社会問題と就職先
私の関心は日本が抱える性の問題にあった。卒論も修論も性をテーマとし、学生の頃は性の健康や性的少数者に関する活動に力を入れていた。それ故、心理士になる際には、面接室で受身的に待つ臨床ではなく、性の悩みに寄り添いながらも社会に出て、性に関する社会的問題にアプローチできる臨床をしたいと強く思っていた。そこで、株式会社TENGAという企業に飛び込んだ。TENGAと聞くとアダルトグッズを想像する人が多いが、HIV/AIDS予防啓発活動や障がい者向け自助具開発など、事業は様々である。さらに“性を表通りに誰もが楽しめるものに変えていく”という先駆的ミッションに、ここしかない!と思い、私は周囲の猛反対を押し切り猪突猛進した。
自分にできることは何か
無事に就職が決まったまでは良いが、心理士の採用は会社も初めてである。心理士の卵が1人、場違いであった。同級生が着実にスタンダードな臨床経験を積んでいく中、東京で1人、臨床心理学とは全く離れた環境で焦りと不安と寂しさを抱えながら、私はやるべき事を見失わないように必死だった。
救いは、TENGA内で医療福祉分野で動いていた取締役の存在だった。取締役のサポートの中で、HIV/AIDSや性感染症予防啓発冊子、相談対応など、自分に出来ることを日々考え実践した。収穫は二つあった。
TENGAで得たもの
一つ目は、臨床心理学が実は多くの場で活用できるという気づきだ。多大な事例や症例を踏まえた視点、多様性を考えた言葉遣い、性的関係や性意識に影響を与えているアイデンティティを切り離さずアプローチを考える。臨床心理学を学んだ者として背負い、取組むべき事は、既存の心理士の職場だけではない。
アイデンティティとダイヴァーシティを考えるカンファレンス「WRD.IDNTTY」に登壇した際には、ダイヴァーシティをアイデンティティ(個)の集合体として考え、他者よりもまず自身のアイデンティティと向き合うこと、それを自分の“性”のあり方の入口とする視点、人々がよりよく生きる為にカウンセリングを選択し、性の悩みも解放出来ればと伝えた。
二つ目は、臨床心理業界の問題点への気づきであった。入社1年後の2016年に、医療福祉向け製品/サービスの開発・提供及び性教育支援と情報提供を目指した「株式会社TENGAヘルスケア」の始動に携わった。性問題に関する勉強会や学会に参加し続けても、“性”を専門とする臨床心理士は見当たらず、多くは医師や助産師、教員、福祉職であった。そのため、各専門家とネットワークを形成しながら、大学などでの講演、執筆、様々な場での情報発信、フットワークを軽く何でも挑戦した。障害者の性に関するNPOの理事になったり、性教育アプリやFTM向けの製品開発を試みたり、性の問題に臨床心理士がより関われる土壌を作ろうと沢山の挑戦と失敗を繰り返した。
退職までの5年間、絶え間無く走り続けたが、やり残した事も心残りも多い。
最後に
出産子育てを機にキャリアは中断。今や資格更新も危うい“崖っぷち”臨床心理士だ。こうして振り返ると、心理臨床家のあるべき姿とは異なるのかもしれない。臨床心理士の働きの多様性を少しでも広げることに貢献できていれば幸いだ。「パイオニアになれ!」恩師の鑪幹八郎先生が嬉しそうに言ってくれた言葉を思い出す。やりたい事、やらねばならない事は山積みだ。