いまこの本を手にとっています。ボロボロです。書き込みやマーカーなどもあり、付箋もペタペタついています。とても売れる状態ではありませんが、まったく売る気もありません。むしろ、愛着を感じるボロボロです。この本は刊行から五五年を数えるロングセラーで、河合隼雄先生がご活躍の頃に心理臨床を実践ないし志していた人たちの多くが読んだのではないかと思う名著です。
この本が通常の単行本だけでなく、文庫本*として出ていることを知ったのは最近のことです。文庫本の方が持ち運びやすいので、よかったと思います。ただし、文庫本は、完全版ではありません。単行本の一部が収載されておらず、抜粋になっています。ぜひとも単行の方を先に読んで頂きたいというのが個人的な願いです。
ところで、文庫本の解説のタイトルが「繰り返し立ち返るべき『古典』」となっていて、少し驚きました。もちろん、解説者は意味や思いを込めて、わざわざカギ括弧つきの古典にしたのだと思います。しかし、コロナ前まで、この本を授業で取り上げて紹介していた私としては、古典どころか生きた本のままです。どんなに科学技術が発達しても、むしろそうだからこそ「こころ」や「たましい」という言葉の荘厳さに胸を打たれます。それは私だけのでしょうか。
別の角度でいうと、「こころなんて要らないんだよ、心理学には!」と断言する心理学者がいます。言論の自由は十分にわかっています。でも、それが心理学者であるからこそ悲しく感じます。
この本は「こころ」にあふれています。目次を見てみましょう。「心の現象学」に始まって、「フロイトとアドラー」(←あのアドラーです)「タイプ」(←有名なタイプ論です。パーソナリティに関心のある方は必読)「コンプレックス」(←この言葉の意味をご存知ですか)「個人的無意識と普遍的無意識」(←圧巻です!)「心像と象徴」「夢分析」「アニマ・アニムス」「自己」「心理療法の実際」、最後は「東洋と西洋の問題」となっています。タイトルだけでもワクワクしませんか。
私が最も好きなのは、「個人的無意識と普遍的無意識」で"シャドウ"を説明するために出てくる三〇歳男性(赤面恐怖症)の夢と、すぐに続く、このケースよりもう少し分析が進んだ二五歳男性の夢です。武士の時代の夢です。自分の兄が切腹するシーンで、クライエント(ご本人)が叫ぶ一言がなんと素晴らしいことか。サイコセラピーが進むということがどういうことなのか、実に分かりやすいです。
しかも、河合隼雄先生が一九六六年に京都大学文学部で行った「分析心理学入門」という講義(全一三回)をもとにこの本が書かれているせいか、とても読みやすいです。河合隼雄先生ご自身が書かれているように、「筆者が自分の体験を通して、それなりに理解できた範囲を、自分のことばで表現」した本として、心理臨床家にとって永遠の価値をもつことでしょう。
このブックガイドを読んでくださっている貴方、貴方はもう入口に立っています。手にとってみてください。たましいの本を。
*『〈心理療法〉コレクションⅠ ユング心理学入門』岩波現代文庫、二〇〇九年