成瀬先生との出会いは、今から50年以上も遡る1967年のことでした。当時、九州大学教育学部二年生だった私は、先駆的な試みであった脳性まひ児を対象とした心理リハビリテーションの活動にボランティアとして参加しました。まだ、臨床心理学のイロハも学んでいない初学者であるにもかかわらず、40代前半の成瀬先生や先輩の院生諸氏と一緒に、障害をかかえた子供たちの不自由さを、心理的手法で改善しようとする意欲的な実践研究に参加できたことは大きな喜びでした、
60年代後半はベトナム戦争に反対する学生運動が全国の大学に拡大し、九州大学でも休講が続き、講義を受けられない事態に陥っていました。それによってはからずも生じた「時間的余裕」を活用すべく、成瀬先生が指導する脳性まひ児とその保護者を対象とした一週間の集中訓練キャンプに参加しました。複数の大学の教員、大学院生、学部生、障害施設職員、養護学校教員等の混成チームに加わったことは、とても貴重な体験となり、心の糧となりました。70年代には、福岡市に隣接する朝倉町に開設された民間の休養施設「やすらぎ荘」が、その主な実践活動の舞台となりました。やがて、全国から訓練キャンプ開催の要請があり、多い年には年に3~4回も各地の訓練キャンプに参加することもありました。1979年には、成瀬先生や仲間とともに韓国・大邱市の大学構内で開催された訓練キャンプに参加し、多くの地元の人々と生活を共にしたことを懐かしく思い出します。
心理リハビリテーションの発想の原点にもなっているのが、成瀬先生の催眠や暗示に関する基礎研究や臨床技法の開発にあることは、言うまでもありません。幸い、院生時代に催眠誘導に関する実習指導を直接受ける機会があり、それを土台として自分なりに折に触れて、その技を磨くように修練を重ねてきました。わが国では、あまり知られていないことかもしれませんが、家族療法の理論や技法の発展には、催眠療法家ミルトン・エリクソンの臨床実践が大きな影響を与えているのです。
そのミルトン・エリクソンの知己でもあった成瀬先生が、彼から贈呈された論文集を我々院生に紹介してくれたことがありました。そこに記された数々の臨床実践のユニークさに、心底圧倒されたことを、今でも鮮明に覚えています。その時点では、まだ私自身は家族療法のことを全く知らなかったのですから、何か運命的なものさえ感じます。1980年から1982年の間、私がフルブライト研究員としてニューヨーク州立大学ストーニーブルック校心理学部に在籍中に、成瀬先生のご理解や、その他いくつもの幸運に恵まれ、アッカーマン家族療法研究所のスタッフから家族療法の養成訓練を受けることができました。帰国後は、日本での家族療法の発展に多少とも貢献したいと考え、微力を尽くしてきました。
最近では、成瀬先生とお会いするのは、心理臨床学会の年次大会の折などに限られていました。いつか、ゆっくり昔語りをしたいものだと思いながら、先生の訃報に接することとなりました。寂しい限りです。心より、先生のご冥福をお祈りします。