「LGBTQ」の「Q」は「クィア」と「クエスチョニング」という二つの頭文字がとられたもので、両者は重なることもありうるが、同義ではない。本項では、それぞれの用語について説明を加えながら、「LGBT」でなく「LGBTQ」であることの意味について解説する。
 あらかじめことわっておくが、この限られた紙面の中で「クィアとは何か」「クエスチョニングとは何か」を説明することは困難である。非常にわかりにくい言葉だ。むしろその「わかりにくい」 ところが、「クィア」「クエスチョニング」を理解するための要点といえる。
 「クィア(Queer)」は本来、「 変態」「奇妙」「風変わり」を意味し、男性同性愛者やトランス女性を侮辱的に指し示す言葉として用いられてきた歴史をもつ。世の中には、「異性愛であること」「シスジェンダーであること」を当然とする社会通念や、規範性がある。この規範からこぼれ落ちた人々が元来「クィア」と呼ばれ、社会的に差別を受けてきた。その意味では、日本語の「ホモ」や「オカマ」に近いかもしれない。
 にもかかわらず、今日では、差別されてきた側が自ら「クィア」を名乗るようになった。蔑称であることを逆手に取り、「主体的かつ肯定的に名乗る言葉」として自ら引き受けることで、蔑称としての「クィア」を無効化させようとしてきたのである。
 したがって、「クィア」という言葉が用いられるときには、性に関わる規範性や社会通念、カテゴライズされたイメージに対する抵抗・批判のニュアンスが含まれる。これまで抑圧されてきた、規範的でない性のありよう、流動的な性のありようすべてがクィアの照射範囲になりうる。何をもってクィアとするか、その境界線もまた、定まっていない。クィアには個人差があり、そこに「わかりやすさ」はない。わかりにくくてよいのである。
 一方、「クエスチョニング(Questioning)」は文字通り、「自分の性自認や性指向がわからない、はっきりしない状態」を指す。たとえば、「男性として生まれ、男性を好きになるが、男性として男性が好きなのか、女性として男性が好きなのかがわからない」「女性としての自分に違和感はあるけれど、男性として生きていきたいのかはよくわからない」といった例が挙げられる。特に、アイデンティティ形成段階の青年期までは、こうした悩みを抱える当事者が多く、のちに明確なセクシュアリティが定まる人もいれば、そうでない人もいる。
 ここで臨床上留意しておきたいのは、「はっきり決めなくてもよい」ということである。成人以降も自らのアイデンティティを模索し、様々な体験を通して都度更新していくのと同じように、性のありようも微細に更新されることがありうる(流動的な性のありようを表す「セクシュアル・フルイディティ」「ジェンダー・フルイド」といった言葉もある)。クエスチョニングもまた、「わからないこと」を肯定する言葉であると言える。
 「LGBT」に「Q」が加わることによって、「L/G/B/T」(あるいはヘテロセクシュアル・シスジェンダー)というカテゴライズの境界が実はあいまいであり、他者のセクシュアリティは本来わかりにくいものである、ということを教えてくれる。わかりにくいことを、わかった気にならず、わからないまま連帯することを志向したのが、「LGBTQ」という表現なのである。私たち臨床家は、どんな相談者に対しても、まずはどんなセクシュアリティであるか「わからない」前提で、フェアな態度をもって支えていくことが求められている。

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