心理臨床家にとって、言語感覚は命です。それは、古今東西の詩の名作を読むことによっても養われます。次の詩を読んでください。

わたしは「死」のために止まれなかったので ―/「死」がやさしくわたしのために止まってくれた ―/馬車に乗っているのはただわたしたち ―/それと「不滅の生」だけだった。

わたしたちはゆっくり進んだ―彼は急ぐことを知らないし/わたしはもう放棄していた/この世の仕事も余暇もまた、/彼の親切にこたえるために ―

わたしたちは学校を過ぎた、子供たちが/休み時間で遊んでいた ―輪になって ―/目を見張っている穀物の畠を過ぎた―/沈んでゆく太陽を過ぎた―

いやむしろ ―太陽がわたしたちを過ぎた ―/露が降りて震えと冷えを引き寄せた ―/わたしのガウンは、蜘蛛の糸織り―/わたしのショールは ―薄絹にすぎぬので ―

わたしたちは止まった/地面が盛り上がったような家の前に―/屋根はほとんど見えない―/蛇腹は ―土の中 ―

それから ―何世紀もたつ ―でもしかし/あの日よりも短く感じる/馬は「永遠」に向かっているのだと/最初にわたしが思ったあの一日よりも ―

 19世紀のアメリカはニュー・イングランドの女性詩人、エミリー・ディキンソンの「傑作」の一つです。死後に発見された原稿で、表題はついていなかったようです。文庫では、最初の一行が表題になっています。「死」「不滅の生」「永遠」などの言葉が鋭角的に迫ってきます。一種スキゾイド的な世界です。ぞくっとします。彼女の人生の後半は「引きこもり」の日々であったということです。死後(享年55歳)に大量の詩の草稿が発見され、有名になったのです。このあたりの事情は、パスカルの『パンセ』に似ています。
 つまり彼女は、自分自身の精神生活のために書いたわけです。その作品群が、今ではアメリカの男性の詩人ウォルト・ホイットマンと並ぶ大詩人の傑作と評価されています。ちなみにホイットマンは「アウトドア」の詩人として非常に有名です。それだけに彼女の元祖「引きこもり」の凄みを感じます。味読すれば「思春期内閉」の心の理解に役立つでしょう。老年期の理解にも役立ちそうです。次の、晩年の詩を読んでください。そして、感受してください。訳語が難しいので、原語(英語)を参考にするのが良いでしょう。

極楽までの距離なんて/すぐ隣りの部屋にすぎない/もしその部屋で友が待ちうけているのなら/幸せだろうと不幸だろうと ―

何と我慢強いことか魂は、/そんなにも耐えられるなんて/足音が近づいてくることに ―/ドアが開くことに ―

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