真実告知」についてでした。私がフォスタリング機関で働き始めた当初は、里・養親さんたちの真実告知への躊躇は、里親さん個人の「血縁にないことを子ども(里・養子)に知られたくない」という思いから生まれてくると考えていました。しかし、じっくりとお話を伺ううちに、里・養親さんは「里・養子は、どんな風にそのこと(血縁にないこと)を受け止めるのか」「(子どもが)自分たちが血縁にないことを友だちに告げたら、周囲から何か嫌なことを言われて傷つかないだろうか」「(血縁にない家族であることを知ると)周囲は、自分たちのことをどんな風に見るだろうか」、そんな不安が「真実告知」を行うことに対する躊躇の気持ちを生んでいることに気づきました。「真実告知」、それは里・養親さんたちにとって、里・養子さんに自分たちが"普通"の家族ではないことを告げることでもあったのです。それ以外にも里・養親さんたちは「遺伝子が違うから」「産んでないから」「中途養育だから」といろいろな場面で自分たちが"普通"の家族と異なると感じ、そしてそれが里・養子さんにネガティブな影響がないか心配していることがわかりました。そして、そこには何ともいえない哀しみがありました。
「真実告知」を受けた里・養子さんたちもまた、自分たちが血縁にない家族であることを周囲に告げることに躊躇があるようでした。それは、みんなと「違う」ことであり、「普通」でないからのようです。そして、そこにも何ともいえない哀しみがありました。
その哀しみは誰のせい?
その哀しみを知った私は、"普通"ってなんだろうと自問しました。確かに、世の中には血縁にない親子よりも血縁にある親子の方が多数派なのは間違いありません。どうやら、私たちは多数派だから"普通"で、少数派だから"普通ではない"と考えてしまうようです。そして、"普通ではない"ことは、「周囲に隠さないといけないこと」だと感じさせてしまうもののようでもあります。里・養親子たちの哀しみは、社会のまんなかから、辺縁に追いやられてしまう"感覚"から生じるように感じます。そんな中で、私は「多数派、つまり社会の、"普通でない"ことの認識を変えることが里・養親子の何とも言えない哀しみを軽減することに役立つのではないか」と考えるようになりました。そして、今では里・養親さんに、心理相談の場で「家族にはいろいろな形があることを今では里・養子にも小さい頃から教えてください。そして、一緒に家族の多様性を認め合う社会を大人の責任として作っていきましょう。私も、頑張ります」と伝えています。
別れ間際に
「社会の影響って大きいのですね。あまり、そのことについて考えたことがありませんでした」「そうなのよ。社会全体が、"家族は多様である"と認識するようになったら、血縁にない家族は、もっと生きやすくなると思うのよね。そのことにSくんが気づいて、いろいろな家族の形があることを他の人にも伝えられる人になってくれたら、私は嬉しいよ」と話しながら、アールグレイ・ティーを飲み干し、二人でカフェを出ました。「それじゃあ、気をつけて帰ってね」とSくんを見送った後、私も里・養親子の気持ちを聴いた者として、それを社会に伝える責任を果たし、こころを大事にする心理士として「頑張らねば」と気持ちをあらたに駅の改札に向かいました。
おわりに
里親・養子縁組家族も「まんなかに」した社会構築のためには、皆さんの参画も必要です。どうか、里親・養子縁組家族に「こころ」を寄せていただければ嬉しいです。