読者の中には「性感染症」と「心理臨床」なんて縁遠いと感じる人も少なくないかもしれません。そもそも性感染症自体、自分にとって縁がない病気で身の回りにもいない、あまり自分の臨床現場とは関係がないと思っている人もいるでしょう。でも、実際はそんなことはありません。性感染症はそのイメージから「秘め事」のように扱われてしまうために縁遠い印象を与えますが、性感染症という病気やそれにまつわる事柄は身近なことなのです。
性感染症ってなに?
性感染症は性行為で感染する病気で、最近では“STI(Sexually Transmitted Infection)”と呼ばれることもあります。ウィルス、細菌、原虫などが性器、泌尿器、肛門、口腔などに接触することで感染します。代表的なものにHIV感染症、梅毒、淋病、クラミジア感染症、性器ヘルペス、A型肝炎/B型肝炎などがあります。梅毒は最近急増しており、2023年には調査史上過去最多の感染者数が報告されています。
症状は性器や口腔の痛み、排尿時の痛みや痒み、陰茎や膣からの分泌物など様々ですが、性感染症の多くは感染していても症状が出ない、あるいは出たとしても気づきにくいという特徴があります。知らず知らずのうちに自分が感染していて、いつの間にかパートナーにも感染させるといったことが生じます。そのため、性感染症は「早期発見・早期治療」が本人にとっても周りの人の健康にとっても重要になります。
「性」のイメージと「性感染症」のスティグマ
社会には「性」に関して公に語ることを良しとしない風潮があります。おそらくそれは、「性」が本能的で動物的であるものだから、秩序を維持し理性で成り立つ人間社会においては当然のことかもしれません。しかし、それゆえに人々から「性」は隠され、蔑ろにされやすく、公に語ることは「恥ずかしい」「ふしだら」「いけないこと」とされます。性感染症も同様に「恥ずかしいことをしたから病気になった」「ふしだらだから感染した」「後ろめたい病気」というイメージを持たれやすいのです。筆者はHIV陽性者の心理的支援をしていますが、実際、病名を家族に伝えたら「穢らわしい」と言われた方がいます。また、多くのHIV陽性者はそのような周囲の反応を恐れて感染を隠して生活しています。この負のイメージはHIVに限らず、性感染症全般にあるスティグマと言えるでしょう。スティグマがあるからこそ、人々はたとえ周囲に感染者がいても身近に感じられず、その社会の中で生きる感染者は後ろめたさや生きづらさを抱いていることが少なくないのです。
わずか47秒と0.01mmにある人の性
性感染症は「早期発見・早期治療」が大切であることは先述しましたが、一番は感染しない様に予防することで、主にコンドームの使用が推奨されています。HIV感染症の予防方法として、近年ではPrEP(Pre-exposure prophylaxis)やPEP(Post-exposure prophylaxis)といった方法もあります。PrEPは曝露前予防内服のことで、HIVに感染していない人が性行為前からHIVの薬を内服し、HIV感染のリスクを減らす方法です。一方、PEPは曝露後予防内服のことで、HIVに感染した可能性のある性行為や医療事故の後にHIVの薬を内服して感染のリスクを減らすという方法です。しかし、これらはHIV予防には有効ですが、他の性感染症を予防できません。そのため、やはりコンドームの使用が推奨されるのですが、これがなかなか難しいのです。
2023年の男女5,506人(15~29歳)を対象とした調査では、妊娠が目的ではなく避妊をせずに性行為した経験があるのは34.3%でした。*1また、同年のMSM(Men who have sex with men:男性同性間での性行為経験がある人)5,010人を対象とした調査では「過去6カ月間の男性との肛門性交におけるコンドーム常用」は31.5%でした。*2このように異性間性行為を想定した男女の約3割、同性間性行為の男性の約7割がコンドームなしの性行為をしている実態があります。ある企業の調査ではコンドームの装着にかかる平均時間は47秒で、市販されている最も薄いコンドームは0.01mmというものがありますが、性行為時にはこのわずか47秒の間合いと0.01mmの距離感でさえも予防行動の障壁になってしまうところに人の性が垣間見えます。
対等なコミュニケーションと自分と他者を大切にすること
この予防行動は「性的同意」とも関係します。性的同意は、お互い望んだタイミングや場所で、お互いが望んだ性行為であるかどうかということだけでなく、避妊や性感染症予防についてもお互い納得している方法を取れていること、そして、対等な関係でかつ積極的な合意であることが含まれます。
先述した男女5,506人の調査では、避妊をしなかった理由として、女性では「相手に言いづらかったから(19.7%)」、「避妊したいと言ったが、相手がしてくれなかったから(16.6%)」、「避妊なしで性交渉しても大丈夫だと思った(15.3%)」という回答が多く、男性では「コンドームをつけると快感が損なわれるから(23.0%)」、「盛り上がってコンドームを忘れてしまった(18.3%)」、「避妊なしで性交渉しても大丈夫だと思った(17.7%)」という回答が多かったと報告されています。つまり、女性は予防したいけど言えない、拒否されてできない。男性は快楽や高揚感、楽しみが優先されて予防できない。そして男女とも「大丈夫」といった楽観があることがわかります。これらから、対等な関係ではないことや、アサーティブでない性行為時のコミュニケーション、そして快楽や楽観という理性が働かない思考状態が、予防行動ができないことに関係していそうです。
筆者は予防行動が難しい背景には、自尊感情や自己肯定感の乏しさ、他者評価への過敏さ、自己破壊性などの心性や愛着の問題が関係しているように思います。性感染症にとって、自分と他者を大切にするこころをいかに育むかは大切なテーマですが、これは他の臨床現場においても重要なことなのではないかと思います。
これまで述べてきたように、性感染症にまつわる人ごころには、普段は見えないし表立って語られない、本能と理性の間にあって、人と人との間にある、深く繊細な人ごころがあるのです。
◦引用文献
*1 I LADY.「性と恋愛 2023【避妊・性感染症予防の本音】」https://ilady.world/survey/03.html
*2 塩野徳史(2023)「コロナ禍を経たMSM・ゲイコミュニティにおけるHIV感染症の予防」保健医療科学72: 110-118.